第十一話
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王都に駐屯する軍勢の出発は三日後と決まった。玉座に君臨する魔王に秘書官であるメフィナは今後必要となる手続きや人事について説明をしていた。
「ああ、まったく硬くてかなわん。なぜこうも座り心地の悪い椅子を玉座にしたのだ。」
「恐れながら、それは誰もが羨む椅子に御座いますわ。初代国王陛下がお使いになり代々受け継がれたものに御座います。」
「初代の王とやらは生粋の武人だったのだろう。三つ数えるよりも長く座っていなかったに違いない。」
皮肉を受けて冗談で返した魔王に、メフィナは上品な笑みを浮かべた。
「仰る通りに御座います。北方の王より命を受けてこの地を征服した将軍だった初代国王陛下が、反逆の嫌疑を受けた折にこの地に王国を築いたとされています。」
「適当に国内が落ち着いた頃合いを見計らって職人を見繕ってまともな椅子を作らせろ。綿を詰めた平たい袋も、だ。尻が痛くて政務に身が入らん。」
「畏まりました。その椅子は如何なされますか。」
「砕いて暖炉にでもくべてしまえ。……いや、当てがあるなら余所の物好きに高く売り払え。金は大いにあって損はない。」
ケルヴァー将軍の血を引くメフィナ嬢は、祖父の推薦通り職務を遂行するに十分な資質を有していた。縁故人事か、何かの悪い冗談だと思っていた魔王はその考えを改めた。
またメフィナ嬢は別の方面で貴重な人材でもあった。玉座の背後に眠る竜に怯えず言葉を交わすことが出来たのだ。多くの文官はその巨躯に慄き、膝を震わせた。失神した者さえいる。
初めて目にしたときのメフィナ嬢は足を止め目を見開いただけであり、自らを見つめる赤い瞳にも僅かにたじろぐだけであった。あるいは、必死に堪えているだけなのかもしれないと思った魔王は、あまり怖がらせるのもよくない、と口を開いた。
「案ずるな。我が命なくしてお前を傷つけたり、殺したりはしない。」
「左様に……御座いますか。」
「くれぐれも機嫌を損ねぬことだ。我が目の届かぬ内に食われるやもしれぬ故。」
「……。」
「我に対するのと同じように最大限の敬意を以って接する限り、お前の身の安全は保障しよう。我が竜は誇り高い。そして敬いを知る者には相応に応えることを知っている。そうだろう?」
【いかにも。】
玉座にとぐろをまいて大きな首を玉座の隣に据えている竜は首を振った。
「仰せの通りにいたします。また、王宮に出入りする者達にも徹底させましょう。」
「そうだな。我が竜を侮辱することは我を侮辱するに等しい。」
「畏まりました。」
恭しく自らに首を垂れる様子を、竜は魔王にも理解し得ない表情で見つめている。竜は魔族を嫌悪している。いかなる所以があるのか魔王は知らないが、自らのそれと似たものであることを感じていた。
魔王にとって竜は最も親しい友人にして協力者である。同等の敬意を求めることは何も不自然に思われなかった。
「ところで話は変わりますが。」
「何だ。」
「陛下は王杓や王冠をお使いにはならないのですか。」
「あるではないか。」
魔王が兜越しに顎をしゃくった先には赤い目を瞬かせた竜がいた。一瞬、きょとんとした表情を浮かべたメフィナ嬢はその意味を理解すると、余裕を感じさせる笑みと共に頷いた。魔族の言葉を理解できない竜だけが首を傾げるばかりだった。
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クァンテンの戦いから一月あまりの一連の小競り合いで、魔王とその軍勢は反抗する貴族を次々と捕らえては処刑し、あるいはその所領から追い出した。一方で王都を脱出し、領地の没収と爵位剥奪という到底受け入れられない条件を突き付けられた貴族の対応は常ならぬ素早さがあった。
