第046話目―あなた様が御主様ですか?―
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咽ぶような声を上げる男。
緑に包まれた人々ばかりの中で、この男だけがそうでは無いようだ。
痩身痩躯の華奢な男。
どうやら彼は呪いの影響を受けていないらしい。
もしかすると、現況の原因となった人物だろうか?
「何か怪しいね……」
「はい……。偶然居合わせた人物、という風にも見えませんし」
「そうだね」
アティとお互いの認識を確認し合う。
この港街にたまたま来ただけの男と言う可能性は低い。
仮にそうだとすると、驚くような様子はあっても、このような声音を出す等とは思えない。
だから、何かある人物である事は間違い無い。
「念のために、後を追えるようにしましょう」
眼を細めると、アティは右手の人差し指を僅かに振る。
すると、目を凝らさないと見えない程に極小の光の粒が一つ現れ、すぅっと男の体の内に入り込んだ。
これは”印をつける”とか言う、あの魔術だ。
この魔術は気づく事が容易では無いらしく、普通はいつ付けられたのか分からない。
効果が切れる度に僕にも付け直しているらしいけど、気づけた試しが無かった。
そして、それはこの男も同様らしく、特に勘付いた様子は見受けられない。
「探して来たのにっ……! 死にもの狂いで、探して来たのにっ! ……約束を忘れた事なんて、一時たりとも俺には無かった!」
慟哭と共に、男は幾度も床に拳を叩きつけ始めた。
どうにもならない感情、そのぶつけ先を探しているようにも見える。
一体何があったのか……。
そうは思うものの、まさか飛び出るワケにも行かず。
僕らは息を潜めて窺い続ける。
すると、男はしばらくそれを繰り返した後に、一度呼吸を整え、ふらふらとした足取りで建物の奥へと入って行った。
「……どうされますか?」
アティが判断を委ねて来る。
”印”をつけた以上、焦って追いかける必要は無い。
ヴァレンやセシルと合流してからでも遅くはないだろう。
しかし、どうせなら少しは情報を持って帰りたい気持ちもあった。
僕は少しのあいだ考えて、アティに一つ質問を投げかける。
「今の男どう思う?」
「どう……とは?」
「強いかどうか」
それは、追うかどうかを決める最重要項目だった。
強く無いのであれば、多少は深追いしても大丈夫ではある。
しかし、もしも腕が立つのだとすれば、ヴァレンとセシルが居た方が良い。
ただでさえ、武器が無い僕は足手まといになりがちである。
それを避ける為にも、事前に把握するのは大切だった。
アティに意見を貰うのは、僕より正確に相手の力量を見極められるだろうからだ。
「そう、ですね……」
アティは「むむ」と口元を掌で覆うと、ややあってから言葉を続けた。
「――身体的特徴を見る限りでは、武芸者として強いという事は考えにくいです。そして、”印”に気づけなかったようですので、魔術的な素養があるわけでも無いと思います。……まあその、後者に関しては絶対とは断言出来ませんけれども。ただ、仮に術師だとしても、そこまで高度に熟達した者では無いのは確かです」
なるほど、と僕は相槌を一つ打つ。
大した脅威で無いのであれば、引く理由も無い。
「分かった。それじゃあ、あと少しだけ追いかけて見よう」
僕が決断を下すと、アティが頷いて、続いてエキドナが「ぎぅ」と鳴いた。
そう言えば、この場所を発見したのはエキドナだった。
どういった理屈なのかは分からないが、中々に優秀な子である。
ありがとう――と言って頭を撫でると、嬉しそうに瞬きを繰り返して、再び服の中に潜り込んで来た。
もぞりと動く感触が大きい。
最近微妙に大きくなって来ているのが分かる。
服の中に仕舞い続けるのも、限界が近いかも知れない。
※※※※
窓から侵入を果たした僕らは、慎重に男の後を追う。
道中に罠のような類は無く、非常に安定した足取りで、まもなくも進むと突き当たりに一つの部屋を見つけた。
印を辿って追って来たのだから、この中に男が入った事は間違い無い。
僕は様子を窺おうとして、
「……反応が少しおかしいですね」
訝しげなアティの呟きに、手を止めた。
「……おかしい?」
「はい。この部屋を通って、そこから男は下へと向かっています」
窓から侵入した時点で判明しているけれど、ここは一階部分だ。
後を追っている最中にも、階段を昇り降りもしていないし、段差のあるような通路も無い。
「地下かな?」
「恐らくは……」
どうやらこの部屋には男は居ないようだ。
それは確定だろう。
しかし、警戒を完全に解いて良いワケでも無い。
おそるおそるに扉を押し開けると、中はツタの這う石造りだった。
そして、その中央には椅子が一つあり――そこに座っている人物が一人。
暗めの色の質素なドレスに身を包んだ彼女は、アティよりも幾らか幼い感じの女の子だった。
扉を開けた事で入ってきた風によって、この子の薄紫色の髪がさらさらと揺れる。
「これは……」
「人……でしょうか?」
「分からない。生きているのかな。確かめよう」
「はい」
生きているなら、事情を聞けるかも知れない。
茨に包まれていないという事は、彼女もまた原因の一端なのかも知れないのだ。
罠の類が無さそうな事を確認してから、僕はゆっくりと近づいて触れる。
すると、無機質で冷たい質感があった。
明らかに人間のそれでは無く、良く見ると関節部には隙間が見える。
どうやらこれは人では無く、
「……これ、人形だよね」
「なぜこのようなものが……」
人形と言うと、思い出すのは動く鎧人形。
しかし、これはそれと違って、限りなく細部に至るまでが人に近い。
少しだけ離れた場所から見れば、人間と何ら見分けが付かない程である。
アティの反応を見る限りに、この人形は魔術で造られたようなものでも無ければ、迷宮の中に出る魔物の類でも無いようだ。
思わず僕は顎に手を当てて考え込む。
すると、突然に人形の眼がゆっくりと開いた。
思わず僕らが警戒態勢に入ると、人形はそれを一瞥してから、
「……おはようございます。あなた様が、わたくしを器とするという御主様ですか?」
そんな言葉を喋った。




