第六話
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新生アスタール王国の誕生より、しばらく経ったある日のことである。
「吟遊新人? そんなものに興味はない。前にもそう言ったはずだ。」
「はい、承っております。しかし、書面を見ます限りでは陛下の興味を惹かれる者かと存じ上げました。」
「道化師のような下らん者であればその場で首を刎ねてやるからな。」
玉座に腰かけた魔王は肘をついている。政治の重要性を理解できないではなかったが、軍事訓練を魔王は最も好んだ。兜に隠れた顔が見えずとも、誰の目にも退屈を持て余していることは明らかだった。玉座の間の大扉が守衛の兵士によって開かれた。文官が王宮への訪問者の名を告げた。
「ホズワウド・ネイジェウ・イグリス様、ご入来。」
薄汚い黒一色の外套で頭からつま先に至るまでを覆った人影が、床を叩くようにして不躾な音を立てながら絨毯を歩く。左右の文官と武官は隠しもせずに怪訝な視線を向けた。玉座へと至る階下に辿り着いたその人物は、作法に則り跪いて名乗りを上げるでも、何かを言うでもなく、ただじっとその顔を外套に隠して魔王を見上げていた。
無礼を咎めた文官の言葉にもさしたる反応を示さず、また何も言葉を発しない。玉座の傍らにいた秘書官のメフィナ嬢がそっと耳打ちした。
「この者は、言葉を話すことも聞くことも出来ないと伺っております。」
「何の積もりで通した。」
「この者が認めました手紙には、陛下がお使いの文字と同じ文字がいくつか記されておりました。あるいはご興味を持ち遊ばされるかと思いましてお通しいたしました。」
魔王は身じろぎ一つしなかったが、ただ一言告げた。
「よくやった。」
居住まいを正して魔王は改めて訪問客を見直した。姿こそ襤褸をまとった物乞いのようであったが、魔法と魔素への理解を深めつつあった魔王にはその違和感がはっきりと理解できた。この人物には魔素がなかった。表面を包み込んでいたが、魔族のそれとはまったく異なる。
するとイグリスという名の訪問客は突然跪き、そして言った。
「初めまして王様。私はオズワルド・ナイジェル・イングリスです。西から来ました。」
多くの視線がその襤褸切れへと集まった。
だが、その言葉を理解できたのはただ一人であった。
「よくぞ、我が王宮へ参った。西というと、帝国の方か。」
「もっと西の方からです。」
「ほう……。」
ただ一人動揺しながらも魔王は言葉を選んだ。イングリスの言葉を理解できない魔族の臣下は一方的にしか聞こえない会話に面食らった様子を浮かべながらも見守っている。
玉座の背後に控える竜と魔王の会話もまた一方的にしか聞こえていない。驚きではあっても目を丸くするほどのことではなくなりつつあったのである。
魔王はメフィナ嬢に命じ居並ぶ臣下のほとんどを引き払わせた。その場に残ったのはケルヴァー将軍とナタル将軍、メフィナ嬢だけである。
「中東か、いや、ヨーロッパだな。」
「はい。ヨーロッパから来ました。」
「メフィナ、よく機転が利いたな。これは重要な発見だ。いずれ、望む褒美を与えるとしよう。今日の謁見はこれまでだ。待たせている者達には日を改めるように伝えろ。
さて、珍しい客を迎えたわけだが、幸い時間は余るほどある。まずはその顔を見せてもらおうか。貴様は人間ではあるまい。ヨーロッパの軍事事情には詳しくないが、お前は機械兵ではないな。何者だ。」
合金の肌は魔族の目にも異質に映っていた。駆動音が静かに響き、視覚情報を得るためと思しきレンズが鈍い光を照り返している。発する声は電子的で人間性を欠き、凡そ生命の持ちうる温かみのない体だった。
