第045話目―すすり泣く男―
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いくら眺め続けようとも、目の前の街並みが変わる事は無い。
建物も人々も茨に包まれたままだ。
発生している濃霧も晴れる事なく停滞している。
本来であれば見えそうな、街の先にあるであろう街道も全く見えない。
「……何か、知っているんですか?」
僕はヴァレンに訊いた。
現状について知識がありそうなのは、今のところこの先代剣聖しか居ない。
「知っておる事は知っておる。端的に言えば、この街は呪われているのだ」
――呪い。
先ほどの呟きにも含まれていたけれど、聞き慣れない単語だ。
言葉自体を知らないわけではない。
ただ、詳細が分からない。
魔術とも似たようなものと言う印象だけれど、どうなのだろうか?
ちらりとアティを見ると、申し訳なさそうに首を横に振られた。
魔術とは違うらしい。
「魔術と呪術は明確に体系が異なります。全く違う術です」
「とは言われておるのう。……まあ、ワシも魔術や呪術に詳しいワケではない。だが、年の功と経験があるものでな。幾度も様々な闘争を経て来た中で、知れる事も多い。……まあとかく、ここまで広範囲かつ強力となると、大元が人では無い可能性が高い」
「……人では無い?」
ヴァレンの言葉尻に僕は反応する。
魔術と呪いの違いについては、色々と複雑そうだからひとまず置いておく。
だから、人では無いと言った方が気になった。
魔物だとでも言うのだろうか。
「……神の類かあるいは精霊か。そいつらの怒りゆえの呪いの可能性が高い」
……随分と大仰な存在が出てきたものだ。
そのどちらも、今まで生きてきた中で目にした事が無い存在である。
僕は僅かばかりに驚き、アティも似たような反応を示し、いつの間にか近くに居たセシルが良く分かってなさそうに首を傾げている。
僕が世間知らずなだけかなと、一瞬思わないでも無かったけど、方々のこの反応を見る限りどうやらそうでも無いらしい。
「ふむ……」
ヴァレンが眼を細める。
とても真剣な顔つきで、冗談やウソを言っている感じはしない。
何だか厄介そうだから、正直このまま街を素通りしたい所ではある。
バレスティー号の他の乗客は戸惑っているままだけれど、それは僕にはあまり関係が無い。
あくまでここは中継地点でしか無く、今の所の最終的な目的は南大陸に向かう事なのだ。
しかし、簡単にはそれが出来ない事情があった。
それは、槍を失っていると言う事。
さすがに、無手のまま旅を続けたくは無い。
武器を持っていなくても、アティが何とかしてくれそうな気がしないでも無い。
けれど、そういうヒモ見たいな真似はあまりしたくなかった。
なので、もしも解決が容易そうなら『取り合えず助ける』と言う選択肢も出てくる。
街を元通りにすれば、買い物も出来るだろうから。
まあ、街がこんな状態だから盗んでもバレなさそうではあるけど、さすがにそれはちょっと気が引ける……。
「それで、その、何か解決方法とかってあるんですか?」
「……解決方法のう。二通りじゃな。怒りを鎮めて貰うか、あるいは倒すか」
手段はあるにはあるらしい。
ただ、前者はともかく後者って可能なのかな……?
「相手の強さにもよるが、出来なくは無い。……精霊や神にも格や強さがある。理由は分からぬが、こうした事態を引き起こすという事は、随分と俗物的な感情に囚われておると見える。神や精霊としては若く格が低い存在であろう。であれば、十二分に勝てよう」
なるほど、と僕は相槌を打つ。
ヴァレンの説明は、僕からすれば納得が行くものだと言えた。
何か一つの神や精霊のみを信仰する人たちからすれば、神が多数いる上に格がある、等と言う話には耳も貸さないかも知れない。
けれど、僕自身は特別に一つの宗教や神を信仰してはいるわけではない。
そのお陰もあってか、この説明がすっと腹に落ちた。
ただ、いくら格が低いとは言え、そうした相手を倒す事は出来るのかと言う疑問は当然にある。
もっともそれはすぐに払拭したけれど。
かつて剣聖とまで言われたこの老人ならば、可能なのではないかと思えたのである。
本人の口ぶりからも、経験を思わせる節が見え隠れするし。
神だの精霊だのと言葉ばかりが大きく見えるけど、これは容易に解決が可能な案件な気がしないでも無い。
「……何か良く分からないけど、取り合えず元凶を倒せば良いって事?」
きょとんとした顔で、今まで黙っていたセシルが口を挟んで来た。
「……こういう馬鹿な所は目に入れても痛くない程に可愛いんじゃが、もう少し頭を使えるようになって欲しいって思いもあるんだがのう」
ため息を一つ吐くと、ヴァレンは呆れ顔になりつつ、更に言葉を続けた。
「良いかセシル? 倒すのは最終手段と思え。……戦わずとも、原因を突き止めて怒りを静めて貰えそうなのであれば、それが一番良い」
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ヴァレン曰く。
――怒りを買うと言う事は、呪いをかけた存在が気に食わない何かがあった、と言う事。
――恐らくはその原因の人物がいるハズ。
――罰とも取れる処置として、そうした人物は呪いの適用外にされている事も多い。
――ゆえに、詳細を知る為にも、まずはそいつを見つける必要がある。
との事らしく、僕らは二手に分かれてその人物を探す事とした。
ヴァレンとセシル、僕とアティの二手だ。
しかし……しばらく探しては見たものの、これが中々に見つける事が出来ない。
人々は茨に包まれ時が止まっている。
誰かに何かの話を聞く事すら出来ない。
「……見つからないね。本当にいるのかな、原因の人物」
「そうは言わず、今の所は私たちに直接の害があるわけでは無いので、気長に探しましょう」
思わず愚痴ってしまうと、アティにそんな事を言われてしまう。
なんとも言えずに口元を歪ませつつ、僕は頬を掻いた。
僕の方がアティより年上なんだけれど、たまに逆に思える事がある。
世の中の事を僕よりは知っているのだから、その差なのかも知れない。
まあ、知識や経験に関しては、旅を続けていればいずれ大差は無くなるだろう。
――と、その時だった。
服の中に仕舞っていたエキドナが、もぞもぞと動いて外に飛び出ると、するすると進み始めた。
やがて路地裏の入り口で止まり、「ぎぅ」と小さく鳴いて振り返り、僕らを見る。
「……ついてこい、と言っているように見えます」
「……の、ようだね」
良くは分からないけれど、何かあるのかも知れない。
だから、僕らはひとまず、エキドナの後を付いて行く事にして見た。
人ではないからこそ持っている感覚とか、そういうのもあるのだろうし。
茨で敷き詰められた道を進み――やがて、突き当たりへと出る。
そこに何があるわけでも無く、つるに蝕まれた建物の壁だけが見えた。
ただ、ほんの一瞬だけ。
一つの窓の向こうに動く人影のようなものが映る。
僕とアティは怪訝に思い様子を伺う事にした。
すると、
「……どうして、どうしてこんな事に」
青年の男の、すすり泣くような声が聞こえてくる。




