156.お花見
それから二日後。
五分咲きだった桜は満開となり、タイミングを合わせたようにジークフリート達が領地にやってきた。
意外だったのはファビアンも一緒だったということで、新事業が忙しくて戻るヒマもないのかと思っていたものの、
「何を言っているんだい、タスク君! 話を聞けば、桜という花は大変に美しく可憐なものなのだろう!? であれば、ボクの美貌を引き立てるのにピッタリじゃないか!」
「いや……、その理屈はよくわからんけど」
「それにだね!」
「聞けよ人の話」
「ボクの愛しい人に、寂しい思いをさせるつもりはないからねっ!」
なんて具合に、長い前髪をかきあげて、きらびやかに微笑むわけだ。相変わらずの平常運転なので、ある意味安心するな。
ファビアンの言う愛しい人、つまりはフローラのことなんだろうけど。
ここ最近は、ヴァイオレットと妖精たちに混じりつつ、しらたまとあんこの二匹と楽しそうに過ごしているので、寂しがっているかどうかは疑問が残る。
ま、人の恋愛に口を挟む趣味もないし、お節介を焼いたところでソフィアみたいなことになっても困るだけだから、とりあえずは本人たちに任せておこう。
とにもかくにも、異世界に来てから初めてのお花見なのだ。せっかくなら大勢で楽しみたい。
とはいえ、新たに移住してきたハイエルフやダークエルフは、突然開催される宴会に戸惑いしかなかったようだ。
新年でも収穫祭でもないのに、どうしてお祭りが開かれるんだ? と、元々いる領地のみんなへしきりに質問していたみたいだけど。
「ここはそういう土地だから」
と、同じ言葉が返ってくることへ納得したのか、今では率先して準備を手伝っている。
考えてみれば、移住者たちの歓迎会を開いていなかったのでちょうどいい機会だったのかもな。
そんなことを口にすると、戦闘メイドのカミラは意外そうな声を上げた。
「移住者のために歓迎の催しを開くなど、聞いたことがありません」
「そうなのか?」
「ええ。領地側は労働者として受け入れるだけですし、本人たちもそのつもりでやってきているでしょうから」
むう、なかなかに割り切った関係性だな。
「とはいえ、同じ領地に暮らす仲間なんだ。オレの目が届くうちは歓迎してあげたいよ。あ、もちろん、新しく来たメイドたちも一緒にね」
「……かしこまりました。そのように伝えておきます」
礼儀正しく頭を下げるカミラ。返事はそっけなかったけど、どことなく嬉しそうな声だったのは気のせいじゃないと思いたい。
***
桜の木の周辺へ次々に料理と酒が運び込まれていく。
保険の意味で数本植えておいた木々も、七分程度にまで桜が咲き、満開の桜の木と共に、なかなか見応えのある光景となっていた。
「おう、タスク! そなたも一杯どうだ!」
ひとり早くも宴を始めているのか、来賓席へ腰掛けたジークフリートは、赤色の液体がなみなみと注がれたグラスを掲げ、豪快な笑い声を上げている。
「止めておきますよ。この前、早々に酔いつぶれちゃったんで」
「なんだ。義父の酒が飲めんというのか?」
「タチの悪い絡み方しないでください。あとで乾杯の挨拶してもらうんですからね? お義父さんこそ飲みすぎないでくださいよ」
わかっとるわかっとると鷹揚に頷く龍人族の王。本当にわかってんのかな? 賢龍王へあまり酒を勧めないよう、アレックスとダリルに言っておかないと。
あ、そうそう。アレックスとダリルといえば、今回、花見料理として用意したカレーに興味があるようだ。
元々暮らしていた土地が人間族の国だったこともあり、香辛料に馴染みこそあったものの、スパイスを調合して作るカレーは未知の料理だったらしく。
「面白いですね。組み合わせ方で香りも味わいも変わるとは……」
「焙煎するとさらに違った味になるのかよ……。奥が深いな、こりゃあ……」
なんて感じで、試食の段階からカレーの虜になっていた。スパイスを多用した料理は、ハーフフットの味覚にあうのかもしれないな。
そして彼ら以外にも、カレーの虜となった人物がもうひとり。誰であろうリアである。