隠されていたその姿にぎょっとして思わず飛びのく両将と入れ違いに立ち上がった魔王がインリスの許へ歩み寄った。
「私は人間の成れの果てです。技能保存計画という計画の被験者です。機械の開発とプログラミングが専門です。」
「聞いたこともないな。察するに頭脳を機械にコピーしたか。重層AIの辺りだろうな。例の戦争を受けてのものだとは想像に難くないが、そうすると他に生き残った者がいるのか。」
「ヨーロッパと中東、インド、アフリカの人間はほとんど死にました。」
「南米は厳しいだろう。北米はどうなっている。」
「自由の国は死にましたが、その遺志を受け継いだ共和国や奴隷制を敷く帝国などが争っています。」
質問をしてもいいですか、とその機械は尋ね、魔王は続けることを許した。
「貴方は人間ですか。」
「それは誰に誰が尋ねるかによる。この者達は自らを人間と信じて疑わないが、すべてはお前の判断に任せるとしよう。わざわざ外して我が素顔を見せる必要もないだろう。
ところで、お前がここに来たのは偶然ではあるまい。どこで我を知った?」
「西方町で売られていた映像を買いました。貴方が人間の言葉を話しているのを聞きました。日本語だと分かったので旧世界の生き残りだと思いました。それで、会いに来ました。」
【人間の言葉を話しているようだが、何者だ。人間ではないのだろう。】
人間と魔族の区別を知る竜が口を挟んだ。気怠げに見下ろすことが常だったが、不思議な訪問客に竜も興味を持っていたようだった。
「古い知り合いだ。とはいっても会うのは初めてだがな。」
「王様は、竜や王様の周りの人間と話せますか。」
「いかにも。もっとも、字の読み書きは出来ないがな。お前は言葉を話すことも聞くことも出来ないのに、よくここまで来れたな。」
「三百年かけて文字を勉強しました。私は王様以外の言葉は分かりませんが、字の読み書きが出来ます。」
そうか、とだけ答えて魔王は顎に手を当て思案した。
非常に親近感を感じる存在ではあったが、信用してもよいものか確信を得られなかったのである。しかし、その不安に勝る利用価値を魔王は見出していた。
「なるほど、道理で手紙を送ることが出来たわけだ。しかし、吟遊詩人とは一芝居打ったな。手紙は直接我が許へと届けられるわけではない。事と次第によっては途中で握りつぶされていたかもれしない。
なんにせよ、お前は今ここへと来たわけだ。過ぎ去った時代を知る者同士で語り合いたいと思ってきたのだろうが、それだけではあるまい。何か目的があるのか。」
「いいえ。王様と話がしたかっただけです。旧世界を知る人間とは話すのは七百年ぶりです。とても懐かしいです。」
「名前からすると、祖国はイギリスか。」
「はい、そうです。」
日本語を理解できたのは魔王とイングリスだけだった。
一方的に話しかけているように聞こえている会話に、居合わせた将軍は当惑の表情を隠せずにいた。そして外套を取り払ったその姿に二人は驚いた。文官への連絡から戻ったメフィナ嬢も例外ではない。そして節々に現れる魔王の不穏な言葉に三人は注意深く耳を傾けながら静かに聞き入っている。
「かつて大英帝国では国王や女王に臣下が仕えていた。
お前も私に仕える気はないか。仕事はいくらでもある。お前にしかできない仕事もある。」
不器用な言葉選びながら、流暢に返答していた機械は動作音を残して静まり返った。高速で演算する機械をもってしても素早い返答は得られなかった。身じろぎ一つしない様子に、両将軍とメフィナ嬢が魔王と機械とを交互に見回した。
魔王は竜のねぐらである、かつての自らの家を脳裏に浮かべた。同胞は葬られることもなく朽ちるに任せて冷たい床に横たわっている。そこには壊された機械が山積みになっている。それを修復することが出来れば、戦力とすることが出来るかもしれない。廃墟となった地下施設には三万体を超える機械兵が眠っているのである。
