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魔譚  作者: 御劔浄
第二章 黄金に雨打つ
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第三話










「仰る通りに御座います。国王陛下がこれを機に大関門の守備を固める方針でいらっしゃることはご存知のことと思いますが、大関門周辺の貴族を排除するのもその一環であります。空白となった地域は我らがおさめることになると伺っております。」


「王家の直轄領にするのか。貴族の反発は避けられんぞ。」


「名目上は貴族となります。これはかねてより平民上がりの我々がないがしろにされてきたことを陛下が憂慮されてのことです。貴族とはなりますが、我々は貴族派の者達とは元々相容れない存在です。殿下への忠誠はこれまでと何ら変わりありません。」


 太古の昔から掛かる橋に夕日が差していた。

 肘掛けにもたれかかって頭を支えながらユラン王太子は尋ねた。


「魔王はアスタールをすでに手にした。これまでアスタールの攻撃を受ける前提で話を進めたが、果たして我が王国へ攻め寄せるだろうか。」


「エインデル三世を弑逆しいぎゃくして王位にいた男です。野心家であることは間違いありません。遠からずこれと対峙する時が訪れましょう。」


「何か、退ける手はないのか。黙って我が王国を引き渡すつもりなどないぞ。」


「信頼の置ける者達に王宮の図書館に所蔵されている書物を当たらせています。何かしら得られるものが御座いましょう。」


「封のなされた秘蔵の書物にも許しを与える故、目を通せ。我が祖、ハイゼンの記した書物もある。きっと、役に立つはずだ。」


「畏まりました。」


 馬車に乗る王太子を護衛する馬上でセヴァレスは思った。これまで死んだ者達とこれから死ぬ者達のために、この剣を必ず魔王のもとへと届かせなければならない。

 自らと同い年であるその両肩にはバルシア王国の未来が掛かっている。その重責は一人が背負いきれるものではない。バルシア王国から受けた恩は一生をけて返す。騎士となったその日、胸に抱いた決意が再びセヴァレスの内に満ちた。





■■





 血塗れの近衛騎士がひざまずいた。


「殿下、国王陛下直々じきじきの御命令により反逆者を誅殺ちゅうさついたしました。何卒なにとぞ、人心をお鎮め下さい。」


 大関門にほど近い砦の謁見の間は、斬り殺された貴族と整列して膝を床に付き首を垂れる騎士達で、血と鋼の臭いで包まれていた。突然の暴挙に唖然とするのは貴族だけではない。最奥の席に座るユラン王太子も目を見開き身を乗り出している。

 近衛隊隊長を問いただして得られた言葉に、ユラン王太子は助けを求めるように左右の侍従を見た。しかし、言葉を失った侍従達は狼狽えるばかりである。


「何ということだ、何ということだ。王国恩顧の者を殺すとは、父上はご乱心されたか。嗚呼ああ……何ということだ。」


「…………。」


「もう、もうこれ以上は何人なんぴとたりとも殺すな。余の命令のなく殺すな。」


「は、仰せのままに。」


「お前たちは下がれ。」


「畏まりました。」


 退場する者達に向けられた貴族の視線は、憎悪と嫌悪が放つものだった。セヴァレス麾下きかの近衛騎士達は乱入したその時から、誰も一言も発しなかった。不気味なまでの静けさに貴族達は罵倒の言葉を浴びせる間もなく見送る他になかった。

 血潮したたる鎧姿。広間の扉を守備する番兵がぎょっとしたのを尻目に近衛騎士隊は砦の一角に集まった。そこでようやく兜を外したセヴァレスは言った。


「皆よくやってくれた。」


「いいってことよ。あんたこそ、いいのか。」


「何が、だ?」


 近衛騎士の面々が言う。


「お偉い方々のお考えになることは分からねえがよ、貴族連中のあんたを見る目はよくねえぞ。」


「命令とありゃあ、俺たちは何でもするがよ、こいつは何だかなあ……。」


「あれは、絶対殺してやるって言ってるような目だ。」


「何か悪いことがないといいのですが。」


 セヴァレスは若くしてテナンの跡を継ぎ副隊長の一人となったビンの肩を叩いた。神経質で不安げな表情でいることが多いこの若者はしかし、技量に優れ激戦を潜り抜けた勇士でもある。何かを始める前に立ち止まって考えるその性質は、荒事に慣れた者達の中にあって貴重な人材だった。

 考えることよりも剣を振ることが得意な者達でも、今回の命令が異常なことは分かっていた。殺せと命じられれば躊躇ためらいはしない。しかし、自らの隊長が被る風評を気にせずにはいられなかった。


「私のことを案じてくれているのは分かっている。」


「でもよ、いつぞやみてえに陛下にお前の悪口を言うやつが出てくるぞ。王子様が騙されなきゃいいんだけどよ……。」


「大丈夫だ。殿下を信じよう。」


 セヴァレスは荷馬車に飛び乗り釈然としない一堂を見下ろして言った。りんとして立つ紫鎧の騎士は指揮官の威厳を見せていた。


「みんな、思い出してくれ。

 俺達は路地裏で寒さに震え、その日の食い扶持ぶちにも事欠く孤児みなしごだった。誰もがコソ泥をやったし人殺しだってやっていた。俺の親友はパン屋に殴り殺されたし、チビのビンはがりがりにせ細って死んでるも同然だった。街行く連中はそんな俺達を見て小汚い鼠だとわらってやがった。

