第054話目―黒頭巾の少女―
……愛があればこそ、人は大胆になる。
※※※※
晴天の空に、心地の良いあっさりとした風が吹いて、足取りを軽くしてくれる。
少し道から逸れて木々の間に一歩踏み入ると、成長した食べごろの木の実や果物が沢山あり、それを狙っている動物たちも頻繁に姿を見せる。
そして、
「紅葉ですね」
「綺麗だね……」
見える限りの自然が暖かい色に染まっていた。
初めて見る良い景観だった。
北東大陸にも秋の季節はあるけれど、冬の前に少しだけ訪れる、非常に短い期間でしか無い。ここまで森が秋と言う季節を推し出してくる事は無かった。
「ぎぅぎぅ!」
「また何か取って来たのですか?」
セルマとエキドナも、どことなく楽しそうだ。
アストラーディ大峡谷に着くまでの間、ずっとこんな毎日だけが過ぎて行けば良いのにと、そう思う。
けれど、万事はそういく事はあまり無い。
おかしな事と言うのは、願っていなくても訪れるのが常だ。
街道を進んでいる途中で、僕はふとおかしな事に気づいた。
「うん……?」
何気なしに瞼を擦った時だった。
色が見える方の目の上瞼を擦ると、当然に世界は白黒にしか映らない。もう片方の目は色を認知出来なくなっているからだ。
しかし、その時にだけ見える小人がいるのだ。
両目を開けた時や、色が見える方の目だけで世界を見た時には見えない。
僕らが歩くと、小人は同じペースで付いて来た。
目にゴミでも入ったのかなと思って、再び何度か瞼を擦ってみるものの、それでも消える事は無かった。
「どうかされましたか?」
「いや……」
「もしや、御主様はおねむなのですか?」
「別にそういうわけでも……」
「ぎぅ……?」
セルマにもアティにも、ついでにエキドナにも小人は見えないようだ。
僕だけが見えている。
色を失った瞳でだけ見えている。
小人が口を動かした。
音を発さず、口だけを動かした。
小人が何を言っているのか、最初は分からなかった。
でも、唇の動きを追う事でどうにか言葉を拾えた。
――俺、ガ、見エテイル、ナ?
見えては、いる。
――ジン、ヲ、滅シタ、ナ?
ジン……?
――褒美、ヲ、ヤロウ。
えっと……褒美?
――マッチ、買エ。
小人は、街道の先を指差すと、すぅっと消えた。
意味が分からない。
一体何だったんだ……。
「あの……ハロルド様?」
アティが心配そうに僕の様子を窺う。
「なんでもないよ。行こう」
気のせいだったとは思えない。
けれど、僕にだけ見える存在について話すのは、少し気が引けた。
なんだか僕がおかしくなったように見えるからだ。
まぁ、実際に言ってみれば、そう思われる事は無く信じては貰えると思うけど。
(にしても、マッチを買え、か……)
不思議なことに、小人の言ったその言葉が、妙に記憶に残っていた。
※※※※
夜は野宿だ。
旅を始めてから、何気に初の野宿ではあった。
でも、問題は何も無い。
アティがこの手の事には詳しいお陰だった。
どうすれば良いのか、それを丁寧に教えてくれたので、みんなで準備をするとあっという間に終わった。
当然アティを褒めて、「ありがとう」と伝える。
すると、ご褒美として外でして欲しいと言われた。
そういった行為は、どこかの宿に泊まる時まで我慢しようと思っていたけど、『ご褒美として』なんて言葉でねだられたら、駄目だなんて言えない。
なので、セルマとエキドナが休んだ所を見計らって、僕らは愛し合う。
「外でしたいなんて、えっちだね」
「そ、それはぃわなぃでくださぃ……。ぁぅ」
下手をすれば誰かに見つかるかも知れない。
そもそも、外でするなんて、さすがには少し変態チック過ぎる。
そう思っていたけれど、実際にやって見ると、いつもとは少し違う興奮があった。
※※※※
次の日。
野宿の後始末を済ませてから、再び僕らは街道を歩き始めた。
今日中に次の街には着く……予定である。
ゆっくりとしたペースで進む。
道のりはほとんど昨日と同じで、特別に支障があるような事は何も起きない。
のだが。
太陽が頭上に昇る頃。
黒い頭巾を被った少女が一人、籐の籠を手にして道の脇に立っているのが見えた。
「マッチ……誰か、マッチ買ってくださーい……」
マッチ……?
