第031話目―欲しくなったんだ―
昨日中に投稿したかったのですが、少し時間が掛かってしまいました。
すみませんでした。
※※※※
「遅い――っ! って、隣のは……」
入り江まで辿り着くと、
アティの姿を見たセシルから、
そんな言葉が飛んで来た。
いきなりの登場に驚くのは分かる。
しかし、今はそんな事を気にしなくて良い。
「実はアティも来ていたって言う、それだけの事だから」
「そうです」
「えぇ……? ああもうっ! 分かった。時間食ってる場合じゃないものね」
セシルは一瞬戸惑ったものの、
何を優先すべきかは分かったようだ。
僕らは急いで舟に乗る。
アティが乗ってきた舟もあるようだから、それも使い、二隻で帰る事とした。
僕とアティで一隻と、マディとセシルで一隻である。
しかし……、舟に乗ったは良いものの、問題が一つある事に気づいた。
出航するにしても――この豪雨で、進む方向が定かとならないのだ。
先を見据えようとしても、まるで見えない。
(……でも、いつまでもはここで立ち往生するワケにも行かない)
焦りが生まれる。
だが、不意に雨の勢いが弱まった。
隙間の無かった雲り空に、幾らかの裂け目が見えて、そこから暖かな光が差し込んで来る。
水かさは増しているし、いまだに波は荒れ模様と言える。
けれど、進むに当たっての一番の問題がなくなった。
まるで、僕らに進めと言っているかのようだった。
急げ急げと、そう言われたような気がした。
この機会を逃すハズも無く、僕らは舟を進める。
そして――。
雲色に濁る海の上で、
セシルがマディの異変に気づいたのは、
岸が見え始めた辺りの時の事だった。
並走する舟に乗るセシルの顔色が、急に強張った。
僕は何事だと訊いた。
すると、
「ちょっと待って、この子……」
セシルは舟を漕ぐ手を止めると、
そっとマディの首筋に手を触れた。
「……冷た過ぎる。私が最初に抱きかかえた時よりも、ずっと冷たい。生きてる人間の暖かさが、もう無くなってる」
「……え?」
それは、マディの訃報を知らせる言葉だった。
生命活動の停止を意味する言葉だった。
ボスの開いた下腹部に食べられていた時に、何か毒のようなものを与えられていたのか。
あるいは精神的に追い詰められ、憔悴しきっていた中で、この豪雨によって体力を削られ、その結果だったのか。
原因は……分からない。
ただ、海面に揺れる舟の上で。
僕らはしばらくの間、息絶えたマディの顔をジッと見つめていた。
出航時に途端に雨が止み始めたのは、
既に全てを流して、鎮めきったからなのかも知れない。
異人館に燻る害意の火種や、僕らの義憤、この子の命。
――善悪問わずに、何もかもを。
※※※※
岸についてから、まずは舟を元の場所に戻した。
目立つ破損等もなく、勝手に使われた事については、持ち主もまず気づかないだろう。
それから、それが済んだ後に。
僕らがした事は、マディの埋葬だった。
死体を渡すワケにも行かない、と思ったからだ。
確か……居なくなったマディを探して、見つければ駆け寄って抱きしめる程には愛情を持ちえていた、そんな親だったと記憶している。
なら。
水よりも冷たくなった我が子なんて、
見たくも無いだろう。
もっとも、せめてもの手向けとして、
薬だけはきちんと届けてあげるつもりではあった。
だから、それから。
埋葬が終わった後。
僕はアティと一緒にマディの親を探す事にした。
セシルもついてこようとしたが、
元々この子を見知っているのは僕らだからと、
そう言って引き下がって貰う事にした。
彼女は、辛酸を舐めるような……、そんな表情をしていた。
ただ、
「……救う為に頑張ったのに、これじゃあ何の為に急いだのかも分からない。まあでも、後悔はしていないよ。私は私のやりたいように動いただけだから」
すぐに表情を切り替えると、息を一つ吐くだけに留めたものだった。
およそ剣を扱う人間として、
失われた命に対しての距離感を心得ているのかも知れない。
事切れているか否かに、明確な差異を置いている。
そんな感じがした。
僕とアティは街中を歩いて、マディの親を探した。
頭上には、まん丸の月が昇っている。
既に夜も深くなりつつあるのだ。
活気溢れる出店の類も、店じまいの様相と言えて。
どんどん静けさが増していった。
――ほう、ほう。
街中だと言うのに、どこからか梟が鳴く声が聞こえてきた。
世界は既に夜の住人の場となりつつあるのだろう。
マディの母親と出会えたのは、その頃だった。
※※※※
「あなた方は……っ!」
僕らが見つけたのではなく、
マディの母親が僕らを見つけた。
