第032話目―ヴァレン―
前回のあらすじ→アティと一線越えちゃった。
※※※※
目を覚ますと既に昼を回っていた。
バレスティー号もいつの間にか出航し、北東大陸からは離れていたようだ。
揺れをあまり感じなかったのは、きっとそれなりに大きな船だからだろう。
徐々に意識が覚醒するに従って、僕は昨夜の事を思い出し始める。
そして……自己嫌悪に陥った。
昨夜に僕がした事は、端的に言うなれば、衝動の赴くままにアティを襲っただけに過ぎない。
(……自分が酷く駄目なヤツに思える)
思わず僕は頭を抱えた。
唯一の救いは、アティが嫌がる素振りを見せなかった事くらいだ。
ちらりと、隣で眠るアティの様子を伺った。
すると、すやすやと眠っているのが見える。
優しくはしたものの、昨夜は長い時間を頑張ってしまったから、そのせいだろう。
疲れさせてしまったに違いない。
振り返って見れば。
アティはただ受け入れてくれた。
それが主人と奴隷という関係性による諦めなのか、あるいは僕という人間への好意ゆえなのか、それは分からない。
ただ、一つだけ言える事はある。
――僕は少し、頭を冷やさなければならないと言う事だ。
※※※※
船内を一人でうろつく。
ジッとしていると、どうにも頭が冷やせそうに無かったからだ。
幸いにも、やる事だけはそれなりにある。
手持ちのロブを、西大陸で良く使われるドゥに両替したり、バレスティー号の航路の確認をしたり、着いた先の港町の情報を集めたり。
そうこうしている内に、時間が過ぎていった。
しかし……、残念な事に、僕の頭が冷える気配が感じられなかった。
船内には、広場のようになっている場所がある。
そこにある長いすに腰掛けると、僕は息を一つ吐く。
すると、不意に声を掛けられた。
「――おや、これは若人では無いか」
好々爺ことヴァレンだった。
「どうも」
そんな風に軽く挨拶をすると、ヴァレンは僕の隣に座った。
一体なんだ。
「そう変な顔をするではない。単にお主と少し話しがしたかったんじゃ。……礼を言いたくてのう」
「礼ですか……?」
「先日はセシルが世話になった。すまぬ」
先日……?
……そうか、恐らく異人館の一件の事かな。
どうやらセシルはヴァレンに話したようだ。
切り替えの早さからして、話すほどの事でもない、とか思ってそうな気はしてたけど。
「……別に、お礼を言われるような事は」
「いや、礼は言う。アレはワシの可愛い孫娘なのだ」
「……僕より強いし、僕が居なくても何とでもなったかと」
「強い弱いと勝ち負け、あるいは生き残れるかは、全くの別物じゃよ」
そう言われて、僕はふと父親の事を思い出した。
それなりに腕が立つ人であったけれど、結局は迷宮から帰って来なかった。
ヴァレンの言う通りかも知れない。
「あの子はどうにも猪突猛進な面があってのう」
……それは見ていて分かる。
「慎重さを持たぬ、それは命を落とすに十分な理由足りえる。だから礼を言っておる。セシルはお主の行動の取り方に対して、不満があると話しておった。……しかし、それゆえに理解出来た。お主が抑えてくれたのだな、と。自分の勇み足を止められると、セシルはいつも文句を言う」
確かに僕は、セシルを抑えるような役回りをした。
そして、どうやらそれは、ヴァレンにとって礼を言うに値する事だったらしい。
「それと多分じゃが、お主もしかして、セシルに不意打ちとか仕掛けられなかったかのう?」
「……ありましたね、そんな事」
「全くあの子と来たら。……本当にすまぬ」
さすがに祖父なだけはある。
孫娘の行動や考えが、ある程度は予測出来てしまうらしい。
まあともあれ。
僕としては既に終わった事だし、今更どうこうも思わない。
「別に気にしてないですよ」
「そう言って貰えると助かる。……時に、何か悩んでいたように見えたが、何か悩み事でもあるのかのう? 恩返しと言うわけではないが、話を聞こう」
突然の提案に、どうしようかと僕は一瞬悩んだ。
しかし……、最終的には言葉を濁しつつも話す事にした。
折角の好意を無下にするのも悪いと思ったし、何より、心のどこかで話す相手が欲しいと思っていたから。
つらつらと。
今の自分は頭を冷やしたい状況にあるのだと、僕はそう話した。
※※※※
船上のデッキで。
僕とヴァレンは互いに向かい合っていた。
それも、互いに木剣と木槍を構えてである。
催し物か何かと勘違いした人々が、観客のように周りに集まり始めてもいる。
どうしてこうなったのか、良く分からない。
「――頭を冷やしたいと言うのならば、これが一番じゃ。血の気が抜けるじゃろうて」
彼なりに僕をおもんぱかってくれた結果らしい。
しかしそれがこれとは……。
ヴァレンは正直、セシルの事をどうこう言えないのではないだろうか?
「加減はいらぬ、全力で掛かってくると良い」
そうは言うけれど、
さすがにそれは気が引ける。
と、そう思っていると。
急にヴァレンの雰囲気が変わり始めた。
ピリピリとした、空気が張り詰めるような緊張感が辺りを支配する。
異様な威圧感。
只者や、少し腕が立つくらいの人物が出せるような代物ではない。
ヴァレンは、ゆっくりと笑むとこう言った。
「思えば、ワシの肩書きをまだ言っておらなんだな。ワシはヴァレン――先代剣聖ヴァレン・マイヤーズじゃ」
ヴァレンの優しさ、プライスレス。
 





