139.ハイエルフ前国王クラウス
ハイエルフの国の前国王?
「前国王って……前の王様ってことですよね?」
「それ以外に何がある?」
おかしなことを聞くやつだと言わんばかりに、ジークフリートは首を傾げる。
いやいやいや、確認したくもなるでしょ? だってさ、どう見たってオレより若いもん。
多少大人びた雰囲気はあるものの、せいぜい二十代前半……いや、十代後半の外見だぞ、この人。
イケメン度合いではさっき会ったばかりのルーカスに引けを取らないものの、若々しい分、こちらの方が活発な印象を受ける。
王様よりも王子様という肩書きの方がしっくりくる姿に見惚れていると、ジークフリートは口を開いた。
「あ。言っておくがな、そんな見た目でも相当の年寄りだからな。騙されるなよ?」
年寄り? この人が?
「ジークのおっさんの方がよっぽど年寄りじゃねえか。俺はまだ九六〇歳だっての」
銀色の頭髪をボリボリとかきながら、ハイエルフの前国王が反論する。……は? 九六〇歳? 聞き間違いじゃなくて?
『るろうに剣心』の緋村剣心を地で行く、年齢不詳の人物なのか……?
目をぱちくりさせて呆然と立ち尽くす最中、ハイエルフの前国王はオレをじぃっと眺めやってから、少年のような屈託のない笑顔を見せた。
「ジークのおっさんから聞いてはいたけど、面白そうなヤツだな、お前」
「は、はあ」
「そんな固くならなくていい。オレのことは気軽にクラウスと呼んでくれ」
***
こたつへ潜り込んでしばらくの間、オレはクラウスの話に耳を傾けていた。
ハイエルフの国は世襲制ではなく、現国王が次の国王を選出する指名制だそうで、クラウスも五年前に現国王へ王位を譲ったらしい。
「王様辞めたら暇になるからな。隠居ついでにあちこち旅してたんだよ」
ジークフリートのところには一年に一度必ず立ち寄っていたのだが。
つい先日訪れた際、久しぶりに将棋を指したところ、見違えるほど腕前が上達していることに気付いたクラウスが、ジークフリートを問い詰めた、と。
「聞いたら異邦人がやってきて、そいつと頻繁に指してるって話じゃんか。そりゃあ反則だろう、オレにも会わせろって話になったわけよ」
ニカッと笑う表情からはフレンドリーさしか感じない。裏表のない人なんだろうな。
「クラウスさんは……」
「クラウス。呼び捨てで頼むわ」
「あー……、クラウスはハヤトさんに会ったことがあるのか?」
「まさか! オレ、九六〇歳だぜ? その頃は生まれてねえもん」
そりゃそうか。冷静に考えたら二千年も前の話だからな。
「ジークのおっさんたちと冒険に出てたのは、先々代の爺様たちだよ。将棋はその人たちから教わったのさ」
「活きのいいのがいると、大分前に連れてこられてな。これがもう、大層な悪ガキだった」
ジークフリートが懐かしむように口を開き、ゲオルクが応じる。
「そうだな。負けると半べそをかきながら『もう一局!』と喚く、負けず嫌いの子供だったな。それが国民から慕われる国王になるのだから、成長というのは実に尊いものだよ」
「お、おい。やめろよ、八百年以上も昔の話じゃねえか!」
赤面するクラウスをからかうふたりだが、時間の桁が違いすぎて、正直想像すらできません……。
「それで。今日は将棋を指しに?」
オレの問いかけに、クラウスが不敵に笑う。
「それもある。だが、本題は別さ!」
オレの両手をいきなり掴んだクラウスは、瞳を輝かせ、そして興奮混じりに叫んだ。
「頼む! オレに、作りたてのから揚げをごちそうしてくれないか!?」
***
その瞬間、オレの思考が停止した。
だってそうだろう? いきなり何を言われるのかと思ってたら、から揚げ作ってくれだよ? そりゃ思考も止まるって話で。
