111.年越し(中編)
アルフレッドが帰った後、入れ違いで自宅にやってきたのはソフィアだった。
「あれ? ねえ、たぁくん。アルフレッドさんはぁ?」
「アルフレッドならもう帰ったけど」
「ちぇっ……遅かったかぁ」
今日もフルメイクを決め込んだ魔道士は、オレンジ色のツインテールがより一層映えるような、余所行きの上品なドレスを身にまとっている。
「どこかに出かけるのか?」
「ちょっと宮中の催しにねぇ」
「へー。アルフレッドと一緒に行くって約束してたのか?」
「え? そんなのしてないよぉ? これからお願いしようとしてたに決まってるじゃなーい」
行けて当然と思っていたのか、ソフィアはツインテールの片方を手でくるくると弄びながら、落胆の声を漏らした。
「はぁぁぁ……。アタシみたいな美人が隣に並んでたら、嫌でもアルフレッドさんの妻って思われるかなあ、そこから女として意識されるかなあって思っていたのにさぁ」
「さいですか……」
「なぁに他人事みたいに言ってるのよぉ、たぁくんってば。アタシとの約束忘れたのぉ!?」
「約束? なんだっけ?」
「アルフレッドさんとの仲を取り持ってくれるって言ったじゃない! それなのに全っ然、役に立ってくれないんだもん!」
……あー、そういえば。この前まではしっかり覚えていたんだけど、いろいろありすぎてすっかり忘れてたな。
しかしなあ。人の恋路を邪魔するのはオレの趣味ではないし、アルフレッドとグレイスが並んで話しているのはなかなか様になっているというか……。
「こうなったら、一族秘伝の媚薬でも作ってやろうかしらぁ。クラーラに頼めば材料分けてくれるだろうしぃ」
ブツブツと物騒なことを言い始めるソフィアを止めようと口を開きかけた瞬間、背後からドアの開く音が聞こえた。
「おや、ソフィア様。ソフィア様もエリーゼさんにお呼ばれしたのですか?」
噂をすればなんとやら。振り返った先には知的な顔に微笑みをたたえるグレイスの姿が。
「グレイス、どうしたんだ? 何か持ってるみたいだけど」
「ええ、実はエリーゼさんからティータイムに誘われておりまして、お茶請けにチョコレートを持ってきたのですよ」
「なるほどね」
「ソフィア様もお呼ばれしているとは知りませんでしたが……。ずいぶん気合の入ったドレスですね?」
「えっ!? あ、あはははは……ちょ、ちょっとねえ。年内最後だし、おめかししようかなって……」
乾いた笑いで応じるソフィア。ま、本当のことは言えないわな。
「タスク様もご一緒にいかがですか? この後、仮眠をとりますし、さほど長いお茶会にはならないと思いますので」
「仮眠? 仮眠ってなんで?」
「年越しのお祝いは長丁場ですので、皆、今のうちに少し寝ておくのですよ」
……と、言われてもなあ。年越しのお祝い自体何やるか聞いてないし。
そんなオレの様子に気付いたのか、ソフィアは納得したように頷いてみせる。
「あっ、そっかぁ。たぁくんはこっちの世界の年越し初めてだったもんねぇ」
「そうなんだよ。みんな何をやるか教えてくれなくてさ」
「別に変なことはしないよぉ。結婚式の時みたいに、夜遅くまで騒ぐだけだってぇ」
「そうなのか」
「うんうん。でもでも、たぁくんはまだ若いしぃ、お昼寝とか必要ないかもねえ?」
「いや、それがさ。三十歳になってから、突然夜ふかしがキツくなってなあ」
「アハハハハ! たぁくんってば、オジサンみたぁい」
「ほっとけ」
でもそうか、遅くまでお祝いするなら、確かに今の内に少し寝ておいたほうがいいのかも。……でもなあ。
「いきなり仮眠した方がいいって言われても、そんな急に眠れないし」
「それならさぁ。アタシが睡眠の魔法掛けてあげようかぁ?」
「お。そんなのあるのか?」
「精霊魔法の一種だからぁ、エリエリの方が相性はいいんだけどぉ。あのコの魔法の威力だと一週間は目覚めないだろうしぃ」
「それは……困るな……」
目覚めた時には、新年をとっくに過ぎてましたというのは流石に悲しい。
その点、ソフィアなら問題ないだろう。魔道士の中でも優秀だ。安心して任せられるな。
グレイス曰く、ゆっくりと眠くなっていくというので、とりあえず椅子へ腰掛けたまま魔法を掛けてもらうことにした。
早速、背後からソフィアの呟く詠唱が耳へと届き始める。心地よい空間へ身体が少しずつ包み込まれる感覚の最中、思い出したかのように、ソフィアは詠唱終わりで口を開いた。
「アタシ、睡眠魔法ニガテでさぁ。エリエリとは違った意味で、いまいち加減わかんないんだけどぉ」
「……は?」
「年内に目覚めなかったら、その時はゴメンね?」
「いやっ、おまっ! そんなあっさ……」
最後まで抗議の声を上げることは叶わず、オレは間もなく夢の世界へとその身を委ねるのだった……。
***
「……きよ」
どこからともなく声が聞こえる。
「……スク……寝…………よ……」
あれ? 確か、オレ、睡眠魔法を掛けられて……?
