第048話目―……嫉妬?―
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ひとしきり説明を終える。
もちろん、この人形が目覚めるキッカケとなっていそうな、奥の手についても触れた。
ヴァレンは人格者だ。
特別に隠す相手でも無いし、他言無用である事にも理解を示してくれるだろう。
事実、秘中の秘である事を事前に伝えると、言葉少なに頷いてくれた。
「まあ、大筋の経緯はこんな感じなのですが……この人形と呪いには関係がありますかね」
訊くと、ヴァレンは口元を盛大に歪ませて顎を撫でる。
「あると見てまず間違いはない。顕現の器と言った所かのう……」
「顕現の器?」
「神だの精霊だの言う手合いは実態を持たぬ。持たぬがゆえに肉体を得るには器がいるのだ。……これを用意すると言うのが、契約か何かの条件そのものなのか、あるいは幾つかある条項の一つなのだろう」
アティの助言は正しかったようだ。
この人形は呪いと関連があり、ヴァレンに訊く事でそれが浮かび上がって来た。
「して、一人無事だったという男。状況から察するに、そやつが元凶である事もまず間違い無いじゃろう」
「その可能性は僕も考えていましたね。あまり戦闘面に秀でているわけでは無さそうでしたが、この人形の件もありましたので、深追いはしませんでしたが」
「それで良い。状況が変われば行動も変わる。強行は時と場合を選ぶ」
僕が引き返した事について、ヴァレンは残念がるような事もなく理解を示した。
分かってはいた事だけど、非常に柔軟な思考だ。
悩みもがいた末に剣聖と呼ばれるようになった、と以前に言っていたけれど、純粋な武力もさる事ながら、これこそが彼の一番の強みなのだろう。
それは彼の性格と培ってきた経験由来のものであり、参考には出来てもやはり模倣は出来ない類のものである。
軽く頬を掻きながら、僕は横目に人形を見る。
いつの間にか服の中から居なくなっていたエキドナと戯れていて、その中に、なぜかセシルも混じっているのが見えた。
「ねぇねぇ、あなたのお名前は?」
「名前は……ございません。御主様がお決めになって下さらないと名無しのままとなります」
「そーなんだ。ハロルド、ちょっとちょっと」
セシルが手招きをして来た。
僕の名前を呼び捨てにしているが、いつの間に距離が縮まったのだろうか。
「どうしたの?」
「この子まだ名前決まってないんだって」
「……それが?」
「決めてあげないの? なんなら私が決めてあげよっか?」
僕の横腹を突きながら、セシルがそんな事を言って――ふと、鋭い視線を感じた。
セシルと僕は同時に振り返る。
すると、ヴァレンが目を丸くしてアティを見ていた。
何かあったのだろうか?
アティはいつも通りの表情で、それ所か僕と目が合うと優しく微笑む。
特に変わった所は無いようには思うけれど……。
「おお、こわやこわや。ほほっ」
「な、何よ今の恐ろしい殺気……誰?」
「これこれセシル、人様のものに手を出してはいかんぞ」
「え? どういう事? 別に人のものに手なんて出して無いけど……」
「まあええ。……とかく、状況が状況であるとして、船の部屋もまだ使って良いそうだ。情報も少しは手に入ったのだから、今日のところはひとまず休もうではないか」
祖父と孫の良く分からない会話を挟みつつ、船へ戻るようにヴァレンが薦める。
特に疲れているワケでは無いものの、焦っても仕方が無さそうなので、僕もひとまず頷いた。
未だに訝しげに街を見やる乗客の横を通り過ぎ、タラップを渡る。
「……時に、人形が反応した要因とおぼしきその力」
ふいにヴァレンが小声で話しかけてきた。
「次力の事ですか?」
「そうじゃ。……お主、エドウィン・スミスと言う人物を知っておるか?」
まさか、ヴァレンの口から父親の名が出るとは。
いや、もとより迷宮では名を馳せた男ではあるので、武に通じるヴァレンが知っていても何も違和感は無いのかも知れない。
ただ、次力からエドウィンと言う名を想起したのには驚く。
隠し癖の多い父親が人前でバンバン使っていたとは考え辛い。
「……なぜそれを僕に?」
「前にどこぞで見た事があるような気がする、とお主の顔を評した事があったが――それは、エドウィン・スミスと言う男だ。どこか似ておるのだな。槍を使うという所もそうだが、何よりは次力とか言う力。それを扱える人物をワシはあやつ以外に知らぬ。偶然の一致にしては似通い過ぎている気がしてならぬ」
なんと言う事か。
どうやら父親と顔見知りだったようだ。
少なくとも秘中の秘を知っている程度には、仲も良さそうだった雰囲気がある。
しかしまあ、迷宮狂いみたいな父とどこで接点を持ったのだろうか。
いや、ヴァレンも迷宮については一家言ありそうな男である。
そこで繋がりが出来たのかも知れない。
「何ぞ血筋の者か何かか?」
ヴァレンの窺うような目線。
僕は一呼吸置いた後に答える。
「……エドウィンと言う名前に聞き覚えがありません。似通っている部分もたまたまでしょう。人違いかと思います」
他人のフリをしたのは、どうしても必要がある場合を除いて、親子関係である事を示す気持ちが僕には無いからだ。
