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174.離席

 それからというもの、渋々といった様子を匂わせながらも、猫人族の使者は譲歩の姿勢をみせはじめた。


 クラウスの発言が思いのほか効いたらしい。猫人族の管理下に置かれた耳欠けたちを移住させること、こちらからは獣人族の国へ街道を敷くことを交換条件として、交易を結ぶこととなった。


「先程もお話しましたが、権限を与えられているとはいえ、他の部族への干渉はできません。十八ある部族とそれぞれ協議した上で、追々、移住という形を取らせていただければ……」

「わかった。それでいい」


 すっかり恐縮の面持ちとなった次席補佐官が、安堵のため息を漏らす。それを眺めやりながら、アイラは吐き捨てた。


「ふん。所詮は我が身が大事か。保身のためなら手のひらをコロコロと変える。大した交渉術じゃのう」

「おい、アイラ」

「移住が決まったなら用はないであろう? 私はこれで失礼する」


 アイラは嫌悪感を隠そうとせず、部屋中に足音を響かせながら応接室を出ていった。


 勢いよく閉まるドアの音を聞きながら、交渉に同席させたことは失敗だったかなと考えていると、落ち着いた声が耳元に届いた。


「おい、タスク。嬢ちゃんのところへいってやんな」

「いや、本格的な交渉はこれから……」

「俺とアルに任せておけって。心配すんなよ、俺も一応は財務を把握してるからな」


 いつの間に。……でも、そうか。ここ最近、出版事業だけじゃなく、他の仕事も一緒にこなしてたからな。


「子爵の方針は理解していますのでご安心を」

「アルフレッド……。悪いな。クラウスもよろしく頼んだ」


 中座することを使者たちへ詫びつつ、オレはアイラの後を追いかけるように応接室を飛び出した。


***


 エントランスにいた戦闘メイドが、小首を傾げて階段の方を見やっている。


 話を聞くと、一目散に上の階へ駆けていくアイラの姿を見ていたらしい。


 もしかしたら執務室にいるのかもと、三階の一番奥の部屋へ足を運んだものの、ドアを開けたところで中には誰も居ない。


 自分の部屋へ戻ったのだろうかと思い直し、踵を返す。すると、廊下の向こう側からベルが歩いてくる姿を捉えた。


 両手には、先程までアイラが身につけていた真紅のドレスが抱えられている。


「あれぇ? タックンじゃん☆ お話おわったの?」

「いや、それはまだなんだけど……。アイラ見なかったか?」

「アイラっちなら、タックンのお部屋だよ♪」


 オレの部屋? 何で?


