第036話目―人魚と猫―
おーえす! おーえす!
※※※※
停まっている船は、
バレスティー号以外のものもある。
だから、何かと島を歩く見慣れない人々もそれなりに多い。
しかし、それでもなお、必ずどこからか「にゃ」という言葉が聞こえてくる。
視界に必ず一匹は猫が入る。
そういう島らしいと言うのは分かったものの、
護岸で釣竿を垂らしている猫などを見かけると、
なんとも言えない気分になる……。
「釣れたにゃ! あっ、でも、ウミタナゴにゃ……」
「にゃにゃにゃ! 俺はメバル釣ったにゃ!」
「にゃ、にゃごおおおお! お、重いにゃ! 誰か手伝うにゃ!」
「分かったにゃ!」
「「「おーにゃす! おーにゃす!」」」
「にゃー! アナゴにゃー!」
そんな猫達を横目に見つつ、街を歩く。
すると、色々とこの街は猫仕様のモノが多い事に気づいた。
建物自体は人に対応した大きさとなっているものの、取っ手の位置がやたら低かったりする。
まあ、中が狭いワケでは無さそうだから、別に良いといえば良いんだけど。
「あの、ハロルド様……」
僕が色々と観察をしていると、
アティがくいくいと袖を引っ張ってきた。
「どうかした?」
「いえ、その……猫ちゃんが」
アティの視線の先を追うと、そこには二本足で立つ一匹の猫がいた。
帽子を深く被り、腰にポーチをつけたその猫は、ごまをするように前足をすりすりしている。
なんだこの猫は……。
「ダンナ、ちょいとそこのダンナ」
ゴマをする前脚を崩さず、猫が話しかけてくる。
「この島の案内とか必要ないにゃ? お安くしとくにゃ」
「案内……? 観光案内って事?」
「そうにゃ。色々と秘密スポットもあるにゃよ」
どうやらこの猫、
観光案内の仕事をしていて、
僕らに目をつけたようだ。
どうしようかな。
そこそこ歩いては見たけど、確かにまだ分からない所もある。
滞在日数も決まってるし、ある程度効率的に回るなら、雇うのも手かな……。
「ちなみに、いくらなの?」
「お兄さん持ってる通貨は何だにゃ?」
「ドゥだね」
ロブはもう無い。
全て両替済みだ。
「ドゥなら……三千でどうかにゃ?」
三千か……。
観光案内の相場が分からない。
だから、なんとも言えない。
でも、そこまで高い金額では無い気はする。
万を越えたら、さすがにぼったくりじゃないかって疑うけど。
ちらりと猫を見る。
くっくっくっと体を左右に振っている。
何かムカつく。
と、思っていると。
猫が急に泣きそうな顔になった。
「た、頼むにゃああ。お仕事ないと生きていけないにゃああ……」
そ、それはそうだろうけど。
「後生だにゃああ……」
「卑怯くさいね……」
「お腹触って良いから、お願いだにゃ」
猫がゴロンと横になる。
別にお腹なんて触れなくても良い。
しかしまあ、こういう態度を取られると、何だか騙されているような気がしてきて、頼みたくなくなってくる。
けれど――そんな僕とは裏腹に、アティが反応した。
「……お腹」
「ん?」
「いえ、何でもありません」
努めて冷静な表情ではある。
しかし、僕は偶然にも「お腹」と言う単語を聞き逃さなかった。
もしかしたら、触りたいのかも知れない。
……そうだとすれば。
「よし、雇おう」
「え? 良いのかにゃ?」
「その代わり、お腹触るよ」
「どうぞだにゃ」
「……アティ、ほら、触って見ると良いよ」
「……え?」
「良いから、ほら」
僕はアティの手を掴むと、
そのまま猫のお腹まで持っていく。
「ふわふわで、柔らかい……」
アティの表情が緩む。
どうやら、触りたかったで間違いは無いようだ。
良かった良かった。
「ちょっと力強いにゃあ……。もっと優しく触るにゃ」
アティが触ってる最中は黙ってて欲しい。
