表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔譚  作者: 御劔浄
第二章 黄金に雨打つ
19/19

第七話










■■





 「王妃だと?」


 魔王は腹を抱えて笑った。


「後継者を早く決めておかねば後々のわざわいになるぞ。」


「ああ、分かっている。ケルヴァー。もしも、我が志半ばで死んだならお前がすべてを引き継ぐがいい。死んだ後のことになど興味はない。生きている者達の勝手にすればよい。」


「お前さんがそれでよいと言うのならば構わんが、男児たる者、一生に一度は結婚したいとは思わんのか。」


「結婚だと……笑えない冗談だな。」


 魔王の真意を図りかねるようにケルヴァー将軍は片眉を上げた。


「結婚を冗談だと言われるのは初めてじゃな。」


「念のために伝えておくが、いらぬ気回しをするなよ。うっかり殺しまうかもしれん。」


 誰を、とは言わなかった。しかし、高ぶらせた殺気に応じて魔王の体からは黒い瘴気が鎧の隙間より流れ出している。ただの演出に過ぎないが、その嫌悪感は本物である。


「やれやれ、そう怒ることはないじゃろう。」


 一方のケルヴァー将軍も呆れの混じったような溜息をついた。

 

「もうすぐ閲兵に行く。しばし休むゆえ、お前は下がれ。」


「先に行くぞ。閲兵台で会うとするかの。」


 玉座の背後には大きな幕が掛かっている。その向こうには上質な椅子と机が設えられた控えの間がある。メフィナ嬢が湯気の立ち上るティーポットからカップに茶を注ぎ終えたところだった。

 どしん、と音を立てて座り込んだ魔王は肘掛けに腕を乗せ、頭を預けた。国王という存在は多忙である。決済を求める者、謁見を求める者、争いの仲裁と裁定など、仕事はいくらでもある。 

 ドラゴンは魔王の労苦もどこ吹く風と言った具合に眠っている。狩りに出かけて胃の中で溶けた肉片と未だに残る煙の臭いを充満させて帰ったその日には、口から血をしたたらせて臣下を震え上がらせていた。

 服従を拒否した貴族の幾人かをドラゴンに食わせたことが尾を引いていたのである。食わせたのはほんの数人でそれきりだったが、また誰かが死んだのだと勘違いする者も臣下の中には存在する。


「疲れた……。」


「ご要望の通り、ぬるめにしてあります。それにしても、変わった飲み方を好まれるのですね。」


「放っとけ。熱いものは体に悪いのだ。」


「ところで、例の件はお考え頂けましたか。」


 教養豊かなメフィナ嬢は物事を曖昧あいまいに告げることはしない。面倒ごとの気配を感じながら何の事かと魔王は尋ね返した。


「茶会の件です。祖父の邸宅でささやかな茶会を開きますので、陛下にも是非お越し頂ければと思います。」


「そんな話は聞いていないぞ。」


「覚えていらっしゃいませんか。」


 絶対に伝え聞いてなかったと魔王は断言出来た。


「茶会など好きではない。」


「心得ています。お呼びしますのは私の祖父とナタル将軍に御座います。気心の知れた方々に御座いましょう?」

 

 それでも渋る魔王に秘書官は奥の手を出した。屈んで床に両膝を付き首をかしげて言う。


「ご褒美を下さいな。いつか下さるとおっしゃったではありませんか。」


「金か。それとも宝石か。」


「もう……どうか、私の顔を立てては頂けませんこと?」


 秘書官の顔をかなぐり捨てた言葉にうなづくことを余儀なくされた。微笑みを浮かべるメフィナ嬢からしてやられたな、と魔王は天井から吊り下げられた無地の壁掛けに目をやった。反対側にはドラゴンがいる。

 潮の満ち引きのような低いいびきがうらやまましかったが、次は閲兵に行かねばならない。そのためにドラゴンを叩き起こしてその背で運んでもらわなければならない。

 意地悪をする口実が出来て、魔王は少しだけやる気が出た。立ち上がって玉座の間へ戻ると、ドラゴンの長い顔に鎧の手甲てっこうを打ち付けた。扉を叩くようにドラゴンの鱗に何度も打ち付ける。


