森の魔女
『森の奥には魔女が住んでいる。』
『魔女に近付くと災いが起こる。』
その村ではそんな言い伝えがあった。
村の西にはどこまでも続く広大な森が広がり、北に少し行けば小さな街が、東の草原の先には小さな村が、南にには王都があった。
北の街から王都までは、急げば三日もあれば着いてしまう。しかも王都に近いため治安も良く、そのせいで村は素通りされてしまう事がほとんどで都に近い割にあまり賑わいのない静かな村だった。
「おばあちゃん、魔女様は一人で寂しくないの?」
「さぁ、どうだろうねぇ。けどね、魔女様はきっと静かに暮らしたいんだよ。だから、お邪魔をしてはいけないよ。」
「ジョアンがね、言ってたの。森の入り口でもこんなに野草や動物が採れるんだから、奥にはもっと沢山の色んな物があるはずだって。」
「良いかい、モレーヌ。おばあちゃん、他所の村からお嫁にきたからよくわかるんだ。この森は特別なんだよ。本当ならね、森ってのは、そりゃ危険なものさ。森に慣れたはずの猟師でさえ道に迷ってしまったり、危険な動物に襲われたりね。」
実際、この魔女の森は異常だった。
本来ならば、暗くジメジメした所に生えるキノコ類が、入り口付近の木漏れ日の多くさす風通しの良い場所に群生していたり、少し開けた場所に、狙ってくださいと言わんばかりに、動物達が休息していたり。
「きっと魔女様は、『入り口で済むようにしてあげるから、奥には来ないで。』って言ってるんだと思うよ。」
「おばあちゃん、わたしこの森好きよ。でもね、ここにはお花がないの。魔女さまもね、お花があるときっと嬉しいと思うの。」
「優しい子だね、モレーヌ。そうかもしれないけどね、それでもやっぱりダメなの。」
この言い伝えを、ただの迷信だと馬鹿にして森の奥を目指そうとする若者は時折現れた。
だが、その度に言い伝えの正しさは補強されていった。
ある者は気付けば入り口に戻っていたり、ある者はそのまま姿を眩まし、数ヵ月後に森とは別の方向から帰ってきた。
希に森の中で人に会ったという者達がいたが、それらは皆、言い伝えを知らない他の街から来た者が森で迷ってしまった挙げ句の話だった。
その者達がいうには、迷ってしまったと告げると、ただ黙って指を差し、その方向に進むと森から出られたそうで、『フードを目深にかぶっていたから顔は見えなかったが、体格的に女だろう。』との事だった。
他にも『話を聞こうと近付いたら、地面から何かが涌き出てきて、怖くなって逃げた。』だの、『突然物凄い悪寒がして、素直に指差す方向に振り返らず歩き続けた。』などの証言もあり、村の者が迷ってしまう事も踏まえ、冒頭のような言い伝えが生まれたのだ。
モレーヌは花が大好きな極普通の、そして優しい素直な女の子だった。そして森も大好きだった。
よく祖母や母に着いていって、大人がキノコや野草を摘んでいるあいだ、一人でその付近を探険していた。
「やっぱりここにはお花がないわ。キレイな森なんだもの、キレイなお花がきっと似合う!お恵みをくださる魔女さまに、お花のプレゼントしなきゃ!」
モレーヌはいつしか、大人の目を盗んでは一人で森に入るようになっていた。
川の畔の小さな黄色い花や、畑の柵の根元に咲いていた真っ赤な花、玄関先に生えていた青紫の花など、何処にでもある普通の、それでいて鮮やかな花々。そして良い花が見つからない時は、代わりに川辺で拾った形の良い石や、細長い葉っぱで編んだ、小さな籠。それらを森の探険で見つけた、少し奥まった所にある岩の祭壇(無論、それは祭壇などではなく、ただ大きめの岩で上場が平らになっているだけのもの)に供えた。