そう言えば、と思いながら、黒頭巾の少女の近くを通り過ぎると、
「あぁ! 旅人さん! マッチ買って下さい! この街道の先が眠りの街になったせいで、ここを通る人が減ったんです! マッチ売れなくて大変なんです!」
うぅ、と泣きそうな顔をしながら、黒頭巾の少女が僕の袖を掴んだ。
そして、上目遣いで僕を見てくる。
黒頭巾の少女の頬は少しこけていた。
「どう……しようか?」
「ハロルド様がどうされたいか、で良いと思います。ただ、随分と困窮している様子、ではありますね」
アティが言う。
黒頭巾の少女は僕の袖を掴んでいるけれど、特別に嫉妬のような感情は抱いていないようだ。
買ってくれ、と言う必死さだけが滲み出ているせいだろう。
「うーん……」
しばし悩む。
マッチ、と言う言葉には直近で聞き覚えがある。
あの小人だ。
マッチを買え、と言っていた。
恐らく、この子がここにいる事を知っていたのだろう。ここでこの子から買え、と言うことなのだと思う。
小人は不思議な存在ではあったけど、敵意や悪意があったようには見えなかった。
……騙されたと思って、買ってみるのも良いかも知れない。
「分かった。じゃあ買うよ」
「ほ、ほんとーですか???」
「うん。おいくらするのかな?」
「1箱1ドゥです!」
ごそごそ、と少女は籐の籠からマッチ箱を取り出す。籐の籠の中を見るに、全部で10箱あるようだ。
全部買おうかな……。
小さい箱のようだから、嵩張るものでもないし。
「……10箱全部貰うよ」
「ややっ!! なんと良いお人!!」
僕が10ドゥを支払うと、丁寧に丁寧に黒頭巾の少女は頭を下げて、
「いやぁ、本当に助かりましたです。今日売れなければ、あんまり得意じゃないですけど、森の中に入って何か食べ物探さないとって思ってましたです。……そのうち眠りの街も元に戻ると思って、引き際忘れてこの場所に毎日来てしまってて、気づいたら家計も大変なことになっちゃってまして」
「毎日?」
「はいです。この街道の先の街に住んでるんですよ」
黒頭巾の少女が指した先は、僕らが向かっている街の方角だった。
「……私の住んでる街と眠りの街を繋ぐこの街道は、前は旅人さんが沢山いたですよ。眠りの街が港町ですから、その影響でこの街道は儲かったのです。別の街に続く街道が他に二つありますけど、そこよりここが一番だったのです。……それで、その頃の記憶が忘れられず毎日毎日ズルズルと」
「ふぅん。……まぁでも、そのうちこの街道を来る人もまた増えると思うよ」
「それまたどうしてですか?」
「僕らがどこから来たか分かる?」
「えっと……ああっ! そうですよ! あっちからだから、眠りの街から!」
「うん。あの街もう元通りになってるよ。まぁ……まだ街全体が色々と混乱はしているけどね。って言っても、そのうち落ち着くとは思うけど。……でも一月ぐらいは掛かるのかなぁ」
「……時間は掛かりそうっぽいですけど、でも眠りの街が元通りになって良かったですぅ」
胸を撫で下ろすようにして、黒頭巾の少女はほっと息を吐いた。
「ところで、君の住んでる街まで、あとどのぐらいで着くか教えて貰って良い?」
「一刻半ぐらいで着くですが……もしかして、そこ向かってるです?」
「うん」
「むむっ? では、一緒に行きますか? 案内しますが」
「えっと……良いの?」
「マッチはお兄さん方に買って貰って売り切れたので、あとは帰るだけなのですよ」
街道に沿って歩けば着くらしいのだから、案内はそんなに必要なものではない。
しかし、あとは帰るだけだと言うし、折角の厚意でもあるので僕は案内を頼む事にした。
「10箱全て買いますか……御主様は優しいです」
「そうですよ。ハロルド様はとてもお優しい方です。覚えておくように」
「承知致しました」
「ぎぅ」