 それを、孤児院にぶち込まれて不貞腐れてた俺達を王様は無理やり引っ立てた。路地裏から引きずり出された奴だっている。集められた俺達を見下すでもなく憐れむでもなく、王様は俺達にまともな飯と剣を与えてくれた。生きて役に立てと言ってくれたんだ。」


「そうだ。王様がいなけりゃ、俺は今頃はこうだ。」


 その騎士は人差し指を首の前で水平に振った。


「あの騎士のじじいにはしごかれたし、タコが潰れても剣を振らされたもんだ。こんなのやってられるかって言い合ったもんだよな。」


「応よ。あのクソ爺をぶちのめすために鍛錬してたようなもんだ。」


 セヴァレスが言った。


「だけど、毎晩食う飯は美味かったよな。酒だって気前よくくれた。冬は暖かくして眠ることが出来たし夏はどぶの水じゃなくて井戸で水浴びできた。チビのビンが今ではひょろ長ビンになった。」


「相変わらず肝っ玉は小せえけどな。」


 大きな笑いが起こった。


「俺達は友となり多くの戦場を巡ったが、その度に仲間が死んでいった。腹を刺され、首をねられ、斧で頭を割られた奴だっている。

 だけど、誰も薄汚い鼠のように死んだ奴はいない。みんなが立派な騎士として死んでいった。胸を張って俺はバルシアの騎士だと言ってな。俺達はもう、哀れな孤児みなしごじゃない。誇り高きバルシアの男だ。バルシアを守る盾にして剣だ。

 こんな風に俺達を変えてくれたのは王様だ。そうだろう、みんな?」


 戦場にいるかのようなときの声が上がった。握りしめたこぶしを高く上げる者や、剣を掲げる者など誰もが思い思いに賛意を示していた。


「テナンは王様を守るために死んだ。そして今、王様は俺達に王子様を託そうとしているのに応えない理由などありはしない。王子様はまだ若く経験も少ないが我らがお守りし、我らが王国を盛り立てるのだ。そのためにこそ今の我らがいるのだ。

 私はユラン王太子殿下に忠誠を捧げる。多くの困難が我らを待ち受けるだろう。だが、我々は必ず打ち勝つ。これまでもそうだった。これからもだ。皆、私を信じて付いてきてくれ。」


 異議を唱える者はいなかった。


「不名誉なことをしたのは分かっているが、これもすべては我らが祖国のため、どうか分かってくれ。」


「気にすんな。気に入らねえ奴もいたからぶち殺せて俺は大満足だ。」


「あんたのためなんだ、誰も詫びて欲しいなんざ、思ってねえよ。」


 荷台から降りたセヴァレスは仲間の手を借り鎧を脱ぐと、これから王太子のもとへ行くと告げその場を後にした。こと、戦場では頼もしい仲間達も政治にはうとい。頑張れよと背中を押す声は自らの命運を託しているものである。セヴァレスはその足取りを速めた。

 砦の応接室に付いたセヴァレスはユラン王太子への接見を求めた。椅子に腰かけユラン王太子付きの侍女が勧めた茶をすする。今も貴族達の相手をしているのだろうかと思ったセヴァレスはかたわらの侍女に尋ねた。


「殿下は如何いかがされていらっしゃるだろうか。」


「寝室へお戻りになりました。しばらくお休みになると伺っております。」


「ならば、私は日を改めるとしよう。」


「いえ、それには及びません。セヴァレス様がいらっしゃったとお知りになり、待たせておくように言い付かっております。」


「あれだけのことがあった後だ。具合を悪くされていないだろうか。」


「申し訳ありませんが、存じ上げません。」


 いつ来るとも知れなかった。結局その場で待つことに決めたセヴァレスは何の気なしに尋ねた。


「謁見の間でのことは知っているか。」


「先ほど……。」


「国王陛下より賜った御命令だったが、とても名誉あるものとは思えない。やはり、殿下の御気分を害するものだっただろうか。」


「暴力を嫌われるお方に御座います。兄君を亡くされてからその御心労も大きく、この頃は眠れない夜もあるようです。僭越ながら、このようなことは二度となさらないで下さい。」


「そうだな。私とて魔王のような所業はしたくなかった。」


 その時、応接室の扉が開かれた。

 侍従と侍女を連れ、衣服を変えたユラン王太子である。その姿を認めたセヴァレスは直ちに起立しかかとを揃えた。青ざめた顔の王子は背中を丸めて力無く椅子に座り込んだ。あまりにも弱弱しい様子にセヴァレスは思わず手を貸した。


