第086話目―訪問者―
先日のように、籠車の後ろにも列を成している、ということはない。
見えるのは籠車とそれを引く初老の御者のみだ。
籠車が家の前で止まり、その中から一人の女性……お姫さまが現れた。
御者ともども、頬や額に鱗がちらほらと見えるのは龍人だから、というのはさておき。
ひとまず、僕は外に出た。
すると、御者とお姫さまが深々と頭を下げて来た。
「お初お目にかかります。私は龍人が一族の長を務めております、アルミアと申します」
「私は御者のセンテイにございます」
お姫さまと言われていたくらいだから、てっきり、偉い人の息女なのかと思っていた。けれど、どうやらそうではなく、長そのものだと言う。
このお姫さまは、これだけ若いのに権力の中枢にいるようだ。
亜人の中には、歳を取っても容姿があまり変化しない種族もいる。しかし、龍人に関しては、初老の御者を見る限り相応に更けていく種族のようだから、見た目相応の歳なのだと思われる。
龍人の長と言うのが、どの程度の権力を島外でも発揮出来るのかは分からない。
でも、例え影響力が低かったとしても、敵を作るのは得策ではないのだ。
特に龍人の人たちは、この街から見えるほどに近い島に居を構えているのであって、近しい人たちなのだから悪印象を持たれるのも避けたい。
無礼は働かないに越したことはない。
「これはご丁寧に。僕はハロルドと申します」
と、言って、僕も頭を下げる。
同じような仕草を取ったのは、以前にサルバードでアティから貴族等への対応を教わった時のことを忘れていなかったからだ。
相手方と同じように動けばまず失礼は無い、という教えをきちんと覚えていた。
「……同じ挨拶を返されるとは」
「……え?」
「私どもの挨拶は頭を下げます。ですが、大陸の方々の礼儀とは些か違うようでして……。『そのような挨拶をするのですね』と言葉で伝えるに留め、合わせてくれる方も少ないのです。覚えようとする方もあまりおりません」
確かに、初対面の挨拶で頭を下げる人は少ない。そういう挨拶よりも、握手したり手を振ったりするような挨拶が多い。
「ハロルド様は龍人の礼儀作法をどこかで学んだことが?」
「……いえ、そういうわけではありません。ただ、そのような挨拶をされるのであれば、恐らくはそれが慣習なのだと思い、則ろうとしているに過ぎません」
聞かれなかった時にはスルーでも良いけれど、あえて相手が訊いて来たのであれば、真実を言うべきである。
下手に知っている等と言ってしまうと、些細な違いに違和感を持たれ、ホラ吹きや知ったかぶりと思われてしまう可能性が高くなるからだ。
「なるほど。……相手の慣習に敬意を払う、という姿勢の現れとしてということですね。好感の持てる方のようです」
「左様にございます、長」
良い印象を持たれたようだ。
アティに教わったことを忘れずにいて良かった。
「それで、本日は一体どういった用件で訪問されたのでしょうか……?」
「それなのですが、こちらに、人ではなく亜人ともまた違う一風変わった女の子がいるようですが……」
エキドナのことかな……?
そういえば見つめていた気がする。
でも、なぜエキドナを気にするのだろうか?
少し気になる。
こうして訪問にまで来るのだから、何かしらの理由があるに違い無い。
そう思った僕は、
「……詳しいお話をお聞きしても?」
龍人の二人を家の中に招き入れることにした。
※※※※
「お客さまですか?」
「うん」
「それでは、おもてなしを」
「セルマにやって貰うから、大丈夫だよ」
アティがもてなしの準備をしようとしたので、僕はそれを引き留める。代わりに、セルマを呼んでお茶の準備等をしてもらう事にした。
「御主さまは人使いが荒いのです。商品を作れと行ったり、突然の来訪者のもてなしをしろと言ったり……」
些かセルマの機嫌が悪いようだ。
でも、気持ちは分からないでも無かった。
世話になっていることは事実なので、そのうち何かしらの労いをかける必要がある。
本人に望みを聞くと変な答えが返って来そうなので、僕なりに考えた贈り物でもしようと思う。
「……お子ですか?」
アティをちらりと見たお姫さま――アルミアが言う。お腹を見てのことだろう。
「はい。僕との間の子です」
「……些か失礼な質問をするようですが、今の方はダークエルフに見えます。そしてハロルド様は人族に見えます」
「え、えぇそうですが……」
次の瞬間、アルミアが頬を真っ赤に染め上げる。
「……噂にですが聞いたことがあります。ダークエルフは他種族との間に子が出来にくい、と。ということは、それをものともしない程に何度も密にまぐわったということ……」
言われて、思わず僕も少し顔を赤らめた。
確かに出来にくいという話はある。
それでも懐妊と至ったのは、つまり、妊娠しにくいという確率を覆すほどに体を重ねたということに他ならない。
毎日男女の愛を体で確認しあっていた、という証明でもあるのだった。
……この話を人前でするには、少し恥ずかしいものがある。僕は頬を掻きながら、話を本題に戻すべく、先ほどから扉の隙間からこちらの様子を窺っていたエキドナを呼んだ。
てぽてぽと歩いてくるエキドナを膝の上に乗せ、アルミアに向かい合う。
「……ところで、お話に上がった女の子ですが、この子のことですよね?」
僕がそう訊くと、アルミアは染めた頬の赤みを引かせつつ、真剣な表情になり頷いた。
「……はい。先日に見かけた時にはまさかと思ったのですが、もしかするとその子は、我々の言うところの神の巫女ではないかと」
……神の巫女?
毎日のように愛し合っていましたからね……。




