67.執着の理由(後編)
クラーラの口から語られたのは、まず、この世界におけるサキュバス族の立場からだった。
ファンタジーや創作の世界ではお馴染みの存在として知られるものの、この世界においてサキュバスは少数民族であり、大陸の中でも、龍人族の国と魔道国の一部でしか暮らしていないらしい。
「なんで?」
「大昔から迫害され続けていたのよ、サキュバスって」
「はあ? 迫害って……? 理由は?」
「大きな理由は宗教ね」
今より遙か昔、大陸のどこかで宗教が成立し、それは瞬く間に世界中へ伝播していった。
彼らの教えの中には、いわゆる『十戒』に似たようなものがあり、その中の教えのひとつが『姦淫』だったそうだ。
「そんなわけで、むやみやたらに人を誘惑するサキュバス族は、信者どもから目の敵にされてたってワケ」
サキュバス族にも言い分はある。魅了は常時発動し続けるような能力ではなく、まして、精気を吸い取る行為も、日々の食事で栄養を補えれば必要ない。
とはいうものの、神の存在を信じる者たちは聞く耳を持たず、やがてサキュバスを敵視する影響は、一般の人たちにも広がっていくことになる。
決定的だったのは、二千年前。災厄王と破滅龍の出現によって引き起こされた、世界の混乱である。
大陸中の宗教家らは、神への信心が足りないばかりにこのような悲劇が起こった。教えを守ろうとしない存在は排除されて当然であるという暴論を振りかざし、信者たちに異分子たちを処分するよう説いたという。
そして、それは『サキュバス狩り』という暴挙へと繋がっていく。
「大陸中でサキュバスたちが殺されたわ。なんとかして魔の手から逃れた一部の人たちは、宗教にあまり熱心でなかった魔道国と龍人族の国へ逃げ込んだの」
「……酷い話だな」
「そうね。でも、殺害に加担していたのって、実は宗教の信者ばかりではなくて、一般の人たちも積極的に混じってたそうだから。遅かれ早かれ、結果は同じだったかも知れないわね」
クラーラの話に、オレは中世の『魔女狩り』を思い出していた。魔術を使ったとされる人を裁判にかけ、一方的な制裁を加える。民衆が集団パニックを引き起こした結果、目を覆う無残な私刑が繰り返し行われた事実。
世界が変わったとしても、無知と差別によって引き起こされる悲劇は、あまり変わらないのか。暗い気持ちにならざるを得ない。
「そんなわけで、サキュバス族は、宗教の教えを学んでいない人たちからも迫害を受け続けてきたのよ」
「差別じゃんか、それ」
「そうね。でも、差別してる人たちにとって、そんな考えは少しもないでしょうね」
時が流れ、『賢龍王』ジークフリートが即位してからは、サキュバス族保護の法律が定まり、過激な思想もなくなったそうだが、それでも差別の眼差しは消えなかったそうだ。
どこへ行っても、サキュバスとわかると白い目で見られ、あるいは欲望を剥き出しにした連中に言い寄られるなど、いまでもあまり住みよい世界ではないらしい。
「私は古龍族とサキュバスの混血だけど、サキュバスの血が強く出ちゃったみたいでね。龍人族としての能力はゼロに近いのよ」
「そうすると、龍に姿を変えるとかできないのか」
「そうね。その分、魔力は強いから、人としての外見は好きなように変えられるんだけど」
昨日は幼女の姿で現れたからな。あれもサキュバスの魔法だったのか。
「サキュバスの血が強いと、周りがホントうざくて嫌になるわ」
「ウザい?」
「ま、当然のことながら、子供の頃からイジメに遭うわけ。石とか投げられたり」
「それは……」
「で、ぶっさいくな男が言い寄ってきたと思ったら、魅了してくれとか、エッチなことしてくれとか頼んでくるワケよ」
「あー……」
「サキュバスだって相手は選ぶわ。一度、鏡見てから出直してこいっていう話じゃない」
「サキュバスじゃなくても、相手は選ぶと思うが……」
「とーにーかーくっ! クソみたいな連中ばっかりのところで、私を救い出してくれたのがリアちゃんだったわけ」
