第053話目ー別れと山羊人族とー
前回のあらすじ→若い神さまミーシャを倒し、青年ローグが死に、そして街を覆う茨の呪いが解けた。
※※※※
呪いが解け、全ては終わったのだ。
茨もミーシャも消えた。
ただ、ローグの遺体だけは残っているので、これをどうにかする必要があった。
どこかに隠すワケにも行かないし、かと言って放置するワケにも行かない。見つかれば大騒ぎになるのが容易に想像が出来るからだ。
どうにかして弔う必要がある。
けれど、その様子を誰かに見られてしまえば、場合によっては僕らが殺してしまったようにも映ってしまうだろう。
ここは戦場でも無ければ迷宮の中でも無いし、ローグも盗賊や山賊の類では無いから、どういう事情があってこうなったのか――正しいその答えにすぐに辿り着ける人はいない、と僕は思う。
だから。
少し考えた後に、僕はこっそりローグの遺体を海に投げる事にした。
水葬であれば、準備に時間のかかる土葬や火葬よりも見つかる可能性が低いからだ。
アティにも意見を聞いてみると、「無難だと思います」と言葉少なに頷いてくれた。
日が昇って来ていたという事もあって、少し急ぐ。
そろそろ乗客や乗組員も起き出す頃だから。
幸いな事に、誰かに見つかる事はなく、水葬は無事に秘密裏に行えた。
広大な海に飲み込まれ、徐々に沈んで行くローグの姿を、僕らは見送った。
それから。
安堵の息を吐きつつ部屋に戻ると、エキドナとセルマの二人がまだ眠っているのが確認出来た。
……少し疲れた。
一息ついて、僕はそのままベッドに倒れこむ。
「お疲れさまです」
アティのその言葉は、とても柔らかい音色で、瞼を落とす助けになった。
すぅすぅ、と僕が寝息を立てるのに、そう時間は掛からない。
※※※※
目が覚めると、僕以外の全員がもう起きていた。
「おはようございます」
「お目覚めになられましたか、御主様」
「う、うん……おはよう」
「ぎぅ」
がしがしと後頭部を引っ掻きながら辺りを見回すと、既に荷物が全て整理されているのが見えた。
確かに、呪いが解けたのであれば、船からは降りて次の街に向かわなければならない。
でもまさか、起きたら既に準備が万端になっているとは思わなかった。
「セルマがやってくれました」
「家事炊事含む雑務を仰せつかりましたので、状況から察しまして、必要とあらばと先回りでご支度を調えました次第です」
そう言えば、そんな事を言ったような気がする……。
にしても、先回りで済ませてくれるとは恐れ入る。
「ありがとう」
「勿体無きお言葉です」
セルマは表情を緩めると深々と頭を下げた。
そう言えば、セルマには、今回の一連の事情を説明した方が良いのだろうか?
器であるという事も含めて、関わりはあったわけだし。
僕はそんな事を考えて、けれどもすぐに首を横に振った。
もう全ては終わっているのだから、言う必要は無いという結論に至ったのである。
セルマ自身も知らない事だろうし、伝えられても困るだけだろう。
荷物を持って部屋から出ると、船内には、街の呪いが解けている事に驚いている人たちが沢山いた。
彼らからすれば、気づいたら解けていたって状況だから、それも仕方は無いけど……。
「当然と言えば当然ですが、驚いておられる方が多いですね……。ところで、ヴァレンさん達にご挨拶はされなくて宜しいのでしょうか?」
「途中で会えばね。無理に探してまで挨拶はしないよ」
ヴァレンとセシルとは確かに顔見知りにはなった。
今回の呪いの一件でも二手に分かれたりとかもしたし、そもそもそれ以前からも色々と関わった。
だから、多少は縁と言うものを感じてはいる。
でも、いずれは別れる事になる間柄でもあるのだ。
そもそも、街の呪いが無ければ、もう少し早く、船がこの港町に着いたタイミングで別れてもいただろう。
縁があれば、きっとまた会う事もある。
少しアッサリしすぎているけれど、でも、少なくとも今はこれぐらいの距離感で良いと思う。
「そう、ですか。セシルさんにもご挨拶はされなくて宜しいのですか?」
「なんで?」
「えっと……いえ、すみません。どうでも良い事を聞いてしまいました」
アティが昨夜、「私だけを見て欲しい」と言っていた事を僕は忘れていない。
だから、他の女性が話題に出た時は、こういう、それがどうしたの? と言う感じの返しが良いと思う。
アティの表情は少し嬉しそうで、この返しが正解だった事が窺えた。
