171.交渉(前編)
執務室へその一報を知らせに来たのはカミラで、財務報告へ訪れていたアルフレッドがその詳細を尋ねた。
「使者は合計で何人ですか?」
「四名です」
「お。奴さんたち、本気できたな」
ソファに寛ぎながらマンガの原稿に目を通すクラウスが呟く。
「どうしてわかるんだ?」
「獣人族が少人数で交渉に望む時は、一定の権限を持つ使者を訪問させるのが慣例でして」
「人数からすると、交渉役はひとりだけだな。あとは護衛だろ。少し厄介かもな」
「ですね。最初で下手を打ってしまったので、なんとか挽回したいのでしょう」
ふたりとも慣れた様子でやり取りしているけど、オレとしてはどういうところが厄介なのか、イマイチわからない。
「話術に優れているといいますか……。虚実を織り交ぜるのが巧みなのですよ」
「胡散臭いって正直に言ってやりゃあいいんだよ。仕草や表情も鍛えられているからな。いちいち面倒くせえ」
明瞭快活なクラウスにしてみれば、相容れないタイプなのだろう。吐き捨てるような言葉にアルフレッドは肩をすくめた。
「どういう相手なのかはわかった。とりあえずアイラに支度をさせて、それから使者は応接室へ案内してくれ」
「かしこまりました」
一礼して部屋を出ていくカミラを見送り、オレはふたりを交互に見やった。
「……で。オレはどうしたらいい?」
「手筈通りに進めれば問題ありません。使者たちが来た際の準備は整えていましたし」
「あとは感情的にならないことだな。領主なんだ、せいぜいしゃんとしとけよ……って言ったところで、お前さんの性格上、なかなか難しいか」
「放っとけよ」
悪ぃ悪ぃと声を立てて笑うハイエルフの前国王。程なくして真面目な表情へ変わると、何かを呟いた。
「俺としては、お前さんのそんなところを気に入っているんだが……」
「なんか言ったか?」
「なんでもねえよ。……さてと、話のついでだ、俺も交渉に同席してやるよ」
「いいのか?」
「邪魔じゃなければな」
「とんでもない。心強いですよ」
「あくまで同席するだけだけどな。話し合い自体はお前らに任せるさ」
せいぜいお守り程度と思っておけと続けて、再びクラウスは笑った。
例えお守りだとしても、そばに居てくれるだけで心強い存在には変わりない。
それからしばらく経った後。
真紅色の細身のドレスに身を包んだアイラが、ベルに連れられて執務室に現れた。
***
ドレス姿のアイラは思わず息を漏らしてしまうほどの美しさなのだが、着ている本人には不満があるようで、憮然とした表情からは、すぐにでも文句が飛び出してきそうな気配だ。
「おっ、似合ってるじゃねえか。アイラの嬢ちゃん」
「ええ、お似合いですよ。三毛猫姫」
「やっ、やかましいっ!」
「はーい♪ アイラっち、怒っちゃダメだよー。メイク崩れちゃうからねえ☆」
暴れようとする猫人族の身体をガッチリと抱きしめるベル。オレはアイラの手を取り、伏し目がちの顔に視線を合わせて呟いた。
「アイラ」
「な、なんじゃ……」
「綺麗だぞ」
「……っ!」
「獣人族の連中に、アイラのこと自慢させてくれよ。こんな綺麗な奥さんがいるんだってこと」
頭上の猫耳をぴょこぴょこと動かしてから、アイラは得意げな顔を浮かべてみせる。
「ふっ、ふんっ。お、おぬしがそこまでいうなら仕方ないの。妻の代表として、立派に務めを果たそうではないかっ」
「おう。その意気だ。よろしく頼むよ」
「ぬふふふふ〜! 頼まれた! 大船に乗ったつもりで任せるが良いっ!」
そう言って、アイラはのけぞるように胸を張った。話し合い自体には参加しなくていいんだけど、こういうのは気持ちが大事だしね。
視線を外した先では、アルフレッドとクラウスのふたりがニヤニヤとした眼差しでこちらを見やっている。何が言いたいのかはわかっているつもりだから、そっとしといてくれ。
とにもかくにも準備は整った。ベルの「頑張ってね〜☆」という声援を背中へ受けつつ、オレたちは応接室へ足を運んだ。
***
応接室の長テーブルで待ち構えていたのは若い猫人族の使者で、その後方には三人の護衛が微動だにせず佇んでいる。