【何だ……お主も寝るのか。早く入れ。】


 半月のように開かれた赤い瞳が、あらぬ方向から魔王へと焦点を合わせるにはしばしの時を要した。


【もっと、他に起こし方はないのか。呼びかければ良いだろう。】


「前は起きなかったぞ。」


【お主の呼び方が悪いのだ。】


「お前の悪口でも言えばよかったのか。」


【ああ、もうよい。……それでどうするのだ。】


 立ち上がって翼を目いっぱいに広げて背筋を伸ばしたドラゴンが用向きを尋ねた。


「閲兵に向かう。退屈だろうが寝るなよ。」


【そんなもの、お主一人で行けばよいではないか。】


「閲兵場は歩いていけるような距離ではないのだ。我は馬の乗り方を知らん。あの珍妙な魔獣の乗り方もな。……いや、ナタル将軍辺りにでも学べばよいか。」


【早く乗れ。】





■■





 庭園の一角に小さな小屋がある。壁はなく、柱の上に斜めの屋根が三角錐を形作っていた。その下に簡素な彫刻が施された円卓とそれを囲むように椅子がいくつか置かれている。

 周囲の花壇には薄い桃色の花や、水色の草が風に吹かれて波打っている。慎ましやかな雰囲気は小さな噴水に彩られて密やかに華やかさを添えられている。物珍しい形や色合いは美しく、涼しげな陽光が爽やかに飾り立てていた。

 旧世界に存在した植物のみならず、魔草と呼ばれる魔素を含んだ植物も並んでいた。一括りに魔獣と呼び忌み嫌っていた魔王にとって、魔草が美しく見えたのは初めてだった。


「いかがですか。御爺様が私のために造ってくださったのです。」


「広いな。」


「こちらの花はモウォースと言います。必ず太陽の方角を向いていて、霧の中に迷い込んだとある旅人がこの花を頼りに道を進んだと言われています。」


「迷信ではないのか。別の花で似た話を聞いたことがある。結局は間違いであると分かったが。」


「庭師に調べさせました。本当に少しずつ一日かけて回っているのだそうです。夜は真上を向いて少しずつ東に向きを変えるのですわ。」


「役に立つかもしれないな。国情が安定したら薬草の研究も行わせる予定だ。この手の植物の栽培に長けた者達をいずれかき集めることになるだろう。」


「負傷した騎士達の治療に使うのですか。」


「それだけではないがな。」

 

 普段と変わらぬ鎧姿の魔王は、胸元の見える常日頃になく開放的なよそおいのメフィナ嬢を伴って歩いていた。王都スタールの郊外にほど近い屋敷は山のふもとにあって人里離れた静かなものである。ただ木々に留まる小鳥のさえずりと広場でとぐろ巻くドラゴンの息遣いだけが聞こえている。

 先に訪れたナタル将軍は案内された小屋の中でケルヴァー将軍と談笑していた。古くからの付き合いがある二人は気の置けない仲である。魔王の姿に遅れて気付いた二人は慌てて立ち上がろうとした。


「よい。楽にせよ。」


 座りなおした二人にメフィナ嬢が話しかける。


「御爺様、ナタル様、陛下をお連れしました。」


「ご苦労だったね、メフィナ。さあ、陛下に席を勧めて差し上げなさい。」


 魔王の座る椅子を引いて座らせたメフィナ嬢は椅子には座らず、服の裾をまんで軽く膝を曲げてお辞儀をすると小走りに館の方へと向かった。席に着くものだとばかり思っていた魔王はやや不意を突かれた。


「どこへ行ったのだ。」


「すぐに戻ってくるから案ずることはないぞ。」


「案ずるなど……招待した者が客人を放っておくなど、普通はあり得んだろう。」


 やがてティーポット乗せた盆を手にしたメフィナ嬢が姿を現した。


「貴族の令嬢に、ましてや第一の側近ともいうべき秘書官に給仕をさせるなど、普通はあり得ませんぞ、陛下。」


 ナタル将軍の言葉にバツを悪くした魔王は腕を組んでそっぽ向いた。身の回りの世話をしているのはメフィナ嬢である。


「お気になさらないで下さい。好きでやっていることですから。」


「王宮の侍女のほとんどに暇をやったのは、他ならぬお前さんじゃったな。」


「兵舎の管理に必要だったのだ。一族を皆殺しにしてやったのだから、そうしなければ身売りでもしなければ生きてゆけぬ者達ばかりだろう。」


 注がれた茶に口もつけず三人は話し込んでいた。席に着いた淑女の姿にも目をくれない。


「兵と言えば、先の閲兵は壮観であったな。戦場に出て長くなるが、あれほど整然とした行進は見たことがない。敵を畏怖させることは間違いないだろう。胸のすく思いじゃった。」


