第033話目―ワシも悩んでおる―
今回は色々と説明回っぽくなってます。すみません……。
※※※※
「思えば、ワシの肩書きをまだ言っておらなんだな。ワシはヴァレン――先代剣聖ヴァレン・マイヤーズじゃ」
――剣聖。
その言葉の意味を僕は良くは知らない。
武の情勢に関して極めて疎いからだ。
ただ、そう言えば、以前に剣聖グルゴーとか言う名前を聞いた事があるような……。
何か関係があるのだろうか?
いや、まあともかく。
概要が分からないにしても、
剣の聖と言う言葉からは察する事が出来るのは、
さぞや名のある人物なのだろう、と言う事だ。
例えそれに、【先代】と言う前置きがついても。
これでセシルの強さの秘密が分かった。
このような人物が祖父ともあれば、その手ほどきを受ければ、アティとさして変わらなさそうなあの若さでも、強くはなれるだろう。
「準備は良いか、若人よ」
ヴァレンの歩みは遅い。
けれど、その威圧感が感覚を狂わせる。
実際の時の流れを、遅く感じているだけ――いわゆる、走馬灯に近い状況なのではないかと思えてくる。
しかし、それはあくまで錯覚でしかない。
実際の時の流れは平常だ。
ヴァレンの動きは見た通りにゆっくりしたものである。
「……どうした? 胸を借りるつもりで良いのだぞ」
「そうは言われましても、すぐに攻撃したら、返り討ちにあいそうでして」
「……それは確かにのう。すぐに向かってくるようであれば、もう勝負は着いておるかも知れん。まあ、逃げるようであってもその隙をワシは逃さんがな」
押すも駄目、引くも駄目ときたものだ。
そもそもの実力差もあるのは、一合交わさなくても分かる。
うーん……。
進退窮まっているね。
今すぐこの木槍を手放して、「僕の負けで良いです」と伝えたい所である。
ただ、これがヴァレンの好意なのだろうと思うと、それは取れない手だ。
「……来ないのであれば、ワシから行こう」
その一言を皮切りに、ヴァレンが消えた。
目の前から、跡形も無く。
(――来る)
狙いがどこかは分からない。
それは、明らかにセシルの不意打ちの一閃よりも早かった。
彼女の一撃が児戯に思えるくらいに。
不意打ちではないのに、この速さ。
恐らくあの時のセシルがヴァレンであったならば、
僕は受ける所か、気づく事もなくやられていただろう。
でも、これは不意打ちではない。
それがどこからであっても、
あらかじめ来ると分かっている攻撃だ。
だから、見る以外の対処が取れる。
来ると分かっているからこそ。
人が動く事で変化する空気の流れを、
肌で感じ取る事が出来る。
つまり、おおよその見当がついた。
切っ先は恐らく、僕の左側面から向かってくるだろう。
――そして。
ゴツッと木と木がぶつかる音が響く。
僕の予想は当たった。
ヴァレンの木剣を受け止める事が出来た。
周りの観衆から、「おお」と声が上がる。
「ほっほっ、よう受けたものだ。見えているようには思えなんだが?」
「お察しの通りに見えてませんでしたよ」
「ふむ。では……気配か?」
ヴァレンは、僕が見当をつけた方法を一発で言い当てる。
一見して素晴らしい慧眼に思えるが……、
「……ワザとでしょう?」
僕は苦笑しながら言った。
威圧感しかり、ヴァレンは恐らくワザと気配を出している。
見て避けれなかった場合、気配で受けるか回避が出来るように、加減をしているのだ。
その上であえて答え合わせをしてくる。
こういうやり取りが好きなのかも知れない。
「うむ。その通り」
ヴァレンは楽しそうだ。
楽しんで手加減しているのだ。
この状態でセシルより圧倒的に強いのだから、笑うしかない。
多分この好々爺は本気を出せば、
一切の気配を消す事すら出来るだろう。
その上で、より重く、より速い一閃も繰り出せるに違いない……。
※※※※
数分しか持たなかった。
僕はボロボロになって、デッキの上で仰向けになっていた。
観衆たちは「良い見世物だった」と口々に言うと、
さっさと居なくなってしまい、
ここにはもう僕とヴァレンしか居ない。
「どうじゃ。頭は冷えたか?」
ボコボコにされて疲れたせいか、
妙に思考が透明だ。
終わって見れば、確かに頭は冷えていた。
僕は小さく頷く。
「悩み事は解決しそうかのう?」
「……ええ、まあ」
スッキリしたお陰か、
僕は自分がどうするべきかについて、
ひとつの答えを出した。
(……昨夜の事はアティに謝ろう)
嫌がられた素振りは無かったし、
自分なりに優しくは肌を重ねたつもりだった。
けれど、最初に強引に同意を得たのは間違いない。
謝るべきだろう。
「であれば良いのじゃ。……しかしまあ、悩むは人の常よのう。ワシだって悩んで迷い続けておる」
ヴァレンは意外な事を言った。
これだけの強さを持っている上に、どこか飄々としていて、迷いなど無い人に見える。
けれど、それはどうやら違うらしい。
「悩む事も迷う事も大切な事じゃ。ワシが剣聖などと言われた時期があったのも、常に悩み迷い足掻き続けた結果であった。何を成すにしても、それが一番に大事。……世の中には『迷いを断ち切れ』等とうそぶくヤツがおる。ただの戯言に過ぎん」
ヴァレンなりの人生論があるようだ。
その言葉に深みや重みを感じるのは、
この好々爺がかつてに剣聖と呼ばれた人物だからだろう。
「なるほど……。しかし、これほどまでに強いのに悩みがあるとは、それが何なのか気になりますね」
「今であれば……逃げた事かのう」
「逃げた?」
一体なにから?