「……変な事を訊いた。許しとくれ」
「いえ、別に気にしてはいませんよ」
※※※※
バレスティー号の部屋に戻った後。
僕とアティは人形を目の前にして唸っていた。
名前を決めかねているのだった。
セシルとのやり取りで名無しな事が判明したので、何か名前を付けようと言う事になった。
名前をつけてしまうと、呪いが解決した後も同行させる事になりそうな気がしないでも無いのだけど……。
まあその場合は仕方ないか。
食費は掛からなさそうだし、金銭面での問題はあまり出ない。
「どうしましょうか……」
「うーん……」
エキドナの名前を考える時も、アティと一緒に結構悩んでいた記憶がある。
蛇の名前決める時ですらこうだったのだから、今回も同じようになる気がしないでも無い……と、そう思っていたのだけれど、意外な所から名づけは解決した。
手持ち無沙汰だったのか、人形のドレスの手触りを確かめていたアティが、はたと気づいたように裏地を見つめた。
「名前の刺繍がしてありますね」
「え?」
「この子の名前でしょうか? セルマ、と」
覗いてみると、確かにそこには『セルマ』と言う名前が刺繍してあった。
「この名前に何か覚えはある?」
僕がそう訊くと、人形はゆっくりと首を横に振る。
これが誰の名前なのかは分からないようだ。
この人形の名前なのか、元々このドレスを別の人が持っていて、その人の名前なのか。
「特別にこの名に覚えはございません。……しかし、何か懐かしいような気がします」
そう言って、人形はじぃっと刺繍を見つめた。
「懐かしい、か……」
当人が覚えていないだけで、何かありそうだ。
「懐かしいってことは、嫌いな響きだったりはしないよね?」
「はい。どちらかと言うと、むしろ好ましい感じがします」
人形の眼が細まる。
どうやらこの名前を気に入っているらしい。
アティに目配せをして見ると、小さく頷いてくれた。
よし、それなら決まりだ。
「分かった。それじゃあ君の名前はセルマだ」
「セルマ……私の名前」
「そうだよ。今から君は名無しでは無くなったし、だから、もうただの人形でもない」
「……もう一度、お名前をお呼び頂けますでしょうか」
「別に構わないよ。……セルマ」
「はい、御主様……」
染み入るように表情を緩めると、人形は言う。
「……これから先、私は御主様と奥様の身の回りのお世話をしたいと思います。炊事洗濯はもちろんの事、装飾品の手入れから奥さまの美容、果ては戦闘までなんなりとお申し付け下さいませ」
やっぱり呪いを解決しても付いてきそう。
でも、何だか色々と出来そうな雰囲気があるのは助かる。
「どうぞご命令を」
とは言え、いきなり命令をと言われてもね。
炊事洗濯はやって貰いたいけど、それ以外だと何があるかな。
戦闘が出来るらしいから、実力を見てみたいって言うのはあるけど……これは後で見せて貰う事にしよう。
もう部屋に戻って来てしまったしね。
さて、僕はこんな所だけれど、アティはどうかな。
「今の所は特に思いつきません」
特に命令したい事は無いようで、目を瞑って眉根を寄せていた。
若干機嫌が悪そうに見えるのは気のせいだろう。
ふむ、と僕が腕を組むと、エキドナがセルマの近くに寄って行った。
この二人は相性が良いのか、お互い気に入り合っているような気がする。
先ほども戯れていたし。
「そうだね……それじゃあセルマにはひとまず、エキドナの世話を頼みたいかな。炊事洗濯もやって貰いたいし、戦えるって言うなら後でそれも見せて欲しい」
僕は要件を簡潔に伝える。
エキドナの世話に関しては思いつきだけれど、地味に一番助かるかも知れない。
少しずつ大きくなって来ているから、僕の服の中にずっと入れておく訳にも行かない。
タイミングが良かった。
「承知致しました」
「ぎぅ」
そう返事をすると、早速面倒を見てくれるらしく、船内を散歩して周ると部屋から出て行った。
蛇に散歩って必要なんだろうか。
まあ、面倒見てくれるのだから、好きにさせておこう。
「……うん?」
僕がベッドに腰掛けると、アティが隣に座って来た。
妙に潤んだ瞳が変に情欲を誘う。
「……あの、私の名前を呼んで下さい」
「……アティ」
「もう一度」
「……どうしたの」
「駄目ですか?」
良く分からないけれど、今のアティは少し変だ。
なにかを心配しているようにも見える。
僕はもう一度「アティ」と名前を呼んでから、優しく唇を重ねた。
いつもと雰囲気は違うけれど、それもまた可愛く見えるのだから不思議だ。
「ハロルド様……私を見て下さい。私だけを見て欲しいのです」
本当にどうしてしまったのだろうか?
ただ、凄く興奮する。
僕はアティの肩をゆっくりと抱いて、そのままベッドに倒れこんだ。
「アティだけ見ているよ」
「……嬉しい。いっぱい愛して下さい」
ぎゅうと抱きしめられて、そんな言葉を言われて、僕の理性は吹き飛んだ。
どれぐらいに僕が燃えたかと言うと、軽々と三回戦に突入するぐらいに頑張ってしまった。
「……まぐわい、と言う行為でしょうか。激しくしたり、優しくしたりするものなのですね」
「……ぎぅ」
「……覗き見はあまり趣味が良くはない行いです。もう少し散歩しましょう」




