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魔譚  作者: 御劔浄
第一章 王起ち、翼開く
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第七話










 ■■





「ああ、早く飛びたいな。」


【飛んでいるのは我であろう。お主は乗っているだけだ。】


「だって、気持ちいいじゃん。初めて飛んだときは怖かったけど、今は楽しいから好きだよ。もしかして、僕って重いかな。」


【お主程度のものではさわりない。だが当然のことと思うな。】


「分かってる。感謝してるんだよ。」


 二人はアスタール軍が駐屯している村の外れ、ドラゴンが魔族の兵士を嫌うことがあり軍列から離れた場所にいる。

 散歩と称して空を飛んだことを叱ろうとした様子のケルヴァー将軍だったが、ナタル卿のとりなしで事なきを得た。曰く、兵達の士気が上がるとのことである。

 また空を飛びたいとエーヴィンは考えている。空を飛んでいる間だけは、何者にも縛られない自由な場所だった。飛翔の魔法を浄化されてふらつくドラゴンの背中でせっせと魔法を練習するのが、ここ数日のエーヴィンの日課だった。

 そして、もう一つ。

 ドラゴンの翼の下で寝ることもまたエーヴィンの日常となりつつあった。ドラゴンの懐は体温により温められており深夜の寒さを退けることが出来るのだ。二日目の夜をかき集めた枯葉の山に潜り込んで眠ろうとしていたエーヴィンだったが、あまりの寒さにくしゃみをしたその時、ドラゴンに声を掛けられたのだ。

 翼を片方持ち上げ揺さぶり、ただ一言入れと言った。まるで、雛のように扱われていることに気恥ずかしく感じたエーヴィンだったが背に腹は代えられない。この時ふと浮かんだ問いがあった。


「ねえ、君ってさ。」


【何だ。】


「もしかして雌なの?」


【雌だ。】


 この時にして初めてエーヴィンはドラゴンの性別を知った。脳裏に聞こえる声色と口調は低く重々しいことから雄だとばかり思っていたのだ。だが、そうと言われてなるほどと頷ける響きでもあった。


【お主も雌なのか。】


「…………雄だよ。」


 かくしてドラゴンの許で眠るようになってから数日が既に経つ。幾つもの村々を通りアスタールの軍列は増援を得て敵陣近くまで来ていた。誰もが慣れた様子でドラゴンの舞う空を見上げるようになった。

 翼の中に首をしまって目を閉じていたドラゴンは、自らを呼ぶ声に二対の赤い光を灯して答えた。潜り込むように翼の下に入ったエーヴィンは地面に座ってドラゴンの頭に背中を預けた。


【どうした。】


「さっき、ケルヴァー将軍達と話し合ったところなんだ。」


【近く戦いになると言っていたな。】


「そうだよ。明日、味方のアスタール軍はトイトンっていう場所に布陣するんだ。川沿いの平野で二つの軍勢がぶつかる。僕達は山に近い敵を叩く。将軍は正攻法で挑むつもりらしいんだ。」


【お主はどうする。】


「君の背中で指示を出すよ。君に味方を攻撃されたら、アスタールもたまったもんじゃないからね。」


【危険だ。敵は倍すると聞いておるぞ。あの小賢しい老いぼれが真正面から挑むとは信じがたい。】


「今度は君の鞍にしっかり掴まるから振り落とされないよ。ケルヴァー将軍が村の鍛冶屋に命じて作らせている物があるから、僕が頼んだ通りなら今使ってるやつよりも振り落とされにくいはずなんだ。

 それにケルヴァー将軍が言うには君のことが敵にも知られているだろうから、下手な小細工は必要ないんだって。」


 鞍の方は夜通し作っているところだとエーヴィンは伝えた。

 大仕事のようで鍛冶屋からは煙が絶える様子はない。寸法を見たい、と訪れた職人は見上げるほどの巨体に目を見開き、その威容に驚きながら想像以上の大仕事になることを悟った様子で慌てて工房に駆け込んでいた。想念と思しきその魔族の男は早急に作れと厳命を受けているのだ。

 