彼女はあっという間にこちらに近づくと、
慌てた様子で肩を揺すって来る。
「マディが、あの子が居なくなったんです! どこに居るかご存知ありませんか!?」
「いえ、今どこに居るかは何も……」
……知りません。
ただ、この薬を預かっていて――と、そう言葉を続けてようとして。
「夫がっ! あの子の父が、先ほど死んだんです! 最後に一目、マディを見たいのだと、頭を撫でてやりたいのだと、そう言っていたのにっ……」
僕を掴む手がずるずると下がり、マディの母親はがくりと地面に膝を落とした。
それは、なんとも救いの無い事実だった。
僕は何も言う事は出来なかったし、
アティも言葉一つすら発さない。
「……取り乱して、失礼しました。私はこれから、見つかるまでマディを探します。もうあの子しか居りませんので」
泣き崩れたマディの母親が、そう言ってこの場から立ち去るまで。
僕らはただ、月明かりに照らされた町並みを、ぼんやりと眺めていた。
薬を握った掌は、閉じられたままである。
開く事など、どうしてできようか。
――今回の出来事の結末は。
振り返って見れば、全体としては、あるいは得があったのかも知れない。
高価な薬は使われる事無く僕の懐に入ったままだし、偶然にも小蛇も手に入った。
海賊まがいのゴロツキどもは纏まりを無くしたから、治安維持にも一役買っただろう。
だが、マディとその一家にとっては。
ただ失っただけで終わった。
※※※※
数日が経った。
この間、特別なことは何ひとつ無かった。
小蛇の事をアティに伝えて、一緒に名前を決めたりとか、そんな事ぐらいしか無かった。
そうこうしている内に、北東大陸に居られる最後の夜が今。
「……」
僕は部屋の窓を眺めていた。
夜だから、そこには綺麗な海中などは無い。
ただただ真っ暗なだけである。
明かりを近づけて見る。
しかし、その闇の深さが晴れる事は無い。
思い返していたのは、マディの一件だった。
あれは、どこにでもある平凡な不幸の一つでしかなかった。
何も僕が気にする事では無い。
そういう唐突な終わり方は、いつだって転がっているのだから。
でも――。
――いつだって転がっている?
――じゃあ僕にもいつか、唐突な終わりが来るのだろうか?
ふと、そんな事を考えてしまった。
今まではどうにかこうにか、普通に生きてこれた。
しかし、思っても見れば、いつ死ぬかなんて事は分からないのだ。
家が燃えた時。
もしもあれが、僕が寝ている時だったら?
恐らくはそのまま、炭になっていた。
異人館での戦いの時。
もしもアティの助力が間に合わなかったら?
恐らくあのまま、殺されていた。
僕の胸の内に不安が渦巻いた。
心がザワつく。
すると、扉が開く音がした。
振り返るとアティがいた。
ほんのりと頬が赤くて、少しだけ水気を含んだ髪。
湯浴みをした後なのだとすぐに見当がついた。
「ハロルド……様?」
急な衝動だった。
僕はアティの言葉に答える事無く、
その体を抱きかかえると、
ゆっくりとベッドに倒れ込む。
「……君は僕の奴隷だ」
「は、はい……」
「だから、僕が今からする事を、君が拒否する事は出来ない」
「えっと、それは――」
そこから先の言葉を、喋れないようにした。
重なったのはお互いの唇。
いつもなら、情欲を感じたとしても、ここで終わりだ。
けれど、今日はこれで終わりに出来なかった。
アティの気持ちがどうとか、少しずつ距離を縮めるとか、そういう今までの積み重ねを壊してでも、急に欲しくなったから。
明日が来ない日が、いつか来るかも知れない。
それを考えると――。
僕は、君が欲しくて堪らなくなったんだ。
今まさに燃えているのは。
家でも無ければ異人館でも無い。
僕の劣情だ。
柔らかい肌も、
甘い匂いも、
君の初めても。
北東大陸を出る最後の夜。
僕はその全てを……自分のものにした。
この時に唯一僕が守れた理性は、
なるべく優しくアティを扱うと言う、その一点だけだった。
ひとまず、北東大陸編はここで区切りになります。
当初は8万~12万字くらいで収めるつもりをしていましたが、文章を削ったり、冗長になりそうな展開をそうならないようになるべく圧縮して詰めたり、書いてる最中にふと思いついた、間に挟もうかなと考えた話を入れなかった結果、7万字くらいで収まってしまいました。
とにもかくにも、なんとか一区切りのここまで頑張る事が出来ました。
バレスティー号での話をするか、それとも一気に西大陸に行くか。
まだ決めかねておりますが、続きも今まで通りに、出来る範囲で頑張って参りたいと思います。
 





