175.交渉はどうなった?
しばらくしてから執務室へ戻ると、アルフレッドとクラウスが向かい合ってソファへ腰を下ろしていた。
「アイラの嬢ちゃんに泣きつかれたか?」
クラウスが苦笑しながら、オレの胸元へ視線を送っている。なるほど、シャツの胸元にはアイラの化粧跡がくっきりと。
「うわー……。慌てて来たから気付かなかった」
「嬢ちゃんだって今日はメイクしてたんだ。落ちたら気付いてもいいだろうに」
「いや、ほら。アイラは元がいいから。メイクしてなくても十分にカワイイっていうかさ」
「へーいへい。わっかりましたよー。……ったく、その汚れが落ちなくなるような呪いでもかけてやろうか?」
つまらなそうに背もたれへ寄りかかるハイエルフの前国王。
オレは改めてふたりに礼を述べてから、獣人族との交渉がどうなったのかを尋ねる。
「率直に言って、あまり芳しくないですね」
即答するのはアルフレッドで、手にしていた書類を差し出した。
「交易品の殆どが、他との取引と重複するといいますか。この土地には必要のないものばかりで……」
「連中は『他とは品質が違う』とか言ってたけどよ。実際はどうだかわかんねえしな」
リストアップされた交易品の目録を眺めやるが、アルフレッドの言う通り、お世辞にも魅力を感じるラインナップとはいえない。
木材、鉱石類、肉節……? ん? この肉節って何だ?
「スピアボアの肉を燻製にしたものですね」
「干し肉じゃないのか?」
「似ていますが、そっちは調味料なんですよ。削ったものをスープにしたりとか」
……ああ、鰹節みたいなもんか。それの肉バージョンってことね。なかなかに面白い。
「……お? 目録の中に炭酸水があるじゃん」
「興味がお有りですか?」
「日本にいた頃は、毎日のように炭酸飲料飲んでたからね。そうか、ここには天然の炭酸水があるのか」
口の中で弾ける爽やかなのどごしを想像していたものの、こちらの感動とは対照的に、ふたりの反応は鈍い。
「……もしかして、そのまま飲むおつもりですか?」
「え? そうだけど?」
「あー……。期待を裏切るようで申し訳ねえけどよ、飲めるようなもんじゃねえぞ?」
聞けば炭酸水は薬として使われ、その味は非常に苦く、飲料としては適さないそうだ。
腕や足を浸すことで筋肉疲労の軽減や、打撲や骨折などの治療を行う、いわば炭酸温泉みたいなものらしい。正直、ガッカリである。
「唯一、マシかなって思えるのは紅玉……、あ、宝石なんだけどな。その程度だな」
書類をテーブルへ戻すと、クラウスはため息混じりに呟いた。
「取引できるものがない、それなら代わりに人を売ろうって考えもわからなくもねえな」
「しかし、短絡的すぎませんか?」
「その昔、ハイエルフの国が統一されていなかった頃の時代は、村の若者を傭兵として、別の部族に売りつけていたもんさ。そうでもして稼がねえと、村全体が食いっぱぐれるからな」
獣人族の連中もやってることは同じってこった。達観したように続けて、クラウスは肩をすくめる。
「とはいえだ。迫害している連中を売りつけようなんざ、胸糞悪ぃだけだな。奴隷商売と変わんねえよ」
「そういった意味でも移住を認めさせることができて良かった。ありがとな、クラウス。口添えしてくれて」
「なぁに、気にすんな。世の中、誠実さだけではどうにもならない相手がいるってことを知れただけでも、いい勉強になっただろ」
頷いて応じ、オレはアルフレッドに視線を向けた。
「猫人族の移住だけど、どのぐらいの人数になるか聞いてるか?」
「正確には把握していないそうですが、大体七〜八十人程度だと」
「意外と少ないんだな?」
「他にも十八の部族が、それぞれに忌み子たちを管理しているそうですから。全体としては千人を越えるのでは……」
千人か……。受け入れる覚悟はしていたけれど、実際に想像すると、途方もない数字だ。住環境だけでなく、食料などを急ぎ確保しなければならない。
と、そんなことを思っていたものの、クラウスの考えは違うらしい。ハイエルフの前国王は、全員が移住してくることはまずありえないだろうと断言した。