「陛下おん自ら厳しくご指導されていると耳にしましたが、それほど必要なことなのですか。」


「必要なのだ、ナタル将軍。前にも伝えただろう。

 我々が考案した作戦を確実に実行させるとともに、指揮官が不在であろうが戦死しようが戦闘を継続できるようにするための仕組みだ。道路を敷設して補給路を確保し、敵地にあっての陣地の構築には素早さが不可欠だ。そのためにウェーリンに戦闘教義と非戦闘時の行動の体系化と普及を急がせたのだ。すべての騎士達に愛国心を植え付けると共に自立した行動が取れるようにするためだ。

 話に聞く限り、現段階ではバルシアのセヴァレス率いる騎士隊に我が軍は劣っているが、ゆくゆくはそれに匹敵する存在にする。」


「質量ともに、ですか。」


「そうだ。もっとも、兵を維持するためには金がかかる。駐屯地を中心として貨幣の流通が増えて経済が活発化するはずだ。費用の負担は決して軽くないが、軍事と経済の面から考えて常備軍の創設は不可欠だ。」


「経済ですか。」


 メフィナ嬢が割って入った。


「お話のところ失礼いたします。新しい硬貨を発行なさると伺っています。重さや長さなどの単位を統一なさるとも。」


「無論だ。統一された規格が必要だ。様々な種族を統合するにはまずもって避けられぬことだ。バルシアを征服した暁にはバルシア貨幣を駆逐する作業に入ることになる。軍団兵への給金はこれを促す作業でもある。バルシアの騎士団を吸収して第五、第六、第七の三つの軍団を作る。騎士達がいわば我々の先兵となるのだ。」


「まだ先の未来のことまでお考えなのですね。」


「それが王たる者の役目だ。情勢を掴み時代を自らの手で作り上げるのだ。

 玉座で我が何をしているかよく知っているだろう。命令を与え、裁断を下す。俗な言葉に言い直すならば、能力に応じた役目を与え、あごで散々に使い倒すのが仕事なのだ。まったく楽な仕事ではない。」


「お疲れのほど、お察しいたします。ですからどうか、今日だけでもゆっくり休まれてください。」


 我が身を気遣う言葉であれば、魔王に拒むという選択肢はない。  


「そうじゃな。まつりごとの話はこれくらいにしておこう。」


「そうしましょう。」


 そういえば、とケルヴァー将軍はナタル将軍に尋ねた。


「昨年生まれた子は、その後は如何かの。」


「我が父の名ボノドールをその名と致しました。

 無事に育ちつつあります。ゆくゆくは陛下の下で立派な騎士となる日が来ましょう。生まれて六月で立ち上がって歩き始めたと聞いています。あるいは私を超える勇敢な騎士となるかもしれません。六月で歩く子供は優れた騎士になると聞きます。その日が来ることが待ちきれませんな。」


「楽しみが増えたの。」


「素敵ですわ。」


「そうだな。」


 背もたれに背を預けた魔王にメフィナ嬢が尋ねた。


「兜を外されませんか。その鎧も。私がお手伝いいたしますわ。」


「いや、必要ない。」


 口元だけ外せるように兜は作られている。茶を飲みほした魔王が突き放した。鎧を外すのは竜の懐で眠るときに限られる。


「陛下の御尊顔については祖父より伺っています。人払いを済ませてありますが、何かくつろがれるには不都合なことが御座いますか。それとも……私をご信頼頂けませんか。」


 ほだされかけた魔王だが、兜に手を伸ばして踏みとどまった。


「信頼していないのではない。だが……そうだな。これは次の機会にしよう。次に褒美を与える時はお前の勧めに従おう。」


「それはあんまりです。」


「そんなにも見たいのか。」


「是非とも、ですわ。」


 助け舟を求めたケルヴァー将軍はしかし、孫娘に助け舟を出した。


「よいではないか。減る物でもあるまい。」


「だがな、我が王国は金策に追われておるのだ。褒美に出来るものなら何でも後々のために取っておく方がよいのだ。そうなのだ。」


 理屈の通った屁理屈のような可笑しさからだろうか、ナタル将軍もケルヴァー将軍も失笑している。


「まあ……お前の勧めるように適度な休息を取ることも必要だ。これは騎士達にも言い聞かせていることだ。館の居間に置いてあった足の丸い椅子を持ってきてくれ。日の当たるところでしばらく休もう。」