ジークフリートもゲオルクも、同意するようにウンウン頷いているし。何なんだ一体……。
「いや、これには深い事情があってな」
クラウスに代わってジークフリートが話してくれたのだが、要はこんなことらしい。
久しぶりにクラウスが龍人族の国を訪ねてきたこともあり、再会を祝してもてなしてやろうと考えたジークフリートは、ゲオルクに頼み、オレからのお土産である料理三品を宴席へ並べたそうだ。
見たことも味わったこともない料理に舌鼓を打つクラウスが、中でも一番に気に入ったのがから揚げだった。
そこでゲオルクは、から揚げと共に添えておいたオレからのメモを代読することにした。
「そのままでも十分美味しいから揚げですが、レモン汁を掛けたり、マヨネーズを添えると、また違った味わいになります」
なるほど、それはぜひ試してみなければと、レモン汁とマヨネーズで実際に食べ比べをしたのだが。
から揚げにはレモン汁を掛けた方が美味しい派のクラウス、マヨネーズを掛けた方が美味しい派のジークフリートで意見が真っ二つに分かれてしまい。
それからというもの、双方による全力のケンカが自然発生。仲裁に入ろうとしたゲオルクは次のように場を納めたそうだ。
「用意したから揚げは冷めていて、正確な味を判断するには条件が悪い」
「作りたてのから揚げなら、どちらの調味料が合うのか、公平なジャッジができるだろう」
「タスク君にから揚げを作ってもらって、その場で食べ比べるというはどうだろうか?」
「将棋も指せるし、一石二鳥じゃないか」
……完全にもらい事故案件です。本当にありがとうございました。
それで場を納めちゃうふたりもどうかしてるけど、ゲオルクも簡単にオレの名前を出すなって! 巻き込まれるこっちの立場にもなってみろよ!
はあ……。とは言えゲオルクも必死だったんだろうな。古龍種とハイエルフの前国王のケンカとか、ゲオルク以外止められそうもないし。他に可能性があるならハンスだけど、ウチの領地へ滞在してるからなあ。
とはいえだ。原因の一端がオレにないわけではない。親切心で書いたメモ書きがこんな騒動になるなんて……。
眉間を手で押さえながら頭痛に耐えるオレだったが、気にも留めずにクラウスが口を開く。
「ジークのおっさんが悪いんだぜ? 揚げ物なんだからさっぱりした調味料が合うはずなのに、あんな脂っこい物を勧めてくるんだからよ」
「……あ゛あ゛っ? いつから美食家気取りだ、小僧? 美味いものに美味いものを重ねれば、より旨くなるというのが世の真理。大体だ、さっぱりした味を求めるとか、歳を取りすぎたのではないのかのお?」
「はあっ? 年寄りはどっちだよ。アンタなんか二八○○歳のヨボヨボじじいじゃねえか」
「お? なんだ、昨日の続きをやるか?」
「おぉ? 上等だ……。いい加減引退させてやるぜ、『賢龍王』さんヨォ……?」
今まさに「不運と踊っちまった」的な、特攻の世界観に包まれようとしている場を抑えたのはやはりゲオルクで、
「明日、タスク君がから揚げを用意してくれるまで我慢するように」
と、説得してるんだかよくわからないセリフを残し、お茶を淹れてくると席を立つのだった。
ああ、やっぱり作ることは確定してるんですねと心の中で思いつつ、お茶の用意を手伝うために席を立ったオレを、ゲオルクは手で制した。
「悪いがアイツらを見張っていてくれ。いい大人がみっともなくて恥ずかしいばかりなのだが……」
ヒソヒソ声に見合わない、ひときわ大きいため息をついたゲオルクへオレは問いかけた。
「ちなみになんですけど。ゲオルクさんはレモン派なんですか、マヨネーズ派なんですか?」
あいつらにも言うなよと釘を指してから、ゲオルクは続けた。
「そのままが一番美味い」
それ、完全に同意です。