「タスクっ!? いい加減目を覚ますのじゃ!!」
馴染みの声に目を覚ますと、アイラの顔を視界へ捉えた。
「ようやく目を覚ましたか、この寝ぼすけめ……」
そこは寝室のベッドの上で、オレの身体へまたがるようにアイラが乗っているのがわかる。
寝ぼけ眼のまま視線を動かし、窓辺を見やると、辺りは真っ暗だということに気がついた。
「今何時だっ!?」
慌てて飛び起きるオレをひらりと躱し、アイラはベッド脇で肩をすくめた。
「何時もなにも、間もなく新年じゃ」
「はあっ!?」
「おぬしが目を覚まさぬから、私が起こしに来てやったのじゃ? ありがたく思うのじゃぞ?」
ソフィアのやつ……、マジで寝過ごすところだったじゃないか……。グレイスもゆっくり眠くなるとか言ってたのにさあ。
「ソフィアとグレイスが謝っておったぞ? 威力を強くしすぎたみたいだとかなんとか……」
要領を得ない様子でアイラが口を開く。一応、反省はしているのか。まあ、起きられたからいいけどさ……。
「間もなく年越しのお祝いを始めるぞ。領主のおぬしがおらんと話にならんでの」
「悪かったって。すぐに準備するか……っととと」
部屋の明かりがついていないせいか、思わず足元がよろついてしまう。
アイラも起こしてくれるなら、照明ぐらいつけてくれておいてもいいのになんて思っていると、手を差し伸べられたことに気付いた。
「ほれ、暗いからの。私の手をしっかり握っておれ」
「ああ、すまないな」
「まったく、おぬしは手を焼かすのぉ」
憎まれ口を叩きながらも、どことなく嬉しそうな表情に見えるのは気のせいだろうか。ぬふふふって笑い声も聞こえるし。……ま、いいか。
アイラと手をつないだまま階段を降りたオレは、そのまま外へと足を運んだ。
そして玄関から一歩足を出した瞬間、幻想的な光景が目の前に広がっていることに気付くのだった。
「綺麗じゃろう? 妖精たちが用意してくれたんじゃ」
色とりどりの外灯球が宙に漂い、南側にあるの海岸へ向けて一直線に伸びている。その光の大群にオレは思わず息を呑んだ。
あまりに見事な光の道標をしばらく堪能したいところなんだけど……。いかんせん、みんなを待たせているようだし、先を急がないとな。
「大丈夫じゃ。時間は私が把握しておる」
諭すような口調のアイラは、掴んでいた手を離し、今度はオレの腕に自分の腕をしっかりと絡め、身体を密着させる。
「おぬし、こちらの世界の年越しは初めてなのじゃろう? 私も誰かと迎える年越しは初めてなのじゃ。せっかくの機会だし、しっかりと堪能しようではないか」
「いや、でもさあ」
「……それとも、私と一緒は不満かの?」
うるんだ瞳でオレを見つめるアイラ。猫耳もかるくうなだれているし……。ああ、もう……。
「わかったよ。カワイイ奥さんの頼みだからな。ゆっくり行こう」
「ぬふふふふ〜。それでこそ私の夫じゃ! さあさあ、デートと洒落込もうではないか!」
すっかり上機嫌のアイラはしっぽをぴょこぴょこ動かしてる。そうか、デートか。ま、デートっぽいことあんまりしてないし、たまにはいいよな。
楽しげに歌を口ずさむアイラ。その愛らしい歌声に耳を傾けながら、オレたちは光が照らす道を歩いていった。