農民から搾取した私財を惜しみなく投じてかき集められた傭兵と寄せ集めた農民兵の数は早くも六千を超えていた。ハンメンス伯爵の許に合流した貴族は、彼らには卑近な政治闘争を中断して魔王を討つことで合意し伯爵を指揮官とした。
「我らに退路はない。死か然らずんば勝利か。戦うより他に生き残る道はない。奮い立て。」
対する魔王は河川を背後に軍勢を布陣させた。
三千弱の一部に傭兵を含む農民兵は竜の存在に慢心していたが、数に勝る敵軍に追い詰められた形となったことに気付いた。そして動揺するその最前列に魔王は竜に跨がり空から舞い降りた。竜の背に立ち、剣を抜き放ったその威容に一帯は静まり返る。
我は皆と運命を共にする。地に降り立った魔王が告げた。
つい先日まで鋤や鍬を手にする農夫でしかなかったアスタール兵達は連戦に鍛えられ、幾度もの勝利が自信を与えたことで追い詰められたその身を強兵に変えた。竜と魔王がいることを思い出したのだ。
「魔王様に続け。」
先陣を切ってただ一人駆け出した魔王にアスタール兵は気炎を上げた。竜の加勢を得るまでもなくアスタール正規軍は貴族連合を圧倒する。必死に竜の猛攻を防いでいた魔法使いは刃の下に倒れ、総崩れとなった貴族連合の兵はその多くが降伏し、捕虜となった貴族は刃を以って一人も残さず惨殺された。
もはや、旧アスタール貴族はその勢力を維持することは出来ない。未だ兵を差し向けられていない日和見を決め込んでいた貴族も助命を条件に服従する者が相次ぎ、旧アスタール体制は息絶えて新たな王は名実ともに支配者となった。
降伏した農兵は郷里に返された者の他に一部が吸収され、傭兵は服従か死かの選択を迫られ強制的に参陣を強いられた。追撃を控えたアスタール軍は陣を敷き兵を休ませると共に部隊を再編成することを決めた。軍議の席上には秘書官であるメフィナ嬢、ナタル卿改めナタル将軍、両将軍により大隊長に任じられた騎士達に加えて竜の姿がある。
「御見事に御座います。しかしながら、陛下自ら兵の前に立つのはやはり納得がいきません。あまりにも危険ではございませんか。」
「王が動かねば兵は動かん。我が意を翻すつもりはない。危険はもとより覚悟の上だ。」
「畏まりました。」
知らせたいことがある、メフィナ嬢は言った。
「祖父からの便りにはバルシア軍が再び動き始めているとあります。大関門の西地域に亡命を始めた貴族を支援するものと思われます。いかがなされますか。」
「迎え撃つ。だがその前に聞いておこう、大関門とはなんだ。」
「海の上にかかる巨大な橋です。千年の歴史を持つバルシア王国よりもさらに古くから彼の地にあるそうです。我が国とバルシア王国との間で長きに渡り戦場となりました。現在は両岸をバルシア王国に抑えられております。」
バルシア王国の出兵は、亡命する貴族と地元の領主の要請によるものであるとナタル将軍は推論を述べたが魔王は何も答えない。兜に隠されたその表情を伺い知ることは出来ない。
ややして、様子を尋ねたメフィナ嬢に魔王は何でもないと応じたが、竜が同じく尋ねた言葉には答えた。
「ああ、懐かしいことを思い出していた。他にもまだ残っているものがあるとは思わなんだ。」
【大関門のことか。】
「そうだ。お前には教えたことがあっただろう。」
【お主が言っていたプラなんとやらか。道路と同じく、あれもその類か。】
「ご名答。」
竜と魔王の会話に差し入る隙間はない。メフィナ嬢を始め、諸将は黙ってその様子を見守っている。アスタール兵は自らの王の残虐さに恐れをなしたが、同時に竜を操るその神秘性が魔王への崇拝を生んでいた。