【戦うのは構わない。だが、無意味に力を振るうなとはお主の言葉だ。いつまでも魔族の言いなりとなるわけではなかろう。どうするつもりだ。】


「クァンテンでの戦いが終わった後だよ。また、この間のように祝宴があるんだ。」


 祝宴の次の日、恐らくは兵を休ませるために休憩が取られ兵達は死体の片づけに駆り出される。ケルヴァー将軍によれば、死者を埋葬しないと悪霊がりついて悪事をなし、古戦場にあっては月日を経てもなお彷徨う者もいるため危険だという。そんな馬鹿なと一笑に付すことのできる世界ではない。

 死者を埋葬するのは勝利した軍勢が負うべき責務だと言う。暗黙の了解を破った王の為に、一面の平野が死者の軍勢で埋め尽くされたこともあるのだとも語られた。敵国の領土ならばいざ知らず、アスタールの領土にあって怠ることは考えられない以上、間違いないことである。

 そして、その時こそケルヴァー将軍を守る兵が手薄になる好機であるのだ。


【まるで敵との勝利が確かな物言いだな。万が一負けたらどうするつもりだ。】


「ケルヴァー将軍と同じことを言うんだね。君がいて、僕がいて、あの将軍がいるんだ。負けると思うかい。」


【愚問だな。】


 ドラゴンは笑った。歯を見せるその様は凄んでいるようにも見えるが、エーヴィンは次第に表情が分かるようになっていた。

 その次の日だよ。

 エーヴィンは声を落とした。ドラゴンの翼の中、立ち聞きする者がいないとはいえ、声高く話せることではない。


「明日の戦いが終わったその次の日、先ず君は空を飛んで待つんだ。」


【……ようやくか。いいだろう。それで、次はどうする。】


「僕がケルヴァー将軍のいる天幕に入って僕に従うよう命令する。」


【従うとは思えんぞ、あの小賢しい魔族の者が。】


「だから、僕が脅す。この世界はあまりにも理不尽が多くまかり通ってる。必ず僕が道理と情義で説き伏せて見せる。だけど、その為には僕と将軍が対等の立場にならなければならないんだ。将軍が僕の要求をねつけた時、僕がこの銃で合図するよ。」


 エーヴィンが手にした銃は元素銃と呼ばれるものだった。

 元素銃は金属類の弾丸を用いず第三次元元素を発射する。弓矢と同程度の射程距離を持ち、弾倉に詰められた燃料が尽きるか、過熱による射出の強制停止がない限り撃ち続けられる強力な銃である。発射速度で劣るものの、それを補って余りある性能の為に人類の間では軍事利用を中心に広く普及していた。

 発射された第三次元元素は、さながら光線銃のように色取り取りの軌跡を空中に残す。信号弾代わりに使おうというのがエーヴィンの考えだった。威力の大幅に強化されたこの銃であれば天幕の天井を破ることも容易い。


「将軍のいる天幕から光の柱が昇るのが見えるはず。壁のように天幕の周りを囲んでる布の覆いを飛び越えて降りたら、周りの兵士は気に掛けなくていいから、先ず天幕を尻尾なり翼なりで取り払うんだ。そうすれば、中にいる僕とケルヴァー将軍が見えるはず。」


【それから、どうすればよい。】


「君は僕を守ってくれるだけで十分だよ。あとはちょっと脅かしてくれたらいいかな。多分、周りの兵士が僕を捕まえようとすると思うけど、ある程度は僕に任せてくれていいよ。」


【何だ。つまらんな。】


「忘れたかい。僕の目的はこの軍勢を支配下に置くこと。」


【頑としてあやつが従わなければ、どうする。】


「殺す。」


 本意ではないが、必要とあらば二の足を踏む理由はなかった。

 軍勢を手に入れ、アスタールの王都を急襲し、王を殺す。ドラゴンを侍らせ魔族を下して降臨する。復讐はまだ始まってもいない。エーヴィンには志半ばで倒れるつもりは毛頭なかった。

 ケルヴァー将軍の一連の勝利は決して軽んじられることはないだろう。事が上手く運んだあかつきには凱旋することになる。アスタール王を暗殺するまたとない場が用意されることは間違いない。その為にもケルヴァー将軍は手に入れたい駒だった。


