270.図書館建設(前編)
そんなこんなで。
リスケの結果、先延ばしにしていた図書館建設を優先して取りかかることになった。場所は学校の隣である。
多くの人に利用してもらうため、当初、市場付近も建設場所の候補としてあがっていたのだが。管理と運用のしやすさ、教育面での相乗効果を考えて、最終的に学校近くが良いのでないかという結論に至ったのだ。
あと、ニーナが持参した書籍の中には貴重なものもあるそうで、盗難の危険性を考慮すると、目の届く範囲内がベストだろうと。確かに市場付近は人の出入りが激しいからな。
でもさ、それだけ貴重な書物を図書館に置いていいのかって話でもあるんだよな。たくさんの人たちが利用するんだぞ? 故意じゃないにせよ、破いたり汚したりしちゃうことがあるんじゃないか?
「問題ありませんわ」
懸念を払拭するように、ニーナは微笑んでみせる。
「あらかじめ、模写術士の皆様へ複製を依頼しております。原本は書庫へ保管いたしますので」
「なるほど。複製だったら、作り直せばいいってことか」
とはいえ、複製でも貴重なことには変わりない。利用者には大切に扱うよう周知しないとな。
ちなみに。
図書館建設にあたってはニーナ以外にもアドバイザーを招聘した。本と接する機会の多い人物の助言をもらえたらと思ったのだ。
「――で、二人に来てもらったわけなんだけど……」
執務室へ姿を表したソフィアとグレイスに事情を説明しながらも、オレは二人の背後に控えるダークエルフが気になって視線を転じた。
「えーっと……、君は確か」
「はい、領主様。ソフィア先生のマネージャーを担当しております……」
ニコニコ顔の魔道士とは対極にある暗い表情のダークエルフは、大きくため息をついて執務室までやってきた理由を話し始める。
「先生の原稿の進捗が芳しくなく……。領主様との会談を終えられた後、すぐに原稿に取りかかっていただきたく、失礼ながらもお供をした次第でして……」
ははぁ、なるほどね。打ち合わせが終わったら、ソフィアがそのまま逃げるんじゃないかと、そう思っているんだろうな。その気持ち、わからなくもない。
「マネジの気持ちはわかるよぉ? アタシもぉ、原稿やらなきゃいけないなあって思ってたもーん」
オレンジ色をしたツインテールヘアーをくるくると手でもてあそび、ことさら反省とは無縁の口調でソフィアが応じる。
「でもさあ。領主様でもある、たぁくんからの急なお呼び出しじゃない? どっちを優先しなきゃいけないか、マネジもわかるでしょぉ?」
これ以上ない逃避の理由を手に入れたのが相当嬉しいのか、ソフィアはご機嫌にダークエルフのマネージャーを眺めている。うん、これ以上ないほどに把握した。
「よし、グレイスだけ残ってくれ。ソフィアは帰って原稿やるように」
「ちょぉぉぉぉぉいいい⁉ たぁくん、ちょっと待って! 呼び出しておいてそれはなくない⁉」
「やかましい。原稿落とされてマンガの刊行が遅れるとこっちも困るんだよ。わかったら、とっとと帰れ」
「いやぁ、たぁくん、それはちょっと早計なんじゃないかなぁ。本に関わる者としての一家言は聞いた方がいいって、アタシはそう思うなぁ?」
「ああ、それについても問題ない。いざとなったらエリーゼを呼ぶから気にするな」
「エリエリの手を煩わせるまでもないっていうかぁ……、正直、原稿煮詰まっているんで息抜きさせてもらえると助かるっていうかぁ……。お願いだからここにいさせてよぅ。マジで超厳しいんだってぇ」
最初のニコニコ顔はどこへ消えたのか、半泣き寸前の面持ちで懇願するソフィアを眺めやりつつ、クラウスがいれば多少なりとも状況は違ったのだろうかと、ふと、そんなことを考えてみたりする。
……はあ、仕方ない。マネージャーの立場も厳しいだろうし、できるだけ早く打ち合わせを終わらせようと思いながら、図書館建設を要望した当人へ視線を移す。
すると、そこには『落胆』という表題よろしく、俯いて表情を曇らせるニーナの姿と、天才少女を前にして戸惑いを隠しきれないといったグレイスの姿があった。
えーと……。こっちはこっちでなにがあったんだ?
