第022話目―この世界では当たり前の事―
早めに投稿。
※※※※
それが起きたのは、一瞬の事だった。
僕とアティが出店の綿菓子を買っていた時の事。
馬車による長旅を終えて、
少し気が緩んでいたのかも知れない。
綿菓子を受け取る時に、お金の入った鞄を足元に置いてしまった。
その瞬間である。
――どん。
と、一人の子どもが僕にぶつかってきた。
「へへっ、ごめんよ。お兄さん」
「別に構わないよ。それより、怪我は――」
「――バーカ! どんだけ間抜けなんだよ! ひひっ」
すきっ歯が印象的な笑顔を見せると、
子どもは一目散に走り出した。
その手に、お金の入った僕の鞄を持って。
やばい! ひったくりだ!
あれは全財産。
1000万ロブ以上入っている。
あれが無くなったら、船に乗れない所か無一文になってしまう。
今日泊まる場所を探す事すら出来なくなる。
「まっ、待て!」
僕は慌てて追いかける。
しかし、子どもは予想外に早い。
巧みに人ごみを上手くすり抜けて行く。
このままでは見失ってしまう。
くそう、と心の中で僕は思わず舌打ちをして――それと同時に。
路地裏に入ろうとした子どもが、いきなり何かに驚いてずっこけた。
何だか知らないけど、助かった……。
僕はすぐさまに子どもに追いつくと、
その襟首を掴んで持ち上げた。
「鞄、返して貰うよ」
「あっ、あっ、あわわわ……」
僕に捕まった事が余程驚きだったのか、
子どもは口をぱくぱくと閉口させている。
そう、思いきや。
ふと僕は気づいた。
子ども視線がこちらではなく、地面に向いている事に。
地面には小さな穴が開いていた。
まるで、銃弾でもぶち込まれたような……。
……銃弾? まさか。
僕は思い当たる節があったので、ゆっくりと振り返った。
すると案の定。
発砲を終えて、狙撃銃を再び担ぎなおすアティが目に映る。
子どもが驚いたのは、僕に捕まった所為では無かった。
子どもの足元の地面に向かって、アティが銃弾を叩き込んだからである。
発砲音が聞こえなかったのは、
狙撃銃に消音部品が付いている事と、
雑踏のざわつきにかき消されていたからだろう。
「……安心して下さい。当てる気はございませんでしたので。あくまで、止まって貰う為の威嚇射撃です」
この言葉はたぶん本当だ。
アティの腕前を知っているから分かる。
その気になれば、この人ごみの中であっても、頭を打ち抜く程度ならば容易なハズなのだから。
(でも、ちょっと驚かせ過ぎじゃ……)
やり過ぎでは無いのか、と僕が困惑した表情を作る。
すると、アティの顔が少しだけ険しくなった。
「大事なハロルド様のお金です。盗られたら事です。それに、子どもだとしても、やって良い事と悪い事があります」
「ご、ごもっともです」
ふんす、と鼻息を荒くしたアティに、なぜか僕は引け腰になった。
なんとなく、言い合いになったら勝てそうには思えない。
だから僕は子どもの首根っこを掴んだまま、
余計なことを口に出さないようにして、場所を移す事にした。
※※※※
僕からは鞄をひったくった子どもは、
良く見ればボロの布切れのような服を着ていた。
匂いもきつく、とても清潔だと言う風には見えない。
「お金が欲しかったの?」
僕はそう訊いた。
この身なりから察するに、貧困に喘いでいるのかも知れない。
しかし、
「……」
子どもは一向に事情を喋ろうとはしなかった。
たまに言葉自体は出てくるものの、その大半は、「うるせぇ」とか「教える必要はねぇ」だとか、そんなのばかりだ。
カワイクナイ。
「人のお金を取ったら駄目なんですよ?」
今度はアティが子どもに問いかける。
けれど、僕の時と大体同じような反応しか返ってこない。
「黙ってろブース」
その言葉に、アティの目尻がピクリと動いた。
女の子だもの。
ブスなんて言われたら、それが事実じゃなくてもイラッと来るよね。
大丈夫。
アティが可愛くて美人だって、
僕はちゃんと知っている。
しかし、このままだと埒が明かないね……。
理由が分かれば、諭し方も見えてくるし、諭す事が出来れば、反省してるの一言が引き出せそうなのに。
そこまで来たら後は解放するんだけどな。
(別に放置しても良いと言えば良いんだけど……)
ただ、このままにしておくと、いつか取り返しのつかない事をしそうに思えた。
それは少し寝覚めが悪い。
僕は唸る。
どうしたものかな、と。
しばし時間が経つ。
すると――妙齢の女性が一人、こちらに駆け寄ってくるのが見えた。
「――あぁ、マディ、こんな所に居たの!」
「か、母ちゃん……」
どうやら、母親のようだ。
自らの子ども――マディと同じで、小汚い服に身を包んでいる。
母親はマディの傍に駆け寄ると、ぎゅうっと抱きしめた。
「何をしていたの? この方たちは……?」
「な、なんでも無いよ」
「そんな事無いでしょう。……あの、うちの子が何かされましたか?」
母親は僕らの方を見ると、
申し訳なさそうな表情で問いかけてくる。
僕は一瞬迷ったものの、全てを話す事に決めた。
母親から叱られれば、この子にとっても良いお灸になるだろうと思ったんだ。
実は、と僕は切り出す。
母親は全てを聞き終えると、涙を一滴流して、しきりに頭を下げて来た。
「後でキツく叱りますので。すみません、すみません。この度はうちの子が……」
「いえ、結局お金は戻って来ましたし、そこまでは怒ってません。ただ、こういう事はしないように教えないと、いつか取り返しのつかない事になりますよ」
「教えてはいるんです。いるんですけれど――」
「――母ちゃんは黙ってろよ! お金がありゃあ解決するんだ! 父ちゃん助けられるんだ! 借金だって返せるんだ!」
母親の言葉を遮るように言うと、
睨み付けるような顔をして、
マディはそのままどこかへ走り去って行った。
「ああっ、マディ、待つのよ!」
母親も自らの子どもの後を追って、ぱたぱたと走り出す。
……何だか、色々と事情があるようだ。
僕は息を一つ吐く。
すると、アティが何とも言えない表情になった。
「……どこにでもある話ですよ」
そう言ったアティの言葉に、間違いは無い。
その通りだった。
どこにでも転がってる話。
事情を抱えてお金がない家の子が、
理由は千差万別あれど、犯罪に手を染める。
この世界では、当たり前のようにある出来事の一つでしかないのだ。
何も特別な事なんかじゃない。