「考えてもみろよ、それだけの人数の移住を認めさせるんだぜ? 部族からの反発は必死だな」
部族の長が一定の権限を持つ獣人族の国では、いくら国王といえども、部族内のことへ口出しができない。
「上手く調整できたとしても、限られた部族だけだな。それでも長としては面子を潰されたと思うし、結果として国王の求心力の低下は免れないだろう」
せいぜい、忌み子たちの待遇を改善して、他所から口出しさせないようにする程度に収まるのではないか。
「んでもってだな。それがちゃんと改善されてるか、ちょいちょい隣国の偉いさん方が圧力をかけてやって、最終的には差別をなくすっていう方向に持っていくのが現実的だと思うわけだ」
「そんなに上手くいきますかね?」
「わからん。ただ、今日聞いた限りでは、連中としても経済的に厳しいようだしな。アメとムチを使い分ければ、案外未来は明るいかもしれんぜ?」
経済支援と引き換えに、事実上の内政干渉を行う。極めて効果的な手法だ。期待していいかもしれない。
しかしながら、アルフレッドは違うようだ。
クラウスの話に耳を傾けていたものの、その表情は浮かないままである。
何か、引っかかる点があったのだろうか? 問い尋ねたオレに、龍神族の商人はこんなことを呟いた。
「伝承に残っているとはいえ、どうして同じ種族の中であんなに忌み嫌うことができるのかと考えておりまして……」
アイラから話を聞いていたとはいえ、他の獣人族とは大差がない。それなのに、なぜ忌み子と呼ばれていたのかを、ずっと考えていたそうだ。
「僕には外見ぐらいしか違いがわからないので、もしかすると、彼らにしかわからない、異なる点があるのかも知れませんが……」
「何言ってんだ、アル。差別に理由なんかいらねえんだよ」
クラウスは即答し、そしてなおも続けた。
「見た目が違うなんて、それこそ連中にしてみたら立派すぎる理由さ。なにせ自分たちとは違うんだからな」
「そんな理由で」
「動機になり得るんだよ。お前ら龍人族も、『天界族』っていう名前に変わるまでは、汚れているとかなんとかいって、堕天使族を迫害してきた歴史があるだろ?」
「それは……」
「そんなもんなのさ。どこもかしこも変わらねえよ」
例えば、ハイエルフの国に少数のダークエルフたちが暮らしていたとする。お互いの存在を理解している今だったらともかく、その知識がない状態だったらどうなるだろうか?
「きっと不気味な存在として、ダークエルフを追い出すだろうな」
「中には相互理解に努めようとする人もいるのでは?」
「そりゃいるだろうよ。しかしながら残念なことに、人は深く考えず、ラクな方を選びたがるもんでね。異分子は排除したほうが断然にラクなのさ」
言葉に詰まるアルフレッド。クラウスは真剣な眼差しをオレに向ける。
「そういった意味ではタスクよ。お前さんの選んだ道は厳しいぞ? 異なる種族同士、今でこそ平和に生活しているが、将来はどうなるかわからん」
それでも貫き通すつもりか。無言の問いかけに、オレは口を開いた。
「確かに。将来なんぞどこにも保証はないし、どうなるかもわかんないさ。でも、オレを信じてここで暮らすって決めた人たちもいるんだ。そんな人たちを守りたい。それだけなんだよ」
「……そうだな。お前さんはそういうやつだったな」
一転して、クラウスは爽やかな笑顔を浮かべる。
「ま、やるだけやってみろよ。ダメだったらダメで仕方ねえしな」
「気楽に言うなあ」
「プレッシャーを掛けられるよりマシだろ?」
声高らかに笑い、それからハイエルフの前国王は「とりあえず、いま、できることから始めればいい」と続けた。
「いまできること?」
「そうだな……。例えば、俺の深刻な空腹問題を解決するとかな」
「……は?」
「久しぶりに真面目モードで話をしてたからよー……。もう、腹が減って腹が減って仕方ねえの。さっさと切り上げて、飯にしようぜ!」
その気の抜けた声に、オレとしてはわかったよと返すしかないわけで……。
から揚げを大盛りで頼むというクラウスからの要望に苦笑しながらも、それに全力で応えようと決めたのだった。