「実は、私たちの出身が魔道士の国と知ったニーナさんから、歌劇についての質問を受けまして……」
片目の隠れた紫髪のロングヘアが印象的なクールビューティで知られる魔道士は、困惑気味に口を開いた。
「我が国の歌劇に人気があるのは存じておりますが……。私、その手の方面にはまったく興味がなく」
「あ~……」
「正直にその旨をお伝えしたところ、このように落ち込まれてしまったというわけで」
ニーナにしてみれば共通の話題で盛り上がれると思っていたんだろうなあ。そりゃあガッカリもするだろう。出身国の人気作品に興味がないとか、普通は考えられないもん。
「興味がない……。……おかしい…です、わ……あん…な……素晴らし…い……舞台…を……」
ギリギリ聴覚に届くぐらいの声でブツブツと呟き続ける天才少女。……なんだか気の毒になってきたな。
というかさ、演劇とか歌劇が有名って話、ニーナから教えてもらうまで聞いたことなかったんだけど。それって一体どんなもんなんだ?
「ご説明しても、なかなかご理解いただけないとは思うのですが……」
言葉を選ぶようにしてグレイスは口を開いた。
「なんと申しましょうか、劇団員が全員女性で構成されておりまして」
「ほうほう」
「その、男装した麗人が音楽に合わせて歌や踊りを披露するといいますか……」
はい、間違いなく宝塚歌劇団です。どうもありがとうございました。世界は違えど、同じ発想の人たちがいるもんだね。しかし、そうか、ヅカかあ。そりゃあ熱狂的なファンがいてもおかしくないよなあ。
驚くこともなく、納得しているのが不思議だったのか、グレイスは訝しげにオレを見やった。
「ご理解……いただけているのですか?」
「ああ、オレの住んでいた国にも同じようなものがあったしなあ」
「本当ですかっ⁉⁉」
真っ先に反応したのはそれまでしょげ込んでいたニーナで、急に息を吹き返したような血色の良い表情を浮かべ、執務机を飛び越える勢いで身を乗り出した。
「ずるいですお兄様! 今まで一度もそのようなお話をされていなかったではありませんか!」
「い、いやだって、魔道士の国の歌劇団がどんなものか知らなかったし」
「それでお兄様の国の歌劇団はっ! どのようなっ! 演目をっ! されていたのですかっ!」
言葉尻を遮り、いつもの冷静さはどこへやら、ニーナは両目に興味の色をたたえている。
「あー……。悪いんだけど、オレ自身、見に行ったことがないんだよな、その歌劇」
「はぇ?」
「話だけ知ってるってやつでさ、具体的に何をやってたとかはわからないんだ」
多少の心苦しさを覚えながら声を返すも、ニーナは再びしゅんと落ち込んだ様子で、足取りも重くソファへと戻っていった。
「……信じられません。お兄様ともあろうお方が……歌劇に興味がないとは……」
いやあ、そりゃあね、オレとしても教えてやりたいさ。でもさ、興味の範囲は人それぞれじゃん? みんながみんな同じ趣味嗜好ってわけにもいかないから……。
「でもでも、それなら魔道士のお二人は何に興味がおありなのですか?」
「はい?」
「あれだけ素晴らしい歌劇以上に、夢中になれる芸術がある! 以前、そのように伺いました! 私にもぜひご教授願えれば!」
わー、これまた答えにくい質問をズバッと出してくるじゃないか、ニーナさんや。まさか、男の人同士がくんずほぐれずひとつになっちゃってさあ大変みたいなものがあるんですよなんて、言えるはずもないしなあ。
同じ事を考えていたのか、グレイスもしどろもどろにあーとか、えーとかいいながら、こちらをチラチラ見ていたわけで。さてさて助け船を出してやりたいけれど、どうしたもんかなあと考えていた矢先。
脳天気な表情と声で、ソフィアは迷うことなく切り出したのだった。
「そりゃあ、もちろんボーイズラ」
「はぁい!!! そこまでっ!!!! マンガです! マンガっ! この二人がドハマりしているのはマンガだから!! なっ⁉」
……お前、ホント、バカ正直も大概にしとけよと思ったのは言うまでもない。う~む、やっぱり帰しておくべきだったかな。
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