第四話
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「やっぱり君は本当に強いね。」
【お主が魔法使いだったは聞いていないぞ。】
「僕は魔法使いなんかじゃないよ。」
【ならば、あの魔法は何だというのだ。】
「あれは、あの力は浄化といって、すべての魔法を消滅させられる力だよ。ついでに言えば、魔物や魔族を殺すことも出来る力なんだ。」
戦場を見下ろす山の頂に二人はいた。
大勢は既に定まっていた。敵左翼を竜が掻き乱し、谷をナタル卿なる将官率いるが突破、敵右翼は将軍率いる部隊が壊滅させている。我先にと逃げ始めた本隊と残存右翼は、敵右翼へと転進したナタル卿の部隊により対面側への谷へと誘導されていた。
もはや、手を貸すまでもない。竜の言葉に頷いたエーヴィンの俯瞰する谷では背を向ける敵兵に追いすがるアスタール兵の刃が振り下ろされている。良い気味だと呟いたエーヴィンに竜が問いかけた。
【臆病な人間の子供というのは偽りであったか。】
「嘘でもあるけれど、本当でもあるよ。」
【言葉遊びをするつもりはないぞ、人間。】
竜は苛立っていた。
対するエーヴィンは表情を歪めていた。食いしばる歯を外気に晒しながら眉間に大きな溝を作り、開かれた目で竜を睨みつけている。
「浄化を使えるのは人間だけだ。」
意味を図りかねて黙する竜に人間は続ける。
「あそこで殺し合っている化け物共に浄化の力は使えない。」
エーヴィンが指さした谷間には魔族の姿があった。何種類もあるそれは、人間に似て非なる姿をしている。魔法を使う者もいれば、獲物を振るう者もいる。だが、そのいずれも浄化の力を使う者はいなかった。
【化け物、か。】
「君はあいつらの言葉が分からないから知らなくても無理はないよ。でも、あいつらは人間じゃないんだ。あいつらは人間を名乗っているだけの、人間に似ているだけの、ただの……化け物だ。」
【ならば、人間とは何だ。】
「人間はずっと昔に滅ぼされたんだ、あいつら魔族に。今はもう…………僕しかいない。」
苦悶に満ちた声色は、唾を飲み込んだ喉が渇いて定まらなかった。だが、その目は悲しみよりも怒りに覆われて滴を浮かべながらも、握りしめた拳をわなわなと震わせていた。幾度か目を瞬かせた竜は、続いて眼下で繰り広げられている戦いに視線を向けた。様々な種族が入り乱れる両軍激突の地では次々と屍の山が築かれている。
ねえ、聞いてくれるかい。囁くように告げられた竜は、そっと頭を寄せた。硬く、それでいて人肌に暖かい鱗で両の手のひらを温めながらエーヴィンは語る。
「僕はこれから、魔族に復讐する。僕が王様になって支配してやる。何かも、すべて。そうやって、人間面をする化け物を嘲笑ってやるんだ。僕の兄さんと姉さんと、みんなを殺した仇を……。」
【王となるのか、独りで。】
「僕だってそれなりには強いよ。昔は魔法使いとだって戦ってた。三人をいっぺんに相手したこともあるし、騎士を浄化の力で倒したこともあるよ。だけど、僕一人じゃ無理なんだ。強いと言っても君には勝てそうにないし、戦うには味方がいないといけない。人間には限界がある。」
だから、君に頼みがあるんだ。大きな赤い瞳に己の顔を映してエーヴィンは言った。
「君の力が借りたいんだ。」
【お主が、我の力を? 図々しいにも程というものがあるぞ、エーヴィン。……いいや、お主は忘れていたことを思い出したのだろう。己の名があるはずだ。】
「そうだよ。でも、いいんだ。僕はみんなと死ねなかった。名前だけでも一緒に死にたい。」
僕の名前はエーヴィンだ。少年は自らをそう名乗った。
【そう…………か。】
「僕が君の力を借りて世界を征服したら、何でも君の望みを叶えてあげるよ。君の力があんなものじゃないのは分かってる。僕を庇っていてくれたんだ。本当はもっと強いんだろう。
ケルヴァー将軍と出会ったあの時、君は僕を見捨てることも出来たんだ。なのに、君はそうしなかった。どうしてかは聞かないよ。でも、僕は君を信じようと思うんだ。
魔族嫌いな君がどうして同じ魔族だと思った僕を守ってくれたかは分からないけれど、もしも、まだ僕のことを助けてくれるのなら、君の望みを教えて欲しい。」