※※※※
船を降りると、茨から解放された人々が、これまたバレスティー号の人々と同じように困惑している姿があった。
「な、何よこれ! 料理してたら、いきなり全て腐っちゃったんだけど!? なんで!?」
「げええ! なんで机の上がいきなり埃まみれに!?」
「ヤダー! 化粧水の中身が消えちゃった!? 化粧しようと思って蓋開けたばっかなのよ!? もしかして、詐欺商品掴まされた……?」
「俺の家畜が全部ガリッガリに痩せて死んでるんだが!?」
時間の経過による影響が、かなり広範囲に及んでいるようだった。
どうやら、時間が止まっていたのは人間のみだったらしく、それ以外はきっちり進んでいたらしい。
この余波は広がりを見せていた。
僕らにも少なくない影響が降りかかる。
次の街へと向かう為に馬車を使おうと思っていたら、今は出せないと言われてしまった。
馬が軒並み亡くなってしまっているから。
混乱の収束には時間が掛かるだろう。
一日二日ではまず収まらないのは分かる。
しかし、路銀にだって限りはあるので、長い足止めはあまり食いたくはない。
と言う事で、僕らは馬車を諦めて、徒歩で次の街へと向かう事にした。
次の街が遠い場所にあるなら、馬車が使えるようになるまで待つ事も選択には入るけれど、聞く限りでは歩いても二日ぐらいで着くそうだから。
槍が無いままなのが少し心細くはある。
でも、慌しくて商売所では無いこの状況で買うのも大変そうなので、次の街まで持ち越そうと思う。
ところで。
次の街までの情報、これは通行人から聞いて得たものになった。
西大陸に詳しいアティだけど、この近辺にはあまり来た事が無いそうで……。
「すみません……。どうやらここは西大陸の北部のようなのですが、北部にはあまり足を運んだ事がなく、風土について多少の知見がある程度でして、地理はあまり詳しく……」
アティが伏し目がちに言うと、耳が少し下がって帽子からぴょこんと飛び出した。
「そっか。大丈夫だよ。僕は気にしてないよ」
耳をそっと撫でると、ぴくぴく動いた。
愛らしい。
「そう言って頂けると……」
しゅん、としたアティの姿は少し新鮮に見えた。
西大陸には結構自信ありげだったから、恥ずかしさも感じているのかも知れない。
でも、こういう事もあるにはあるだろう。
別におかしい事でも無ければ、恥ずかしい事でもない。
西大陸の常識や全体的な風習について分かっているだけでも、十二分に助かるしね。
ともあれ、こうして僕らは街を出た。
それから、少し歩いてから僕は振り返って港町を眺めた。
あの街はこれから、以前と同じ日常を少しずつ取り戻して行く。
しかし、それは完全では無い。
少なくとも、ローグとミーシャの二人はもう戻らない。
もっとも、彼らは呪いの原因でもあった。
街からすれば、あるいは、そういう厄介ものが消えたのは良い事なのかも知れない。
けれども、断片的にとは言え知った彼らの過去について考えると、そう断じてしまうのは少し悲しい気がした。
アティが分かる範囲の事で言うと、西大陸北部の今の季節は秋らしい。
乾いた冷たい風が吹いたのは、きっとそのせいだ。
※※※※
街道を歩いていると、道の先に人影があった。
十人はいるだろうか。
目を細めると、全員が山羊のような角を持っているのが見えた。
亜人だ。
切り倒した木の上に座っていたり、地べたに寝転がっていたりしている。
西大陸であれば基本的に亜人は珍しく無い、と言うのは以前にアティから聞いてはいたけれど、でも、こんな道の真ん中で何を……。
「あれは一体……何でしょうか?」
はて、と言った感じでセルマが首を捻ると、
「……山羊人族の部族ですね」
アティがそう答えた。
「山羊人族?」
気になるので、僕も口を挟んで問う。
「山羊人族は、家族単位で部族を形成し、各地に散らばる事が多い種族です。気さくな人たちが多いですが、それは表面だけで、その実は同族意識がとても強く、他種族に心を開く事はまず無い警戒心の強い人たちでもあります」
アティが言い終えた辺りで、山羊人族たちがこちらに気づいて、一斉に視線を僕らに向けてきた。
互いに見詰め合うこと数秒を経ると、山羊人族の中の一人がこちらに向かって来た。
女性だった。
黒髪をセミロングで切り揃えていて、快活そう。切れ長の目が艶やかで、そして、背丈が女性にしてはかなり高く、僕と同じぐらいはありそうな人だ。