「失礼いたしました。」


「構わない。話というのは陛下の御命令のことか。」


 懐から一枚の羊皮紙を取り出したセヴァレスが、恭しく広げて卓上に置いた。それはバルシア王シュタイス直筆の署名の添えられた命令書である。侍従の男がうめいた。貴族派の男である。端から端まで目を通したユラン王太子が本物であると認めた。


「事前にお伝えすることは陛下より禁ぜられておりました。」


「まさか、本当にこのようなことをなさるとは。お止めすることは出来なかったのか。」


「一連の敗北のきっかけを作られた方々を陛下はお恨み申し上げているようです。その決意は固く私の言葉ではひるがえすことは叶いませんでした。」


「まさか、父上がご乱心されるとは。」


「……。」


 誰も何も言わない。

 ややして、王子は二人の侍従に王都への出発の用意を命じ、セヴァレスを除いた者達を下がらせた。


「これが父上の描いた筋書きなのだな。」


「見事に演じておいででした。」


「あれは……本当に気分が悪くなる。私はああいうのが苦手だ。知っているだろう。もっと他にやりようはなかったのか。」


「申し訳ありませんでした。」


「このようなやり口、私は嫌いだ。彼の魔王の如き残虐な所業だ。戦場というのはそういうものだと分かっている。いつか私も行かねばならない場所だ。だが、どうしても好きにはなれない。」


 開け放たれた窓に向かった王子は汚れた空気を吐き出すかのように深呼吸した。


「私は陛下より大関門周辺域の辺境伯に任じられる運びとなります。ついては子飼いの部下を伴って任地へ赴くお許しをいただきたく存じます。」


「父上に伺えばよかろう。」


「これは殿下が御即位なされた後の話に御座います。」


 ふうむ、とユラン王太子は考え込んだ。セヴァレスにはその心の内を知る術はなかったが、多くの事柄を考慮した上で善処しての判断を下すものと信じている。多くの戦場を経験しながら一軍の指揮経験には乏しいセヴァレスは、手足の如く動かせる精鋭部隊である仲間たちを必要としていた。

 ようやく答えた返事はセヴァレスの想定とは異ならない。しかし、しばしの時を要したことにセヴァレスは不安を感じた。


「好きにせよ。」


「はっ。アスタール王国への備えを進める所存です。きたる戦いには必ずお役に立ちましょう。」


「ああ……そうだな。今日は疲れた。お前は下がれ。」


 酷く覇気に乏しい言葉だった。

 敬礼しセヴァレスは退出したが、入れ違いに入る侍従の男がいた。その視線は鼠を嘲笑った民衆のそれとよく似ていたが、セヴァレスは肩で風を切るようにすれ違いその場を後にした。





■■





 黒衣に身を包んだ騎士が列をなして進んでいる。沈痛な面持ちを浮かべる彼ら近衛騎士隊が護衛するのは一台の馬車に横たわるバルシア王シュタイスの亡骸なきがらであった。志半ばでついえた命を惜しむのは、馬上に揺れるセヴァレスだけではない。

 沿道には王都の民衆が集まり、神々のもとへと旅立ったバルシア王の最後を見届けている。喪主であるユラン王太子と各地の貴族も行列に加わっていた。


「神々よ、どうか父上の魂をお守りください。」


 王都は三日の喪に服した。

 その後、バルシア王シュタイスの遺言によりユラン王太子が即位、バルシア王ユランとなった。続けて近衛騎士隊隊長ダー・セヴァレスは大関門周辺域を統括する辺境伯に任じられることが決定した。これにともないアスタール王国への備えとして旧近衛騎士団の駐屯が決まり、新たな近衛騎士団の創設が決定した。

 王城と王宮の警備を担当する宮廷騎士団にバルシア王ユランの身の安全を託し、旧近衛騎士団は任地へとおもむく。その道はしばしば見物人にあふれ、あたかも凱旋のようである。平民でしかない彼らは貴族とその子弟のみで構成される騎士団とは打って変わり庶民の人気が高い。

 騎士団の面々は気をよくして愛想よく手を振っていたが、馬上のセヴァレスの表情には大きな不安が影を落としていた。


「何をまた湿気た顔してるんだ。手を振ってやれよ。俺達は英雄だぜ。」


「ああ、そうだな。」


 バルシア王ユランは平民の言葉にも耳を傾ける器の広さを持っている。それはクァンテンの戦いでこの世を去った王太子モルトワ・フェン・ハイゼン・バルシアの持ちえなかったものでもある。しかし、バルシア王ユランは善良な性質ではあるが臆病で耳を貸す相手を選ぼうとしない。

 美点は得てして欠点ともなりうる。

 セヴァレスは自らと同い年であるバルシア王ユランが周囲の貴族の讒言ざんげんに惑わされないか案じていた。必要とあらば諫言かんげん躊躇ためらうことはないが、一度ひとたび甘言に身をゆだねれば聞き入れなくなるかもしれない。


「また難しいことを考えてますね。」


 くつわを並べる副隊長のビンである。


「それが私の仕事だ。」


「あまり根を詰めないで下さい。考えたって仕方のないことばかりでしょう。」


「まったくだ。我らのなすべきことに変わりはない。」


 








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