「一つだけ聞いてもいいですか。」
「構わん。必要な物は望むままに与えよう。」
「彼らを憎んでいますか、それとも愛していますか。」
その機械はケルヴァー将軍とナタル将軍、そしてメフィナ嬢を指さした。それが意味するのは魔族をどう思っているか、である。
「…………我と我が竜の意思は一つ。憎しみだ。」
分かりました。そう告げた機械は片膝を付いた。
「王様に忠誠を誓います。」
「お前の忠誠など必要ない。我が王国に忠誠を誓え。それが我が王国の慣習だ。」
「アスタール王国に忠誠を誓います。」
玉座に戻った魔王がメフィナ嬢に言った。
「メフィナ、お前に新しい部下が出来た。この者の名はオズワルド・ナイジェル・イングリスだ。正確に名前を憶えておけ。この者は計算に優れている。地理と文化に疎いところがあるが役に立つ。出納簿や税収と支出の計算を任せるとよい。」
「陛下、信用しても大丈夫でしょうか。」
「怖いのか。」
「いえ、そんなことは……。」
ふと面白いことを思いついたように魔王が笑った。
「ところでオズワルド、空を飛ぶのは好きか。」
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空を行く竜。その背には魔王。その手には機械の姿があった。
「空を飛ぶ気分はどうだ、オズワルド。」
「機械には心はありません。二千年前に失いました。」
「それでも思うことがあるはずだ。空を飛ぶのは誰もが一度は願うものだろう。」
留守をケルヴァー将軍に預け魔王は一路、郷里へと向かった。
しばらくして辿り着いた地下施設の入り口をオズワルドはしげしげと見回した。草木が覆っている中にぽっかりと黒い大穴が口を開けている。
二歩、三歩と踏み込んだ魔王が足を止めオズワルドを制した。時を同じくして竜もまた足を止めている。
「待て。魔獣がうろついている。傍を離れるなオズワルド。」
「ある程度は自衛できます。」
そう言って取り出したのは銃である。
「実弾でも通用しないものもいる。ましてやそれは元素銃だ。ここは我らに任せよ。」
「放射性物質に汚染された生物の危険性はよく分かっています。私の友人は千年ほど前に大蛸に食べられてしまいました。」
「それは不運だったな。」
用心深くも悠然と歩く魔王に竜が語り掛ける。
【あまり我が炎に頼ると息が詰まる。それに入口の狭い部屋はお主に任せるより他にない。魔獣共は奥深くまでは足を踏み入れぬ。今しばらくの戦いになるだろう。】
「露払いを任せてもよいか。」
【いいだろう。元よりここは我がねぐら。奴らを追い払うことは始めから決まっている。】
姿形も大きさも、操り出す魔法も多彩な魔獣を竜は容易く踏みつぶし切り裂く。有象無象の魔獣は竜に傷一つ付けられない。討ち漏らした敵は魔王が魔法で薙ぎ払い、剣で止めを刺した。機械のオズワルドは暗視モードを起動したことを告げてその戦いをつぶさに観察している。
魔法には体系的な学習法があるわけではなく、師に付いてその技を真似ることから始める。魔王のそれは竜の息吹であり、飛翔の魔法だった。
機械兵の残骸を浮かべて飛ばし、ぶつけられて怯んだ魔獣の頭蓋に剣を突き立てる。魔王の剣は折れた竜の鉤爪から作られている。竜の鱗から作られた鎧と同様、鍛冶師の長きに渡る悪戦苦闘の末に作られたその鋭さも頑丈さも、並の物ではない。
「避けろ。」
咄嗟に魔王が叫ぶ。
その意味をオズワルドが理解するよりも早くその体は上空から落下した半透明の膜に包まれた。途端にオズワルドの体を包んでいた襤褸布が蒸気を上げて溶け始める。機械であるためか苦しむ様子はないが、次なる行動を策定しようとしているのか身じろぎ一つしていない。