しばしの沈黙が訪れ、二人の間を戦場の喚声が流れた。一息に喋り終わり、緊張し肩を上下させて息を吸うエーヴィンの脳裏に、やがて低い音の言葉が響いた。
【…………よかろう。】
我が欲するは。
竜の望みにエーヴィンは目を見開いた。それは悪魔の囁きのようであった。しかし、エーヴィンは真っすぐに竜を見つめて答えたのだった。
【期待しよう。……人間の王よ。】
■■
バルシア王国軍は惨敗を喫し、戦火の燻る戦場に死体は無残に打ち捨てられた。地面に突き立てられた剣は鹵獲され、槍の水平線を昇る太陽の紋章が描かれた軍旗は足蹴にされた。
追撃を控えたアスタール王国の軍は直ちに再集結。戦果の確認と敵味方の損害の調査に当たった。結果、味方の損害は戦死及び行方不明は約1000とされた。一方でバルシアに対する戦火は、損害に対して三倍を上回ると予想されていた。
歴史的な大勝利である。
割れんばかりの歓声が平野に沸き返っていた。兵達は小高い丘の上から兵士たちに勝利を宣言する老将の言葉に剣を掲げた。その傍らには一匹の竜と見慣れない少年の姿もあった。
「侵略者は成敗された。次なる敵は東にある。また、厳しい戦いが待っていることだろう。だが、今は我らの勝利を祝い傷ついた体を休めることとしよう。」
解散を告げられた兵士達は、熱気も未だ醒めぬまま各々の持ち場へと立ち去った。
自身と隣に悠然と立つ竜に向けられる好奇の視線に辟易していたエーヴィンのもとへ、ケルヴァー将軍が歩み寄った。労いの言葉と共に感謝の言葉を伝えるとともに、簡単な祝勝の宴に招くことを提案され、合戦の「功労者」は首を捻った。
宴は何をするのだろうか。エーヴィンの常識に照らせば高位の者と晩餐にあずかることとなる。食べ物にありつける。そう考えただけで飢えを訴え続けていた腹の虫が止まない。飲まず食わずでいたエーヴィンに断ると言う選択肢はなかった。
「食事の作法とか礼儀とか、いろいろ分からないです。」
「気にすることはない。貴族がほとんどであることは間違いないが、無駄口を叩かせはしない。儂が保証しよう。」
「ああ……お腹空いたなあ。」
「今、用意させているところだ。しばらく待っておれ。」
ならばとエーヴィンはしばらく散歩に行くと告げ、柔和に微笑んでいたケルヴァー将軍の返事を待たずに竜の翼を駆け上がった。地面に伏せていた竜が立ち上がるのに合わせて翼を滑り降りて首の付け根にエーヴィンは跨った。
陣幕を揺らす大風に乗り竜は空へと舞い昇る。上下に揺さぶる翼はエーヴィンが指示した方向へと行く手を変えた。
地下へと続く大穴。その前に二人は降り立った。エーヴィンを乗せたまま竜は言われるままに中へと足を踏み入れる。
【ここを出たかったのではないのか。】
「忘れ物があるんだ。」
【ほう。】
「確実にあるのかは分からないけど……。」
【何があるのだ。】
「行ってのお楽しみだよ。」
【我が背に乗らず己が足で行ったらどうだ。我は家畜ではないぞ。】
それじゃあ日が暮れちゃうよ、とエーヴィンは笑った。それも道理だと竜は頷き、背中からの指示に従って薄暗い回廊を地下深くへと潜ってゆく。今ははっきりと道が分かるのだ。
死屍累々(ししるいるい)を照らし出す赤い非常灯の明かりは消えかかっていた。ともすれば死を思わせる場にあってエーヴィンは、記憶を失っていた時は打って変わった感情に喉を詰まらせていた。
やがて辿り着いた扉の前で床に降り立つと、エーヴィンはふと目についた頭蓋骨を拾い上げた。二つの大きな空洞に見つめられても、エーヴィンの心に恐怖が湧くことはなかった。
【どうかしたのか。】
「この先に行ってくる。君は通れないから、ちょっとここで待ってて。」
【……あまり待たせてくれるな。】
不満げに顔を背けた竜が床に体を横たえる気配を背後に感じながら、エーヴィンは開け放たれたままとなっている横開きの扉を通り抜けた。手にした骸骨は丁重に元の場所へと戻されている。
明かりに乏しいその部屋をエーヴィンは迷うことなく進んだ。いくつもの棺に似た箱が並ぶ一角で足を止めたエーヴィンは辺りへ視線を走らせた。竜と出会う前、幾つもの管がつながれたその中にエーヴィンは眠っていたのだ。