【なんとも思い切りのよいことだ。時に、エーヴィン。】


 立ち上がったエーヴィンにドラゴンが呼びかけた。


【お主はあやつを従えて王となるのだろう。】


「そうだよ。」


 顧みたエーヴィンは大きな赤い眼に自らの姿を映し見た。


【王となるのであらば、然るべき物言いというものがある。】


「物言い?」


【そうだ。上に立つ者は、その振る舞いと言葉によってその真価がし量られる。今のような子供みた言葉遣いは王として相応ふさわしくなかろう。魔族の王も人間の王も知らぬが、長たる者に求められることは、そう変わりあるまい。】


「確かにその通りだね……だな。」


 威厳ある言葉遣いというものがケルヴァー将軍との交渉にも必要になる。ドラゴンの言葉は一理あるとエーヴィンは思った。

 ねらうべきは。エーヴィンは鏡を思い浮かべた。


「ケルヴァー将軍に侮られないためにも必要……だ。」


【いかにも。我が力を借る者が嬰児えいじの如き不甲斐ない姿をさらしてくれるな。】


「ああ。」


 エーヴィンが咳ばらいを一つ、そして告げた。


「我が名はエーヴィン。その名は魔族の王。すべてを支配し、復讐する者。」


【その意気だ。……魔王よ】





 ■■





 戦いの趨勢ははなから決しているものと思われた。敵は倍を数える大軍。一方のアスタール王国側は数に劣るうえでの連戦である。戦勝の勢いを駆っての攻撃、常ならば兵に大きな負担を強いてただの農夫でしかない者達は戦いに辟易しているところである。

 しかし、この時は違った。王国随一の将軍のもとに誰もが一度は耳にしている伝説の魔獣が馳せ参じている。ただそれだけのことが、生きて帰れるだろうかという不安を打ち消し、徴兵されて渋々戦場に赴いた彼らを奮い立たせていた。


「神々よ、我らをご照覧あれ。」


 ケルヴァー将軍が抜き放った剣を高く掲げ、兵士たちがそれに応じた。

 その刃の切っ先が突く青い空から見下ろせば、アスタール軍の陣形は中央を敵に対し突出させていることが見て取れる。


【正攻法と聞いておるのだが。】


「正攻法でも作戦は立てるものだ。いくら、こちらが有利だからといって力攻めは悪手だ。」


【つまらんな。】


「早々にお前が戦場に現れれば敵は武器を捨てて瞬く間に逃げ出すだろう。その方がつまらないとは思わないか。」


 獰猛な笑みを浮かべて竜が首肯した。

 アスタール王国と同じく敵バルシア王国兵もまた、かき集められた農民が不慣れな武器を手にしているに過ぎない。巨大な飛翔する影を見るだけで戦意を失うことだろう。

 作戦の肝要は敵を油断させ、十二分に引き付けることである。

 竜が戦線に姿を現さなければ、先の戦いの敗残兵が伝えた事実がデマだと思いこみ全軍を挙げての攻撃に移る。味方の中央は激しく抵抗しながらも後退し、あたかも優勢あるかのように敵は誤認することになる。敵の攻撃によって逆に押し返された陣形は敵を包囲する形となり、そこへ竜が敵の中央を横切りながら火炎で攻撃し、敵を混乱させる。

  負けるとわかっている時よりも、勝てそうだという時に襲う絶望感の方がより敵の心をくじくには効果的なのである。


「始まったな。」


 川が両断する平原の一方で両軍が激突する。その喚声とぶつかり合う剣と槍と、盾の響きはエーヴィンの耳にも確かに聞き取れた。いくつもの魔法が飛び交い、矢が交差する様も見て取れる。反対側の平原の奥に居並ぶ山の一つにエーヴィンと竜はいた。木々に影に姿を隠し、好機を待ちわびているのだ。

 はじめこそアスタール王国の堅守にバルシア王国兵は足を止めていたが、数にものを言わせじりじりと戦線が動き始める。


「確認しよう。」


【うむ。】


「先ず真一文字に敵を横切りながら炎で焼き払う。次は旋回して敵の右翼……山に近い側の敵から攻撃。魔法使いに注意しながら臨機応変に動き、味方の邪魔にならぬよう最後は空から高みの見物とする。」


 エーヴィンは竜の翼をよじ登り、その背に留められた鞍に跨った。


「では行くぞ。手始めにバルシアとやらを血祭りに挙げよう。」


 翼を大きく広げた竜が木々を押しのけ空へと舞い上がった。











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