薬としても使われる香辛料を多用し、カレーという料理に変貌させることは、優秀な薬学者でもある彼女の知的好奇心を大いに刺激したのか、
「美味しいものを食べながら健康になれるなんて……。ボク、カレーのこと、気になります!!」
どこかの古典部に所属しているヒロインのような言葉を口にしつつ、リアは瞳を輝かせ、カレーとはなんぞやと矢継ぎ早に問いかけた。
オレ自身、専門家というわけではないので、知ってるだけのことしか教えられないのだが、それでもリアの研究対象として、カレーが新たに加わったらしい。
そんなわけで、今回用意された花見料理の中にはカレー風味のから揚げとか、ロングテールシュリンプのカレー炒めとか、アレンジを加えられたメニューが多数見受けられる。
クラウスがお土産で持ってきた香辛料が早くも底を付きそうな様子だけど、ま、いいか。
気がつけば食欲を刺激する香りが辺りに漂いはじめ、領民のみんなも揃っている。どうやら準備が整ったようだ。
それを察したのか、すでに赤ら顔のジークフリートが立ち上がる。そして短い挨拶と共にグラスを掲げ、ひときわ大きな声を発した。
「乾杯!!」
あちこちで交わされる乾杯の声と共に笑顔が弾け、異世界初となる花見がいよいよ始まった。……始まったんだけど。
ハイエルフの前国王であるクラウスだけは、花見の場所にその姿を表さなかった。
***
ワインの瓶を片手に抱え、オレは旧家屋の二階へと足を運んだ。
以前使っていた寝室には、椅子とテーブルを設け、ひとり窓辺から景色を見やっている、銀色の長髪をしたハイエルフがいる。
「おう、タスク。よろしくやらせてもらってるぜ」
優雅な手付きで口元へグラスを運ぶクラウス。スライスしたハムとチーズの盛り合わせがテーブルの上に陣取っているが、その表面はやや乾燥しており、どうやら手付かずのようだ。
「花を愛でながら酒を飲む宴なんだろ? つまみはオマケみたいなもんさ」
「酒ばっかりだと体に悪いぞ。あとで何か食べ物持ってくるよ」
それじゃあから揚げで頼むと笑うクラウスに、はいはいと乱暴な返事で応じ、オレは同じように窓から外を眺めやった。
遠く先に桜の木々が望め、窓越しから賑やかな喧騒が漏れ聞こえる。
「宴会、一緒にやればよかったのに」
「ん? んー……。俺がいることがバレたら、ハイエルフ連中が気を遣って楽しめないと思ってよ」
「ここで暮らすんだろ? 遅かれ早かれ、クラウスのことはバレると思うけど」
「そりゃそうだな、違いねえ。ま、気持ちの問題ってやつさ」
ハハハと笑い声を上げ、クラウスは再び窓辺を見やった。
「どっちにせよ、ジークのおっさんは泊まっていくんだろう? そうなったら夜遅くまで酒の相手をしなきゃならんしな。今はこのぐらいがちょうどいいんだよ」
「そんなもんか?」
「そんなもんさ。だから、タスク。お前さんも気を遣う必要なんかないんだぜ?」
……バレたか。せっかくならみんなで楽しみたいと思っていたんだけどね。
「ここでも十分楽しめてるって。桜も見られるし」
「それならいいけど……。これ、差し入れのワインな」
「おっ。ありがたいねぇ。白のボトルを空けちまうところでさ、そろそろ赤にしたいと思っていたんだ」
随分ハイペースで飲んでるみたいだけど……。大丈夫なのかね?
とりあえず意識がはっきりしている内に、要件を伝えなければ。
「エリーゼから連絡でな」
「うん?」
「将棋マンガのプロットを書いてくれたらしい。あとで確認してくれって」
「おっ、マジか!? さすがはタスクの嫁さんだな。仕事が早いねえ」
ウンウンと感心したように頷くクラウス。
「花見が終わった夜にでも渡すから、飲みすぎて酔い潰れないようにな?」
自戒の意味も込めて呟くと、ハイエルフの前国王はわかってるさと片手を上げて応じてみせる。ま、オレなんかより遥かに酒には強いだろうし、心配ないだろうけど。
それじゃあまた後でと言い残して寝室を出たオレは、慣れた足取りで階段を降りていく。
住み慣れた家に他の誰かが暮らしていると違和感があるな、なんて、そんなことをぼんやり思いながらリビングに出ると、またもや違和感のある人物が、オレの視界を捉えるのだった。