 竜が(ドラゴン)寝ている広場に揺れ椅子ロッキングチェアと小さな机が置かれた。振れるに任せた背もたれがやがて重心に従って動きを止める。腰かけた椅子は斜め上の空へと魔王の視線を誘った。

 日の光の心地よいぬくもりが鎧から体へと伝わった。澄み渡る空には転々と白い雲が風に身を任せて流れている。清純なその色合いだけはいつの時代も変わらない。昼下がりに眠ることは出来なかったが、ドラゴンのいびきに耳を澄ませながら、魔王は考えることをやめ、ただ空の移ろいを眺めていた。


「陛下、起きていらっしゃいますか。」


 しばらく経ってメフィナ嬢の声が聞こえたが、魔王は今しばらくは心地よさに浸っていたいと思い、無視した。


「失礼しますね。」


 恐る恐るメフィナ嬢が兜に両手を掛けた。魔王の視界を茶色の柔らかい双丘が遮り、無作法に扉を叩くように心臓の鼓動が打ち鳴らされた。メフィナ嬢の意図を察した魔王は動き出そうとして果たせず、咄嗟とっさに目を瞑っ(つむ)た。


「まあ……御爺様のおっしゃる通り見たことのない種族でいらっしゃるのね。でも、本当にお若くて凛々(りり)しいわ……。」


 まぶたに閉ざされた暗闇に明かりがともる。狸寝入りを決め込んで寝息を立てる顔を、メフィナ嬢は覗き込んでいるのだろうか。その吐息が頬にかかり、思わず魔王は身をよじった。

 起きていることに気付かれたかと心配した魔王だったが、安堵するような息遣いが聞こえて魔王は脱力した。やがて兜をかぶせられた魔王は、手を引こうとしたメフィナ嬢の左手首を掴んだ。

 すっかり安心していたメフィナ嬢は小さく可愛げな悲鳴を上げた。完全に不意を突かれた顔は驚きと恐怖が入り混じって魔王を見つめていた。


「悪い女だ。」


「……申し訳ありません。」


「兜を取ろうと・・・・したな。」


「……寝苦しいかと思いまして。」


 悪い女だ、と魔王は再び言った。


褒美に見合う・・・・・・今後の働きを期待しよう。」


 言葉の意味を悟ったメフィナ嬢はうやうやしくお辞儀した。真っ赤な顔を両手で隠し館の方へと小走りにかけてゆく姿を見送った魔王が立ち上がる。もはや寝る気分ではない。花壇の小道を歩きケルヴァー将軍とナタル将軍のいる小屋へと至った。

 剣呑けんのんな雰囲気を漂わせるケルヴァー将軍に魔王は笑って告げた。


「泣かせておらぬぞ。だから安心しろ。」


「はて、何のことだ。」


 そっぽを向いてとぼけたその様子は白状しているも同然だった。遠目には、泣きはらした孫娘が館へ駆け込んだように見えていたことが容易に想像された。


「まあ、顔を見たわけではないのだから大目に見るとしよう。」


「ああ……そうですな。」


「助かる。」


 気まずいようなその表情は、メフィナ嬢の行動を見ていてのことである。

 その時、いそいそと歩く使用人の姿が魔王の目に留まった。不安気な顔からはその用件もまた察せられる。


「ご歓談のところを失礼いたします、旦那様。お嬢様が寝室へ戻られました。誰も入るなとのおおせでしたが、お加減がよろしくないように思われましたので、大変恐縮ですがご機嫌を伺わせて頂くお許しを頂けませんか。」


「構わぬ。具合が悪いのならば、そのまま寝かせてやれ。そうでないのならば、いつもの茶を持って参れと伝えろ。」


 魔王が館の主に代わって答え、ケルヴァー将軍は首を縦に振った。

 しばらくして、メフィナ嬢がおずおずとやって来た。命じられるままに椅子に腰かけた姿はいつになく縮こまっている。魔法で宙に浮かせたティーポットから茶を注いだ魔王が静かに告げた。


「これ以上はとがめはせん。お前のそういう性格は嫌いではないし、怒りを覚えているわけでもない。だから今はただゆっくり飲み干せ、メフィナ。」




 






 第二章前半部はここまでです。後半部が書き終わり次第投稿しますのでそれまでお待ちください。感想やレビューなど頂ければ幸いです。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