やがて傍らの小さな机に置かれた鍵を見つけるとエーヴィンは奥の倉庫へと走った。数多く並ぶ鍵穴の一つに差し込む。確かな手ごたえと共に開かれた中身を夢中でかき出し、エーヴィンは薄暗い中で目を凝らした。手にしたのは銃だった。無味簡素な形を何の変哲もない物だったが、見覚えのあるものである。
「兄さん……。」
エーヴィンの兄の物だった。技術者に改造させて装弾数を犠牲に大幅な威力向上を実現させた、特徴的な構造を見間違えるはずはなかった。
中に収められていた服に着替えベルトにホルスターをとりつけ銃を入れる。くしゃくしゃにした手紙をポケットにしまうとエーヴィンはその場を後にした。
【遅いではないか。】
「そうかな。」
【そうだ。】
扉の前から覗き込むように竜の頭があった。
幅いっぱいに塞ぎながら四つある瞳の一つが微かに赤く輝いている。ずっと覗き込んでいたのだろうか、と考えると猫が鼠の穴を覗き込んでいるような、どこかおかしさのある光景が想起される。きっと向こう側では、人間も魔族も軽々とはじき飛ばす尻尾を盛んに振っているのだろう。
強張った頬を緩んだエーヴィンが頼む。
「下がってくれないと出られないよ。」
【中で何をしていた。服を替えたと見えるが。】
「必要なものを取りに来たんだ。ねえ、これ似合ってる?」
【何が似合っているのだ。】
「服だよ、服。今僕が着てるのは学ランていうんだ。格好いいでしょ。」
両腕を広げながらくるくると回って見せたエーヴィンの様子に興ざめしたのか、あるいは納得したのか竜はようやく頭を扉の前から退けた。
【何かを手に入れたようだな。】
「気になる?」
【……。】
揶揄うような調子に自尊心が傷つくのか竜は歯噛みしたまま、視線だけは肩掛けの鞄と腰元の銃に注いでいる。
素直でない性格にエーヴィンは苦笑した。己の尊厳を保ちつつ物を尋ねる言葉を考えていたのかもしれない。だが、エーヴィンは聞かれる前に教えることにした。
ナイフや火打ち金、手拭いや水筒を見せて一つ一つを説明するエーヴィンの言葉を竜はじっと耳を傾ける。
【実に人間と魔族は似ている。】
「似ているだけだよ。月と太陽は同じ空に浮かぶけど、誰も同じものだって言わないでしょう。」
【いかにも。】
「月は所詮、太陽の光を反射しているだけなんだ。だから、暗い夜になって初めて人間の目に見えるようになる。自分で光ってるわけじゃない。ただの、粉い物なんだ。」
ポケットからエーヴィンがくしゃくしゃの紙を取り出した。次は何かと尋ねた竜に手紙だと答え、エーヴィンは折りたたまれた紙を広げて皺を伸ばした。
手紙ならば知っている。竜は言った。言伝るものであろう。
【何が書いてあるのだ。】
「『生きろ』だって。」
突然、エーヴィンは手紙を破り捨てた。
【……。】
「僕は一人で生き残るくらいなら、みんなと死にたかった。でも、兄さんも姉さんもそうさせてくれなかった。君ならどう思う? みんなと一緒に戦ってそれで死ねたら良かったって思う? 生き残らなきゃだめだと思う?」
四つある、すべての瞳が閉ざされ熟考した竜が口を開いた。
【答えはない。唯、生きる者は苦しみ続ける定めにある。会いたい者に…………会えぬ限り。】
死せる者に会う術はない。人間は大昔に滅ぼされた。
エーヴィンにもそれは分かっていた。だが、記憶の中ではつい先ほどまでここには大勢の人間がいた。皆それぞれが不安と絶望を堪えて共に立ち上がろうとしていた。新しい時代が人間に訪れるはずだった。
もう手を取ってくれる人はいない。そう理解させたのは自らの言葉ではなく、淡々と告げた竜の言葉だった。大切な者を失った痛みは胸を刺し、傷跡から流れ出た血がゆっくりと広がるように、心に染み込むように、事実を理解させた。
竜の頭にしがみついてエーヴィンは泣きじゃくった。
【…………。】
すべてを思い出した時、エーヴィンの中に湧き出たのは怒りだった。だが、抑えきれない感情の中には悲しみもまた、確かにあった。怒りで抑えることは、エーヴィンにはもうこれ以上は出来なかった。
温かい鱗の顔を押し付けエーヴィンは隠しもせず大声で泣く。少年が平静を取り戻すには、しばしの時間が必要だった。




