第096話目―君はお行き―
「ハロルド君で間違いないよね? ……あー生きてたんだ。良かったネぇ」
そう言って、月照姫マルタはけらけらと嗤った。
どうやら、船を転覆させたことを忘れてはいなかったようだ。そして謝る気はないらしい。まぁ、そんな性格には見えなかったので、期待はしていなかったけれど。
しかし……それにしても、こんなどう見ても交戦が避けられなさそうな状況で再会するとは、思っても見なかった。正直言って想定外過ぎて僕も戸惑う。
すると、始祖の龍人と龍が僕を見た。
「……知り合いか?」
「……変な渦に呑まれてこの島に辿り着いた、ということは言ったと思いますが、その変な渦を作った張本人ですね」
僕がそう述べると、始祖の龍人が眼を細めてマルタを見やった。
「なるほど……」
「それと、渦が出来た時……あの時、向こうは変な月のようなものに乗っていました」
言って、僕もマルタを見やる。
マルタはあの時と違い、今は月のようなものには乗っていなかった。
「……それは恐らく疑似月天ってヤツだな。疑似的に月を作り出す魔術のことをそう呼ぶ。……もっとも、疑似月天は昔の言い方ゆえに、今もそう呼ぶのかは知らんが」
どうやら、あの時の月は、かなり昔からある魔術であるようだ。
と言っても……聞いたことがない魔術である。
僕自身、元々魔術に詳しくは無いけれど、でも、旅をする中で知ったことも多い。
アティからちょくちょく教えて貰った事もある。
けれども、疑似的に月を作り出す魔術なんて、類似するものも含めて耳にしたことが無い。
「疑似月天は厄介だ。どういう原理かは知らんが、酷く強い引き寄せる力を持っている。渦を作り出したのも、引く力に強弱をつけて引き起こしたのだろうな。……ちなみに、熟達したものが使えば、引き寄せる力で一瞬で周囲を塵にすることも可能だ」
始祖の龍人にそう言われて。
ふと、僕は、以前に見た月照姫マルタと迷宮執エドウィンの激闘の跡地のことを思い出した。
地形が変わっていたあの場所のことを。
なぜ、あの場所があのような参事になっていたのか……その理由の一端が分かった気がした。
「……まぁ良い。対処方法が無いわけではない。ここは俺とパスカルがやる。お前はこれを持って、さっさと戻れ。あのお嬢ちゃんも待っているだろう。適当に島の端にある船を自由に使って良いからそれで街に戻れ」
そう言って、始祖の龍人は小さな玉を僕に手渡して来た。それは、中心に仄かな海色の光が漂う透明な玉だった。
これが”龍の秘宝”らしい。
「……」
龍の秘宝を受け取った僕は、どうするべきか悩んだ。ここで一緒に戦うべきだろうか、と。すると、パスカルと呼ばれた龍が、僕の前にやってきた。
「ここは僕らに任せて、君はお行き。……なぁに大丈夫さ。伊達に歳は取っていないんだ。戦いだって得意な方さ」
「パスカルの言う通りだな。……というか、残られた方が困る。戦えなくは無さそうだが、決して強いわけではないだろう。経験も浅そうだ」
ウン百年かウン千年は生きているであろう人物から見れば、僕に限らず、大体の相手が経験不足に見えるのではないだろうか……? というのはひとまず横に置くとして。
邪魔、と言われてしまった。
「……分かりました」
下手に残る方が却って迷惑になる。そうした言葉通りの雰囲気を感じ取った僕は、頷いて踵を返すと駆けだした。
早急にここから離れるべき、と判断したのだ。
ちらり、と一度振り返って見ると、小さな疑似月天を幾つも出現させたマルタが見えた。
「……ハロルド君は逃げるんだ? っていうか、なんか渡されてたよね? 良く分からないケドお宝の予感。……そうだ、エドウィンへのプレゼントにしようっと。取り合えず、ワケの分かんない龍は真っ二つにして、そこの龍人は塵にしてアゲル」
後方からそんなマルタの言葉が聞こえると同時に、爆発音が響いた。僕は前を向くと、今度は振り返らずに、ただただエキドナの所へと向かった。