「わっかんない♪ すんごい勢いで飛び込んでいったからさー★ なんだと思ってついていったら、いきなりドレス脱ぎだすんだもん」


 ウチの作ったドレス、気に入らなかったのかなあ……と、しょんぼりするベルの頭を撫でながら、そんなことはないよと応じてみせる。


「ちょっとしたトラブルがあってな。ベルのせいなんかじゃないよ」

「そうかなあ……。けっこー、ムリヤリ着せちゃったから、怒ったのかなぁなんて……」

「まさか。アイラも喜んでいたし、それはないって。あとでお礼しにいくっていってたぞ?」

「……ホント?」

「ホントホント。綺麗なドレスありがとな?」


 エヘヘへと照れたように笑って、長身の美しいダークエルフは、頭をグリグリと動かしてオレの手になでつけている。


「何があったかわかんないケド、アイラっちに元気出してって伝えておいてね♪」

「おう。任せろ!」


 ギャルギャルしい格好のベルに見送られつつ、オレは四階にある自分の寝室へと足を向けた。


***


 部屋へ足を踏み入れた瞬間、瞳に映ったのはベッドの上で暴れまわる全裸のアイラだった。


 両手で枕を掴んでは、それを壁に向かって何度も叩きつけている。その姿を眺めやりながら、オレは大きく息を吐いた。


「そんなにやってたら、枕が壊れるぞ」


 それにだな、その枕はオレのだし。結構いいやつなんだぞ? と、ぼんやり思いながらも声には出さず。


 一瞬動きを止めたアイラは、ゆっくりとこちらを振り向いて、力いっぱいに枕を放り投げるのだった。


「あっぶねえな。モノ投げんなって」

「何なんじゃ、タスク! あの連中は!!」


 頭上の猫耳を伏せて、しっぽを荒々しく逆立てながら、アイラは声を荒げる。


「私は今日ほど、あんな恥知らずな奴らと一緒の種族だということを悔やんだことはないっ!!」

「気持ちはわかるがな……。アイラはアイラで、あいつらとは違うだろ?」

「元をたどれば、同じ血が流れているのは間違いないのじゃ! あんなろくでなし共と同じ血が流れているなど、考えるだけでおぞましい……!」


 そう言って、ベッドへうつ伏せに寝転ぶ。オレは頭をかきながら、その横に腰掛けた。


 透き通るような白い肌。その腰のあたりに、忌み子の烙印といわれる黒い模様が見える。


 背中全体を隠すように、オレは毛布をかけてやった。


「……悪かったな。不快な思いをさせて」

「おぬしが悪いわけではない。奴ら、獣人族の連中が悪いのじゃ……」


 もぞもぞと毛布にくるまりながら、アイラは横向きに体勢を変える。


「獣人族の国を離れて二百余年。少しはマシな国になっているのではないかと、ほんのわずかでも期待しておった私が阿呆じゃった」

「アイラ……」

「まさか同胞を奴隷同然に扱い、あまつさえ平然と売りつけようとする下衆だったとはの……。厚顔無恥とはあのような奴らのことをいうんじゃな」

「……」

「何がけじめじゃ! 何が区別じゃ! 現実を直視せず、種族の歴史を都合よく扱っているだけではないか……!」


 身体を起こし、毛布を力強く握りしめて、アイラはなおも続ける。


「災いをもたらすというなら殺せばいい! 生きて恥を晒す一生より、その方が忌み子たちのためにもなろう!? 尊厳も名誉もなく生をまっとうすることに何の意味があるというのじゃ!!」

「アイラ。それは違うと思うよ」


 今にも泣き出しそうな瞳がオレの顔を捉える。


「彼らの置かれている現状はわからないし、どんな思いで日々を過ごしているかもわからない。アイラの言う通り、中には苦しくて死にたいって考えている人もいるかもしれない」

「だったら……!」

「でも、同じぐらいに生きたいって考えている人もいるかもしれない。生きていれば、そのうちいいことがあるかもって、そう信じている人がね」

「そんなこと」

「ないとはいい切れないだろ?」


 目を伏せるアイラの頬へ手を差し伸べた。ひんやりとした彼女の体温が指先から伝わってくる。


「オレはね、アイラ。忌み子として捨てられたアイラが、生きることを選んでくれたことに感謝しているんだ」

「……感謝?」

「もし死んでたら、オレたち出会ってなかったんだぞ? 感謝すべきだろ」

「……」

「お前がいたから。アイラがいてくれたから、オレはこの世界でも生きていけるって思ったんだ。ひとりだったら、とっくに野垂れ死んでるって」


 どういう表情をしていいのかわからないといった様子の猫人族に、オレは笑顔を向けた。


「アイラと出会って以来、毎日、楽しくてしょうがないんだよ。……たまに仕事手伝えとかそんなことは思うけど。まあ、つまり、その、なんだな……」


 改めて言葉にするとなかなか気恥ずかしいけれど、まっすぐにアイラを見つめて、オレは続ける。


「ありがとな。アイラと出会えたことを、心から誇りに思うよ」

「タスク……」

「あ。そうだ、さっき言った女神様っていうのも嘘じゃないからな! アイラのことだからお世辞とか思ってそう」


 言葉尻を遮って飛びついてきたアイラは、そのままベッドの上へオレを押し倒した。


 そして無言のまま、胸元に顔をグリグリと押し付けている。


 オレは軽くため息を吐いてから、栗色の美しく長い髪を撫でてやった。


「ベルが気にしてたぞ? ドレスを気に入らなかったから、アイラが怒ってたんじゃないかって」

「……」

「あとでちゃんと謝って、それからお礼もしような?」


 こくりと、胸の中で小さく頷くアイラ。オレはそのまま、アイラを抱きしめ続ける。


 やれやれ……。悪いな、アルフレッド、クラウス。どうやら応接室には戻れそうにない。


 獣人族との交渉は、引き続き、お前らへ任せることにするよ。

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