146.春の訪れ(後編)
閑話休題。
このところ、ジークフリートとゲオルクがやってくる度、薬学研究所へ足を運んでいたので、身体に不調でも生じたのかと心配していたのだが、どうやらそうではないようで。
リアが言うには、クラーラが新しい下水処理の方法を発見し、それの見学にきていたらしい。
へえ、それはスゴイじゃんかと感心しきりで褒め称えていたところ、
「別にすごくはないわよ。発酵や微生物の研究を応用しただけだから」
なんて具合に、クラーラからはそっけない返事が。
排泄物を処理する微生物に改良を加え、従来の三倍の速度で分解できるようにしたとのことで、首都の下水処理に使われているアーロイス式スライムと同等か、それより少し上の性能だそうだ。
領地での運用試験を経て実用化を目指したいと思っているものの、首都の水道関係は既得権益による取り決めが厳しく。
割り込む余地がないかどうか、ジークフリートとゲオルクに相談を持ちかけていたらしい。
「ふたりは何だって?」
「新技術を持ち込むと反発が激しいだろうから、止めておいたほうがいいって」
両手を肩まで上げて、クラーラは応じた。うーん、ガッチガチの保守層が権利を握ってるなら、その判断もやむを得ないか。
それにしては落ち込んだ様子もなさそうだけど……。他にいい考えでもあるのかと尋ねるオレに、サキュバスの少女は不敵に微笑む。
「あったり前でしょー。研究成果を埋もれたままにしておくわけないじゃない」
「お父様たちが、首都がダメでも、他の地域で役立てればいいじゃないかと仰ってくれて」
隣にいるリアがニッコリと続けた。水道設備が未発達の他国で役立てればいい。そういう助言をもらったそうだ。
他の国で行っていることを既得権益層に追及されたところで、知らぬ存ぜぬで押し通せばいい。
もし、立場が苦しくなるようだったらジークフリートへ直接相談するようにと、後押しまでしてくれたらしい。
「そんなわけで、どんな場所でも設置できるように、いまは水道設備のコンパクト化の研究を進めてるってわけ」
「上水道と下水道が整えば、衛生面も向上しますし!」
「完成したら、ここから他の国へ持っていくんだから。その時はよろしく頼むわね」
美しい研究者たちの声に、オレは任せておけと力強く頷き返すのだった。
***
あ、そうそう。例の種子の続報なんだけど。
十日以上かけてようやく芽が出たかと思いきや、それからの成長は恐ろしく早いもので。
作物か草花が育つかなという予想に反し、気がつけば立派な樹木になっているという現状なのだ。
そこまでは良かったものの、問題はここからで。
なんと表現したらいいだろうか。樹木として明らかに形がおかしいのだ。
真正面から見て、左半分は天に向かってまっすぐ枝が伸びているのに、右半分の枝は明らかにしだれて、地面に向かっているし。
かと思えば、立派に生育しているにも関わらず、未だに葉っぱだけしか生えない状況で、ひとつたりとも花が咲かないのである。
葉の形からして広葉樹っぽい気もするんだけど、こんな樹木見たこともないしなあ……。
「私も見たことないわねえ……」
オレの右肩へ腰掛けてココが呟く。
「ねえ、タスク。アナタ、構築の際、何かしたのではなくって?」
「何もしてないって」
「どうかしら。私達の祝福の魔法は完璧だったもの。異邦人って少し変わってるし、アナタが怪しいと思うの」
たった一本、樹木が育たないだけで酷い言われようだな、おい。
「まあまあ、ココ。ご主人のことをそんなに疑っちゃダメっスよ」
左肩に鎮座するロロが声を上げる。
「ご主人のことっス。時間を掛けてでも、この木のことをちゃんと育ててくれるっスよ」
「そうかしら?」
「そうに決まってるっス! この間のタピオカツリーみたいな感じで、食べたことのない、美味しい木の実が成るはずっス! 楽しみにしてるっスよ!」
……信じてもらえるのは嬉しいけど、一方的に決めつけられるのは困るなあ。
「……たぴおか…? ……もち…もち……。タスク……わたし……たべたい…………たぴおか………」
頭上で寝転ぶララが声に出すと、ココとララがそれに応じる。
「いいわね。久しぶりに私もタピオカ食べたいわ」
「あ、自分も食べたいっス、ご主人! エリーゼさんの淹れたお茶と一緒に!」