※※※※
「ふぃー、大体こんなもんにゃ」
猫は前脚で額を拭う仕草をして見せた。
汗を掻く生き物では無いと思うので、あくまで、「一段落ついた」と言う気持ちを表明したいだけなのだろう。
まあ、そんな事はさておいて。
とりあえず、この猫はあんがい仕事上手だった。
各お店の特徴等も抑えつつ、横道にそれないと発見出来ない休憩所など、様々な場所を短時間で的確に案内してくれた。
「お疲れ様。ありがとう。はい、じゃあこれお代ね」
「毎度ありにゃ」
僕がお代を渡すと、
猫は腰のポーチに大事そうにお金を入れる。
さて、これで猫とはお別れだ。
アティが名残惜しそうにするかなと思ったけど、
最初に触れただけで満足らしい。
特に引きずるような表情はしていなかった。
まあ、ペットはエキドナもいるしね。
僕の服の中でモゾモゾ動いてて、まったく表に出てこないけれど。
猫苦手なのかな。
「……あっ、ちょっと待つにゃ。サービスするにゃん。ダンナ、悪い人じゃ無さそうだにゃ。最後に一つだけ、秘密中の秘密スポット教えるにゃ。他の客には教えないとっておきにゃ」
僕らが踵を返すと、ふんすと猫が息を吐く。
何やら、最後にとっておきの場所を教えてくれるらしい。
※※※※
うっそうとした茂みを抜けて、
狭い岩山の空洞を通って、
道無き道となっている岸壁を降りていくと、
小さな砂浜に出た。
周りは岩で囲まれていて、
普通に散策していたら、
まず見つけられなさそうな場所である。
「ここがとっておきなの?」
「そうにゃ。……でも、今日は来てにゃいか」
「来てない?」
「運が良いと、人魚が居るにゃ」
人魚なんて生き物がいるらしい。
僕は当然だけど見た事が無い。
「私も人魚は見た事がありません。一部の迷宮の中の、下層以下の大きな湖のような場所で出くわした、という話を聞いた事がありますが……。迷宮外にも居るなんて」
アティでも見た事が無いらしく、驚いていた。
凄く珍しいのだろう。
「……ここにくる人魚は、ずっと南の方から来たらしいにゃ」
猫が情報を捕足する。
そう言えば、南の方には海底迷宮があるとか何とか、トゥースがそんなことを言っていた気がする。
もしかして、そこから出てきたのが、ここに辿り着いたのかな?
しかし、そうだとすると人魚は魔物だ。
大丈夫なのかな……。
先代剣聖ことヴァレンも、迷宮外に出てくる人型の魔物は凶悪なものが多い、とか言ってたような……。
「人魚は大人しいにゃ。ちゃんと話も通じるにゃ」
まあ、ヴァレンもあくまで「多い」ってだけしか言ってなかったし、例外もあるのかも知れない。
猫は人魚と話した事があるようだけど、襲われる事なく無事のようだし。
しかしともかく、とっておきと言う言葉に納得が行った。
もしも本当に人魚と会えるのであれば、
確かに秘密スポットかも知れない。
「……まー、気になったらまた来て見ると良いにゃ」
「そうするよ」
居ると言うなら、一回くらいは見てみたいものだ。
今日は残念だったなと思いながら、僕は軽く頬を掻く。
すると、次の瞬間。
ざぱぁああん、と海辺から何かが飛び出してきた。
綺麗な羽衣を纏ったその生き物は、上半身が女性の形でありながら、下半身が魚だった。
――人魚。
僕とアティは目を丸くして、
猫は嬉しそうにジャンプした。
「にゃにゃにゃ! 出たにゃ!」
「あら、ショバンニ」
「アンナネルラ! 今日は来てたにゃ!」
「そうねぇ、天気も良いし、ショバンニも来ているかも知れないと思って」
猫――ショバンニの言葉は本当だった。
そして、ただ単に話をした事があるだけでは無くて、どうやら結構仲が良いらしい……。
猫と人魚の名前の元ネタ、分かる人は結構多そうな気がします。