それを週に1、2回ずっと。
半年程過ぎた頃だった。
モレーヌがいつものように祭壇に行くと、近くの大木から突然大きな白い狼が現れた。
驚きと恐怖で固まるモレーヌに、狼は唸りながら少しずつ距離を縮める。
「こ、こんにちは狼さん。あ、あの、お花を届けにきたの、ま、ま、ま、まじょ、魔女さまに、そ、その…だから、その、ごめんなさい、あなたのぶんはなくて…」
にじりよる狼に怯えつつ、何とか敵意は無いことを示そうと笑顔を作るが、本当は怖くて泣きそうなのをグッとこらえるのが相まって実にヒドイ顔になってしまった。
すると、狼が顔を背けた。何に反応したのかわからないが、小刻みに震えている。
『狼が怯えてる?何かもっと怖いものが来てしまうのかも?!』
モレーヌは一目散に駆け出した。
「狼さんも逃げて!さようなら!」
それからしばらく、あの狼の恐怖を忘れられず森には近付けなかった。…という事もなかった。
「狼さん、ちゃんと逃げたかしら?それにしても綺麗な狼だったなぁ…怖かったけど。全身真っ白でサラサラな毛並みで…ビックリしてちょっと漏らしちゃったけど。ちょっとよ。ほんのちょっとだけ。」
狼との遭遇から二日目。やはり気になって祭壇に行ってみる事にした。
色々引っ掛かることがある…あんな立派で綺麗な狼の話など聞いた事がない。小さく静かな村だ、どんな些細な事でもまるで大事のように話題は広がるはず。
それと、今まで供えてきた花達。最初のうちは前回供えた時のままだったのがほとんどだったのに、しばらくすると、綺麗に全て無くなるようになっていた。
「もしかしたら…」
「でも、やっぱり怖い………そうだ!」
祭壇に来ると、既にあの狼がいた。
祭壇を挟んで向こう側、こないだ別れた時と同じ場所に伏せている。
モレーヌは少し離れた木に体を隠しながら、頭だけをちょこっとだけ出し狼に声をかけた。
「あの、狼さん、こないだ大丈夫でしたか?何か怖いの来ましたか?」
狼はモレーヌの方をチラッと見ると、また顔を背けて小刻みに震えだした。
『もしや、ケガをしているのでは?だからこの間も追いかけられなかったんじゃ?…って事は後から来た何かからも、逃げられずにひどいことされてしまったのでは?!』
「狼さん、わたしの言葉、わかりますか?ケガ、してるんですか?い、今からそっち行きますね。だから、あの、食べないでくださいね。」
モレーヌは恐る恐る狼に近付く。
頭に乗せた鍋がズレ、視界を塞ぐ。
「アッ!」
地表に張り出した太い木の根につまづき転倒するが、体に巻き付けた毛布がクッションとなりケガはなかった。
「…グッ…!」
狼が一瞬呻く。
「!?やっぱりケガしてるのね!?待ってて、すぐ助けてあげるから!」
モレーヌは鍋を被り直すと走り出した。が、また転んだ。ほどけた毛布の端を踏んでしまったのだ。
「………!!!」
狼の震えは大きくなる。
「大変!とっても痛いのね?すぐよ!すぐだから!」
片手で鍋を、もう片手で毛布の端を掴んで走り出し、…ようやく狼の元へたどり着く。
短い距離だったが、モレーヌは既に泥だらけになっていた。
「さぁ、これを飲んで。これを飲めば痛みも疲れも吹っ飛ぶってパパが言ってたから。狼さんにも効くと良いのだけど…さぁ口を開けて。」
モレーヌはスカートのポケットから小瓶を取り出すと、蓋を開けて
狼に飲ませようとした。
モワァッと広がるアルコール臭。
狼は立ち上がると、数歩後ずさると首をふった。
「あれ?」
モレーヌは訳がわからず、少し固まった。