「わかった、わかった。それじゃあ、タピオカの実採って帰るか」
「やった!」という歓声を耳にしつつ、オレはタピオカツリーに向かって足を向けようと思ったのだが、その前に。
試したいことがあるんだよねと足を止め、樹木から伸びる枝を一本手に取った。
おもむろに呟いた「再構築」の声と共に、掴んだ枝は種子へと変化していく。
何本かの枝を種子に変えたところで、オレはそれらを地中に埋めるのだった。
「何してるの?」
「この木が上手く育たなかった時のための保険だよ」
要は数打ちゃ当たる方式だ。途中で成長が止まってしまったとしても、他の種子に可能性を見いだせればそれでいい。
もっとも同じ木から採取した種子なので、植えたところで結果は同じになるかも知れないけど。ま、それはそれ。試す価値はあるだろう。
もしヤバそうなものに育ってしまったら、ガス抜きがてら、ソフィアに爆炎魔法を頼んで焼き払ってもらおう。
そんなことを考えながら、オレはタピオカの実の採取へ向かうのだった。
***
街道と防壁の設置は着々と進んでいる。
西にある竜人国の宿場町と、東にあるダークエルフの国の首都までを繋ぐ交易路はつい先日完成し、中継地であるこの領地から、北西部ハイエルフの国まで伸びる街道工事が始まったばかりだ。
新たな交易路を確保できるということで、ハイエルフ側も積極的に工事へ参加してくれているのは非常に助かる。おかげで思ったより早く完成しそうだ。
時間がかかっているのは、むしろ防壁の設置である。
ようやく東側の設置を終え、今度はハイエルフの国側、北西部の工事へ取り掛かることになった。
工事責任者はロルフに代わってヴァイオレットが担当する。軍の将官を務めていたこともあり、防衛施設についても造詣が深いようだ。
ハーバリウム講習で出かける以外の日を監督してもらっているのだが、設置する範囲が広くなかなか進まない。
「これだけ険しい樹海なら、自然が要塞となってくれるだろう。これといって防壁など必要ないと思うのだが……」
そこまで言うと、美貌の女騎士は苦渋の面持ちに変わり、握りこぶしを作って、ひときわ大きな声をあげる。
「だがしかしっ! 物事に絶対はないからなっ! 私がこの地にいる以上、不貞な輩に一歩たりとも足を踏み入ることはさせんっ!」
「それは頼もしい」
「うむ! そうであろう、そうであろう!」
ウンウンと何度も頷き、ヴァイオレットはそばへ寄り添う、しらたまとあんこの身体へ顔を埋めた。
「万が一、この子達が誘拐などされたらと考えると、私は生きた心地がしないからな!」
「みゅー」
「おぉぅ、よーしよし。いい子たちでちゅねえ……。しらたまたんも、あんこたんも、おねえたんが守ってあげまちゅからねえ?」
「みゅー!」
途端にだらしない顔へ変わったかと思いきや、ミュコランたちへ頬ずりを始めるヴァイオレット。
……えーと。一応ですね、オレだけとはいえ、人前ですのである程度は控えていただけると。
六秒ほど経過してから、ようやくオレの存在を思い出したらしい女騎士は、ぷるぷると身体を震わせ、そして耳まで真っ赤に染めながら、お決まりの言葉を口にした。
「くっ……!! こ、殺せっ!! 殺してくれぇっ!!!」
***
……いやはや。思い返すだけでどっと疲れるな。
しかし、この領地も本当に賑やかなものになった。食料の確保はおろか、住居作りに四苦八苦していた頃が嘘のような発展ぶりだ。
考えてみたら、オレがこの世界に来て、もうすぐ一年になるのか……。
豆腐ハウスでの暮らしも悪くはなかったけど、やっぱり今の生活の方が遥かに楽しい。
領主としてやることも増えたし、のんびりダラダラとした暮らしは夢のまた夢になっちゃったけど。
そんなことよりも、考えていること、やりたいことが明確になってきたのだ。
みんなの今後のためにも、生きている間は役目をしっかり果たすことにしよう。
決意を新たに、オレはすっかり冷めてしまった紅茶を一気に喉元へ流し込んだ。
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再開は週明けの予定です。
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