「なんだお前ら。どこから来た?」
「どこからって……この先の港町からですが」
「眠りの街からか?」
「眠りの街?」
「茨で包まれた街からか、と言う意味だ」
あぁ、なるほど。
茨で包まれていた時のあの港街は、眠りの街、と呼ばれていたのか。
「えぇ、まぁ……」
僕が肯定すると、女性は自らの顎に手を当てて「ふぅん?」と息を吐いた。
「茨はまだあるのか?」
「いえ、もう無いですね」
本当の事だから隠す必要も無い。
僕が短く頷くと、女性はぐるりと振り返って、他の山羊人族に向かって叫んだ。
「みんなー! 街の茨は無くなってるってー!」
「えっと……」
「うん? ……あぁ、そうか、私たちが何でここにいるのかまだ言ってなかったな。私たちは眠りの街の様子を見に来てたんだ。仕事でね。解決出来そうなら解決で、それが無理なら、調べるだけ調べて報告上げてくれって。……でも、解決してるなら、私たちがやる事はもう何も無い。まぁ一応、何人か弟と妹を様子見には出すケド」
なるほど……。
まぁでも、街が一つ茨に包まれれば、鎖国でもしていない限り、確かに他の地域でも話題にはなってもおかしくはない。
「それじゃあ、こんな道の真ん中にいた理由は……?」
「誰も来ないと思って、街に着く前に一休みしてただけ。……お前たちの気配には少し前から気づいてたけど、歩くペースがゆっくりで害も無さそうな感じだったから、休憩止めて奇襲用意とかする程でも無いし、取り合えず姿見てから考えよって話になってな」
喋り方はアティの言う通りに気さくだ。
初対面なのに、距離感はほぼ無いと言って良い感じと言うか。
ただ、目が据わっていた。
あくまで話し方が気さくだと言うだけであって、心の鍵は硬く施錠されているような、そんな雰囲気があった。
「……ううん?」
と、女性が鼻先をひくつかせた。
「なんだか、懐かしい匂いのような……。なぁ、昔に私と会った事が無いか?」
そんな記憶は無いので、首を横に振る。
そもそも、亜人と関わった事がほとんど無いんだけど……。
北東大陸にいた頃に、たまに見た事があるぐらいでしかない。
相手の勘違いだと思う。
「そうか。……気のせいか。すまない」
「いえ、別に」
話は済んだので、僕らは軽く会釈だけして、女性の脇を抜けて山羊人族たちの横を通り過ぎて行く。
すれ違いざまに、人の良さそうな笑顔を作りながら、山羊人族たちが手を振って来た。
ただ、やはりどこか据わっている感じと言うか、目の奥が笑っていない感じも――
――おう? あの男と似た匂いだな。もしかして、この声届くか?
男の声が聞こえた気がした。
驚いて振り返って見ると、そこには暢気に欠伸をする山羊人族たちがいた。
何かを言った風な人は一人もいない。
僕と目が合うと、各々が先ほどと同じような笑顔を作って手を振ってきた。
しかし、その中で一人だけ。
中年ぐらいの、一番年を取っていそうな山羊人族の男が、とびきりの良い笑顔になっていた。
不思議なことに、彼の目にだけは警戒心の類がないようにも感じられた。
「ハロルド様……?」
「御主様?」
「いや……」
「もしかして、何か言われましたか?」
「え?」
「山羊人族は、仲間と密な連絡連携を取る為に、発声にも非常に長けた種族でもあります。特定の人物にのみ届くように、声を調整する事が出来たハズ……です。何か言われましたか?」
そんな事が出来るんだ。。
でも、彼らの様子を見るに、やはり僕に何かを言った様子は無い。
恐らくは気のせいだろう。
「いや、何も」
「です……よね。と言いますか、声を届けるにも確か、まずは微調整しながら当たりを探る必要もあったハズです。初対面のハロルド様にのみ届く声を一瞬で当てるなんて、出来るわけがありません。……先ほどの女性は、ハロルド様に見覚えがあるような、そのような事を言っていましたが」
「それについては、僕は何も知らないよ。本当だよ」
変な疑いを掛けられそうなので、必死に否定する。
少しだけ訝しげな視線を向けて来たものの、まもなくしてアティは「分かりました」と納得してくれた。
疑いは晴れたようで何よりだ。
「……御主様は浮気をしたらすぐバレそうなタイプですね。まぁその、そもそも、そういう事はされないお方には見えますけれど」
「ぎぅ」
セシルとヴァレンお爺ちゃん、しばしお休みです。
また再登場しますので、それまでお待ち頂ければと(`・ω・´)。