僕は頭の上に疑問符を乗せる。
すると、ヴァレンは一瞬言い淀んだものの、やがて口を開いた。
「……近々、北東大陸では戦争が起こる。帝国が大陸統一戦争を起こそうとしておる。ワシは帝国から逃げたのだ。すぐに起きるであろうその戦火から、大事な孫娘を引き離す為に、こうして大陸を渡り逃げる事を選んだのじゃ」
目を見開いた。
――戦争。
確かに予兆を感じてはいた。
しかしまさか、ここでその話を聞く事になるとは思わなかった。
「ワシは先代の剣聖と言う事もあって、情報が手に入る。そうして入ってきた情報を精査すると、もはや最近の帝国はワケが分からぬ事になっておる。……戦争に向けて強化兵を作る等と言い、おぞましき秘術を使い、迷宮の魔物と人との合成実験なども秘密裏に行っておると言う話も聞いたのう」
話が突拍子も無さ過ぎて、にわかには信じられない。
しかし、ヴァレンの肩書きゆえに入ってくる情報だと言うのであれば、信憑性は増す。
それに、迷宮の魔物と人との合成と言う言葉には、思い当たる節があった。
女型の蜂の魔物――異人館のボス。
魔物と人間を合わせたかのような見た目で、言動も人間を思わせるようなものだったのが記憶に新しい。
「……セシルから聞いた、お主が戦ったとか言う人間のような魔物。恐らくは帝国産じゃろう。どうにかして逃げおおせた後に、賊まがいになったに違い無い。迷宮の中におる人型の魔物が、外に出て暗躍していた、と言う可能性もあるにはある。ワシも迷宮を知らんワケでも無い。だがそれは滅多に無い事例。そもそもそうした魔物は凶悪なものが多く、決して微妙な強さでは無い」
ヴァレンからすれば、
僕やセシルが一応は戦いの出来る相手だった、
と言う一面だけで微妙扱いのようだ。
いやまあ……もしもヴァレンがアレと戦っていたら、瞬きの間に真っ二つにしてた感はあるけれど。
まあ、ともかく。
北東大陸は本当にキナ臭くなっていたようだ。
早めに出ようとした僕の判断は、
間違いでは無かったようである。
「……まあ、とにもかくにも、ワシはそうした裏事情を事前に手をしたがゆえに、どうなるかも分からん戦争から大事な孫娘を守るべく、友人や知人、それに大事な故郷を捨てたのだ。これは随分と悩んで決めた事ではある。が、しかし、こうして船に乗り、引き返す事が出来ぬ状況となってなお、ワシは引きずるように今でも迷い悩み続けておる」
ヴァレンのため息が響く。
どうやら、自らの決断に今でも悩んでいるらしい。
しかし不思議な事に。
話の内容の重さとは裏腹に、
ヴァレンには悲壮感のようなものが無かった。
達観にも似たその表情は、先ほどに彼が言った、悩み迷う事が一番大事と言う考えから来るのかも知れない。
悩み迷う事を肯定的に見ているのだ。
常に最善と最良を探し続けているのだろう。
僕はそんなヴァレンを見て、
少しその在り方を参考にして見る事にした。
すると――、自分が自己嫌悪に陥り悩んだ事が、不思議とそう悪い事では無いと思えてきた。
もしも悩む事を選ばずに、「アティは僕の奴隷なのだから、好きにして良い。何が悪いのか」等と安易に開き直っていたならば。
きっと今は無かっただろう。
ヴァレンが僕に戦いを提案をする状況にもならなかったし、
その結果として出てきた、
謝ろうという選択肢も考え付かなかった。
これは、悩んで頭を冷やそうと思ったからこそ、得られた成果だったのだから……。
空は青い。
ずうっと青い。
宙を舞う海鳥が、鳴いている。
戦争、帝国、異人館のボス等々が一応繋がりました。ヴァレンありがとう。




