第049話目―ゲームをしましょう―
※※※※
その異変が起きたのは――真夜中の事だった。
ふと目が覚めた僕は、何か周囲の様子がおかしい事に気づいた。
アティの寝息が聞こえる。いつの間にか戻ってきていたセルマが、人形だと言うのに目を瞑り、椅子に座って休んでいて、その膝の上でエキドナも丸まっている。
一見すれば、この部屋の中は何もおかしい所が無い。
だから僕が違和感を感じたのはそこではなく、部屋の外側の雰囲気だった。
具体的に言えば、僕ら以外の存在の気配や音が全く無いのである。
(なんだ……?)
静まり返り、張り詰めたかのような空気。
ここは船の中であるから、僕ら以外が音も気配も発しないと言うのは、どう考えてもおかしい。
揺れなどによって、僅かながらにでも必ず音はするものである。
今までにもこのような事は一度たりとも無かった。
「……ハロルド、様?」
僕の剣呑とした雰囲気に気づいたのか、アティが目を覚ました。
急だったからか、眠気眼を擦っている。
いつも通りに愛らしいけれども、今はそれを堪能している場合でも無さそうだ。
「様子がおかしいんだ」
「様子が……ですか?」
「全く音がしない」
僕が言い切ると、それが何を指している事なのか、すぐさまにアティは察した。
ぴくり、と僅かに耳を動かす。
僕よりもずっと精度の良いその耳で、音の有無を確かめているのだろう。
「……確かにおかしいですね。まるで隔離されているかのように、何も聞こえません」
「少し待ってて」
僕はベッドから降りると、ゆっくりとドアを開き、その隙間から廊下を見やる。
すると――見えたのは、赤い茨の道。
街中で見たのとも違う真紅の茨。
それが、扉の向こうの全てを形作っている。
「……なんだ、これ」
僕が訝しんでいると、手短に着替えを済ませたアティも、ドアの隙間から同じく廊下を確認した。
「……茨、ですね」
「呪いの影響なのかも知れないけど、まさか船までこうなるなんて……」
ヴァレンからも、このような状況についての想定は一切聞いていない。
彼が言い逃したという事は考え辛く、つまり、これが色々と予想外の出来事であるのが分かる。
まさか船まで呪いの対象になるなんて……。
しかも、何か趣きが違う感じがある。
「ひとまず、ヴァレンさんと合流してみよう」
「……それは恐らく、無理に近いかと思います。ここは隔離された場所である可能性が高いです」
隔離……? どういう事だろうか。
「私の耳でも全く周囲の気配を感じ取れない、と言う事も理由の一つですが、何よりも印がいくつか追えなくなっているのが決定的です。実はセシルさんにつけていたのですが、遮断されているようですので……。彼女は魔術の素養がある方ではないので、間違いなく外的要因による遮断です。つまり、空間ごと離されていると見るべきかと」
「何だか大仰な話に……と言うか、セシルに印を?」
「え、えぇ……な、何かあった時が大変ですから」
大丈夫な気はするけども……。
セシル自身も強いし、何より今は傍にヴァレンが居る。
少なくとも、こと戦闘においては何も心配はいらないだろう。
……いや、物事に絶対は無いか。万が一はありえる。
場所を把握出来るようにしているのは、知らない仲では無くなった事もあっての、アティなりの優しさなのだろう。
まぁそれはともかく。
ひとまず、隔離された状態をなんとかしないと行けない。
このまま待っていても解決するとは限らないし、少し探索して見る必要がありそう――と、その時だった。
――ア゛アア゛ア゛アアッ。ア゛ア゛ッ。誰だ。奪ったヤツは誰だ!
どこからか、反響した叫び声が聞こえた。
届いた音量は僅かで、だいぶ離れた所からだというのは分かる。
「今のは……」
「……もしかすると、昼間に追った人物かも知れません。その印には反応がありますので、間違いなくこの空間内のどこかにはいるようです」
呪いの原因となったとおぼしきあの青年か……。
確かに、あの時に追う為にアティは印をつけていた。
それに反応がある、つまり遮断されていないからこそ、この空間内のどこかに潜んでいるというワケだ。
思えばこの声、どこかで聞いた事があるような気がする。
「捕まえて話を聞いた方が早いかな……」
声の主――あの青年が、今回の件に密接に関係しているのは疑いようも無い。
慎重に行動したい所ではあるものの、こうなってしまったら接触するしか無さそうだ。
ヴァレン辺りが気づいて解決してくれるのを待つ、と言う方法もあるけれど、その間に何が起きるかも分からないのだ。
取れる手は早めに打ちたい。
「戦闘に関しては、任せて頂ければ」
狙撃銃を肩に掛け、アティは準備万端のようだ。
情けない事だけれど今回は頼らせて貰おう。
槍無しだしね……。
「ありがとう」
僕が素直に感謝を述べると、アティは「ふふ」と優しく笑む。
その表情を見ると、妙な安心感を覚えるのだから不思議なものである。
なんだか二人きりで事を進めたくなって、エキドナとセルマを起こすのは止めておく事にした。
勿論、それだけが理由では無いけれど。