緑色の髪と芥子色の肌をした猫人族の使者は、同じ種族のはずなのに、アイラとはかなり異なる外見だ。
そりゃそうか。見た目で忌み子とか判断するぐらいだしな、とか、そんなことを考えながら椅子へと腰掛けると、猫人族の使者は早速とばかりに口を開いた。
自らを王の次席補佐官と名乗った若い使者は、快く招き入れてくれたことへの感謝と先日訪れた使者の無礼を丁重に詫びつつ、テーブルの端へと視線をやっている。
「それにしても、ハイエルフの前国王クラウス様がいらっしゃるとは……。タスク様の交友関係には驚かされます」
言動に不釣り合いの驚きのない声へ、つまらなそうにクラウスが応じる。
「なぁに、ちょうど遊びに来ていた時でよ。せっかくだから同席させてもらおうと思ってな。邪魔はしないから気楽にやってくれ」
「ご配慮痛み入ります。ところで……」
次席補佐官の視線がオレの右隣へ移った。
「失礼ながらそちらの女性は……」
「私の妻で、名をアイラという。同じ獣人族だ。思うところもあるだろうと同席させることにしたのだが」
「タスク様の奥方様は龍人族の姫君と伺っておりましたが……」
「おふたりは姉妹妻で、アイラ様が姉君、リア様が妹君にあたります」
アルフレッドが補足で説明するも、普段の生活を見る限りでは、まるっきり逆なんだよな……。
話に耳を傾けていた次席補佐官は自らの不勉強と、アイラへの無礼を丁寧に詫びている。
アイラが忌み子だと気付いていない口ぶりのようにも受け取れるけど、どうなのだろうか?
「――さて、本日伺ったのは他でもありません」
話を区切るように言葉を継いで、次席補佐官は訪問の口上を述べた。
現状の対外交易が上手くいっていないこと、それを打破するためにここへきたこと、今年の穀物の生育状況が芳しく無く、できれば食料を中心に取引できないかということ……。
どこからどこまでが本当なのか判別がつかない口ぶりは、なるほど、虚実を織り交ぜて話をしてくるというのはこういうことかと納得するばかりだ。
「懇意にしているハイエルフの方々より、タスク様が治める領地の噂を聞きまして。ぜひ我々もお取引をお願いできればと考えた次第なのです」
猫人族の使者が一息入れたのを見計らい、アルフレッドが口を開く。
「タスク様も先日より熟考を重ねられ、是非とも獣人族の皆様と誼を結べればと考えられておりました。こちらからもよろしくお願いできればと」
「おお、それはなによりです」
「ただし、条件がありまして……」
「ほう。条件ですか」
「はい。こちらを汲んでいただくことが、交易の前提となります」
アルフレッドが一枚の書面を次席補佐官へと差し出した。
その内容は『獣人族の国において『忌み子』や『耳欠け』等と蔑称、差別される制度の全面的な廃止』を要求するものであり、移住を望む本来の要求とは異なるのだが。
龍人族の商人曰く、最初は強気で臨み、妥協点を引き出したほうが良いということで、この文面にしたのだった。
条件に目を通した猫人族の使者は表情を変えず、さらには頭上の猫耳すら動かすことなく、平然と書面をテーブルへ戻した。
「失礼を承知で申し上げますが……。この書面の内容が理解できません」
困惑気味な声を発する使者に、アルフレッドが応じる。
「これは異なことをおっしゃいますね。古来より獣人族の国では忌み子などの風習が残っていると聞き及んでおりますが?」
「忌み子と決めつけた赤子を捨てる、または命を奪うなど、残酷な行為が行われていたのは確かです。しかし、それはあくまで昔のこと。今では行われておりません」
「では、『耳欠け』と呼ばれる人たちをなんと説明なさるおつもりです? 過酷な労働を強いられ、劣悪な環境に身を置く彼らの存在こそ、他ならない差別の証拠ではないのですか?」
冷静に事実を指摘をしていく龍人族の商人。対して、猫人族の使者はわずかな動揺も見せず、むしろ穏やかな表情で淡々と返事をするのだった。
「皆さんは何か誤解をされているようです。それは差別ではなく、獣人族のけじめの問題でして……。言うなれば一定の区別をしているだけなのですよ」