龍人族の王女でありながら、身分に囚われることなく、リアは分け隔てない優しさでクラーラと接してくれたらしい。
「家族以外で私のことを、対等に扱ってくれたのはリアちゃんがはじめてだった。ジークのおじさまもそうだけど……。小さい時から、私の側にいてくれたのはリアちゃんだけ。リアちゃんだけが、私の救いになってくれたの」
遠い昔を思い出し、瞳を輝かせるクラーラ。差別や迫害を強いられた苦しみは当人にしかわからないかも知れない。しかし、オレも身近な人物が似たような苦しみを抱え、ひとりで生きていたことを知っている。
イチゴ畑ではしゃいでいるアイラの楽しそうな笑顔を見やりながら、オレは呟いた。
「そうだな。その気持ち、わかんないけど、わかるよ」
「……何よ、それ?」
「正直な感想ってやつ」
「ふぅん」
てっきり文句のひとつでも言われるものだと思っていたが、意外にもクラーラは何も言い返しては来なかった。
しかし、そうか。クラーラがリアに執着する理由がようやくわかった。自分と対等に接してくれる存在、そして苦楽を分かち合うことができる存在、それがリアだけなら、あの異常ともいえる執着も頷ける。
余計なお世話だとは思いつつ、オレはクラーラへ尋ねた。
「……その、なんだ。リアに告白とかしないのか?」
「……」
「好き、なんだろ? その、リアのこと……」
「じょーだんでしょ? 相手は王女様よ? 私なんか釣り合いの取れる相手じゃないもの。それに」
「それに?」
「そもそも、リアちゃんは私のこと、単なるお友達にしか思ってないもの」
「そんなこと……」
「あるのよ。わかるの、女の勘ってヤツ。第一、同性婚は禁じられているしね」
「そうなのか? 一夫多妻とか一妻多夫が当たり前って聞いてたから、同性婚も普通かと……」
「おかしな話でしょ? 姦淫と同性婚はダメなのに、そっちはアリなのよ? 随分と都合のいい話じゃない」
なるほどね、エリーゼとグレイスが、同人誌の存在を必死で隠したがるわけだ。……ソフィアは、もう少し自重した方がいいと思う。
そんなことをふと思い返している最中、クラーラは肩をすくめて続けた。
「……もしも。もしも同性婚が認められて、リアちゃんが私のことを想ってくれていたとしても。それでも私には告白なんて出来ない」
「どうして?」
「サキュバス族と一緒になるなんて、不幸になるだけに決まってるもの」
「そんなこと」
「そうなるに決まってるのよ。お父様だって、お母様と結婚する時は大変だったという話を聞いたわ。私と一緒になることで、リアちゃんまで白い目で見られるようになったら……」
想像の恐ろしさに、思わず身を震わせるクラーラ。すべて仮定の話とはいえ、どんな言葉を掛けるべきだろうか、オレは口をつぐんでしまう。
その時だった。遠くから駆け寄ってくる軽やかな足取りと、爽やかな声が辺りに響いた。
「おーい、クラーラぁ! 見て見て! イチゴ、こんなに取れたんだ!」
クラーラの前で足を止めたリアは、満面の笑顔を幼なじみへ向けている。クラーラは懸命に表情を繕い、平静を装っているようだ。
「へー。どれも美味しそうだね、リアちゃん」
「うん。ボクさ、クラーラのために一杯取ろうと思って!」
「え? わ、私のために?」
「だってクラーラ、昨日から元気なかったでしょ? 美味しい物を食べたら、きっと元気になるんじゃないかって思ってさ」
「……そ、そうかな? げ、元気なかったかなあ?」
「そうだよー。クラーラのことなら何でもわかるもん」
「っ……!」
「だって、ボクたち、昔からの親友じゃない! ……って、え!? なんで泣いてるの、クラーラ!? ボク、変なこといったかな!?」
「ううん、なんでも……、なんでもないの……。ゴメンね、リアちゃん……」
「え、え? なんで謝るの!?」
「う、嬉しくて……。わ、私、嬉しくて……!」
必死に顔を押さえるクラーラと、オロオロと困ったようにうろたえるリア。オレはリアからイチゴを受け取り、幼なじみを慰めてあげてと言い残してその場を離れると、畑に残った奥さんたちの元へ足を向けた。