セルマの強さをまだ見せて貰っていない以上、もしも足手まといな程度だとしたら、逆に心配事を増やすだけになる。
エキドナがいれば、捜索の役には立つかも知れないけど、もう件の相手には印をつけてもいる。
どこにいるか分からない、と言う事も無い。
※※※※
「こちらです」
僕らは茨の通路を慎重に進む。
幾つか分かれ道のようなものもあったけれど、青年に印をつけてある事もあって、アティが迷う事もなく進んでくれる。
罠の類も無ければ魔物も出てこない。
時折に茨が気味悪く蠢くものの、それだけである。
ただ、足場は少し悪い箇所もあった。
茨の厚さや量によって段差が出来ていたり、窪みがある所もある。
そういう所に出くわしたら、僕がアティの手を引いた。
こういう場所は慣れているだろうから、別に僕の手がいらないのも分かる。
でも、今回はどうしてもアティの負担が増えるから、少しは気を良くして貰いたい。
僕に出来る精一杯だ。
まあその、別にアティに負担が無い時でも、出来そうな時にはやるけどね。
「ほら」
「はい――え、えっと……」
片手でアティの手を引き、もう片方の手でそのままの勢いで足元を掬う。それから、しっかりと背中と足を抱えると、お姫様抱っこの完成だ。
「こ、これは少し恥ずかしいですね」
「ベッドの上だともっと恥ずかしい事していると思うけど」
「いぢわるですね……」
どうにも少し恥ずかしいようだ。
人目が無いのだから、別に気にする事は無いのに……。
まあとは言え、いくら魔物や罠の類が無いとは言え、さすがにいちゃつき過ぎるワケにも行かない。
それに、意地悪とも言われてしまった。
僕は苦笑しながらも、そっとアティを降ろす。
「あっ……」
少しだけ残念がられた気がしないでも無い。
でも、アティも察したのか、名残惜しそうにしたのは一瞬だけで、すぐに気を引き締めた表情になる。
「それで、あとどれぐらいで見つかりそう?」
「……相手も動き回っているようですので、正確にどのぐらいで、とは断言出来ません」
「大体で良いよ」
「それで良いのであれば、距離は徐々に縮めていますので、あと十分もあれば」
あと幾ばくかで発見出来そうだ。
僕は「ふむ」と顎に手を当てる。
すると――
――体が欲しいの。
ふと、子どもの声が聞こえた。
薄くもやが掛かったかのような、生気の無い声だ。
どこから、と呆気に取られた隙に、僕とアティの間を人型の何かが通り過ぎて行く。
背丈の小さい二人組み。
声の印象と同じように、それは子どものような形をしていた。
――体が欲しい?
――そう体。あなたに触れて見たいの。
――ふーん。
――なあに、真剣に悩んでるのよ。
――悩む事なんかじゃないよ。俺が持って来てあげるよ。やくそく。
――ありがとう。でも、やくそくを破ったら大変なことになるよ?
――俺がやくそくを破るわけないだろ!
くるくると追いかけっこの真似事をしながら、二人組みはそんな会話をしつつ、すぅっと走り去って消えていく。
良く分からない会話だ。
今のは一体……。
「……気配がまるでありませんでした。少なくとも、生物の類では無い事だけは確かです。害意の類は無いようですが……」
肩に掛けていた狙撃銃を手に持つと、アティは眼を細めて緩やかに警戒態勢に入る。
良く見ると、辺りにはうっすらと蝶々が飛んでいた。
僕といちゃつきながらも、きちんと周囲を警戒してくれていたようである。
抜け目が無いこういう所は、意外と抜けている時もある僕にとっては、とても助かる。
「……何だったんだろうね。何かの亡霊とかかな」
「約束がどうの、とか言っていましたね」
「呪いと関係があるのかも知れない……」
とにかく、さっさとあの青年を見つけて、色々と喋って貰うのが手っ取り早いか。
僕らは視線を前に戻す。
すると、先ほど今しがた消え去ったと思っていた子どもが一人、再び姿を現していて、こちらをジッと見つめて来た。
うっすらと印象を見る限りでは、女の子のような形……。
その子はゆっくりと口を開く。
――ねぇ、愛ってどうしたら理解出来るの?
――体があれば、器があれば、同じになれば、理解出来るのかなぁ。
――ううん、出来るのかなぁじゃなくて、きっと出来るの。
――だから欲しかったの。でも、ちょっとだけ期限が過ぎちゃったから、これはその罰。でもでも、探して来てくれた事は嬉しくて。だからね、あと少しで許してあげるつもりだったのに。
――なのに、あなた達が奪ってしまうから。
――あーあ。約束は完全に破られてしまうのね。
女の子がそう告げる。
そして次の瞬間、アティが銃口を女の子に向けていた。
「……蝶の反応が変わりました」
それはつまり、目の前の半透明のこの子が――たった今、僕らに明確な害意や悪意を持った、と言う事に他ならない。
――くすくす、怖い怖い。
――ねえ、ゲームをしましょう。
――先にあなた達が彼を見つける事が出来たなら、ご褒美をあげる。
――でも、彼が先に器を見つけてしまったなら、あなた達はずうっとこの茨の中。
――ねえ、面白いでしょう?
今回の話は久しぶりに二人で解決して貰おうかなと思います。