すぐさま手をかざして粘性体を浄化して消し去った魔王が駆け寄った。幸いにもオズワルドには大きな損傷は見られない。
「無事か。」
「機能障害はありません。」
「まったく、少し留守にしただけでこの有様か。思いの他早く荒らされものだな。警備兵を置かねばなるまい。」
しばらくして巣くっていた魔獣を殺し、あるいは追い出した三人が地下施設の最奥へと歩き出した。
「暖かい出迎えは出来ないが、人骨と残骸が積みあがるここが我が故郷で、今では我が竜のねぐらだ。」
【そういえば、お主の故郷だったな。我は邪魔であるか。】
「構わないさ、千年もほったらかしたのだ。それに、我一人には大きすぎる。オズワルドを足しても有り余るほど広い。」
イングリスが尋ねた。
「竜やあの人間とはどうやって話しているんですか。私は何百年も研究しましたが、分かりませんでした。」
「音声言語ではないのだ、オズワルド。言葉とは魔法であり、力が宿る。魔法が使えなければ言葉を交わすことは出来ない。
千年前、我らはあの戦争を生き延びて再び地上へと現れた。だが、世界は変わり果てていた。
人間とは言葉の通じない魔族、お前が今『人間』と呼んだ奴らと遭遇した。今なら連中が山賊でしかなかったと分かるが、開拓のために外へと踏み出した人間が襲われた時、人間と魔族の対決は宿命となった。
剣に槍と、時代遅れも甚だしい武器を手にした騎士団を見て我らは魔族を過小評価し、未知の脅威に接した不安から安直にも戦端を開いた。戦車まで使って村々を焼き払い、街々を滅ぼして一人残らず駆逐しようとしたのだ。
だが、今ここに生きているのは我一人だ。」
「なぜ、千年前なのですか。」
「ここは大気中の魔素が減少することを冷凍休眠で見計らって人類の再建を目指すための施設だった。その周期が千年とされたのは死に絶えた自然が復活するのを待つためだった。それにキリがいいからな。」
薄暗闇で仄かに明かりを持った二対の瞳が瞬いた。
【東にもお前の同族がいただろう。】
「その通りだが、どこでそれを知った。」
【見ていた。それ故に知った。人間は魔族相手に優勢に戦いを進めていたのを覚えている。】
「優勢だったなら、なぜ負けたのだ。」
【…………。】
「…………いや、もうこれ以上は聞きたくない。」
苛立った様子を兜に隠した魔王の心を知ってか知らずか、機械的な電子音の不器用な調子の声が広い回廊に響いた。
「王様は私にどのような仕事を与えるのですか。」
「お前はここの責任者だ。……機械の修復及び設備の復旧を行ってもらう。今日ここへ来たのは、様子の確認と管理システムの中枢部の場所を教えるためだ。それと、パスワードをな。
税収の帳簿の計算も行ってもらう。お前以上に正確な計算をできる者はいないだろう。我らが知るところで言えば、中世と同程度の文明水準しかない世界だ。一部には旧世界をも凌駕する技術はあるが、道端に唾を吐いて粗野な振る舞いをする者が大半の世界だ。帳簿を改ざんして脱税を試みる者もいるだろう。
メフィナと連携して事に当たれ。本当ならばお前を長官に任命したいところだが、言葉を話せないとなれば上位の役職に当てることは出来ん。だが、ここがお前にとって最善の職場となることは間違いあるまい。 配置する警備兵の指揮官にも任命しよう。まずはここに……眠る者達を葬ってくれ。」
「分かりました。」
「畏まりました、と言え。日本語には複雑な敬語の仕組みがある。お前はアスタールの魔王に仕えるのだ。今すぐにとは言わん。だが、ここの記録を参照すれば多くを学べるだろう。
お前は秘書官直轄の臣下だ。その自覚を持て、よいな。」
「畏まりました。」
お辞儀する姿は臣下のそれというよりは、執事のようだと魔王は思った。