また浄化の力で魔法を退け魔素を奪い取るその様は、魔法の知識を持たない兵達の目にはあたかも魂を奪い取る邪悪な魔法のように思われた。さらにはアスタール軍に所属する魔法使いまでもが未知の力に首を傾げ、そのことは魔王が操る浄化の力を広く知らしめる一端となった。
アスタールの誰もが、魔王エーヴィンが尋常の王ではないと知るようになっていた。
「話を戻そう。」
魔王は見上げていた竜から視線を落とした。
「バルシア王にはクァンテンの戦いで我らが深手を負わせたものと思っていたが、生き残っていたとは意外だった。」
「そのことですが、バルシア王は病床にあるとの噂です。しかし、深手を負わせたとは一体何のことでしょうか。」
ナタル将軍が問いかけた。クァンテンの戦いでの魔王の戦いはまだ知られていない。そのことを思い出し魔王は一部始終を語って聞かせた。
「クァンテンの戦いの折、お前達が雑兵共を蹴散らしている間に戦場を離脱したバルシア王を追って攻撃を仕掛けた。黄金の鎧を着ていた者に竜の息吹を浴びせてやったが、紫色の模様が入った鎧の騎士に邪魔立てされて止めを刺せなかった。返す返すも忌々しい騎士だ。」
「恐らくはバルシア王国の近衛隊隊長セヴァレスに間違いありません。剣を交えたのでありますか。」
「手強い相手だった。あれほどの男は見たことがない。あの強さは認めねばなるまい。」
「あれはバルシア最強と謳われる男です。百を下らぬ数の騎士や魔法使いが彼の騎士に挑み、そして討たれました。よくぞご無事で。」
「近衛隊隊長セヴァレスか。……我が竜よ、覚えているだろう。お前に剣を突き立てた騎士を。」
【あの騎士か。さしものお主でもあれは倒せまい。】
「戦場に現れたときは、我が竜と共に我自ら相手する。たとえ、やつが戦場に現れようとも我らの取るべき道に変わりはない。ナタル将軍、諸々(もろもろ)の手筈を整えよ。」
「仰せのままに。」
魔王は一同を解散させた。
陣幕に囲われた広場は机が取り払われ、。竜とただ二人きりとなる。ふと目についた白い鱗を拾い上げた魔王は、件の近衛隊隊長セヴァレストの戦いを思い出していた。
突然背後に詰められ咄嗟のことに魔王は手にした銃を乱射した。竜が住まいとしていた地下の遺構で手に入れた今は亡き兄の形見は、二十一世紀後半に発見された第三次元元素群を利用した兵器であり、それまで人類の主要兵器であった実弾銃とは異なる。
それは元素銃と呼ばれていた。
長い軌跡を空中に残しながら弓なりに飛び、属性に応じた効果と共に強い衝撃を与える武器である。鎧を貫くことは叶わなかったが、特別な改造を施されたその衝撃は大きい。姿勢を崩して翼へと落ちたセヴァレスへ追い打ちをかけた魔王は銃を乱射した。セヴァレスに命中しなかった光線は竜の翼に命中していた。
「面白いことを思いついた。」
【何だ?】
「お前から剥がれ落ちた鱗で我が鎧を作ろうと思う。軽くて元素銃の攻撃にも耐えるほど頑丈だ。今の鎧はあまりにもみすぼらしい。この鎧ならば王者の箔が付くというものだ。」
【お主、よもや我が肉体から剥ぎ取ろうと言うのではあるまいな。】
「まさか。剥がれ落ちた鱗を集めるだけだ。そんなことをするものか。」
【また妙なことを思いついたものだ。】
「今に始まったことではないだろう。気に入らないか。いつまでもこの鎧を使うのは王の沽券に関わると我は思うのだ。」
【好きなようにするがよい。我が手を離れたものに興味ない。】
竜の白い鱗からは白い鎧ができるに違いない。白銀の輝きとは異なる純粋な白の鎧となるだろう。継ぎ接ぎだらけの不恰好な今の鎧とはそれまでの付き合いである。
秘書官のメフィナ嬢を呼び寄せた魔王は、王都に留まるケルヴァー将軍への書簡に腕の立つ鍛冶師を集めるように口述筆記によって認めさせた。魔族の文字は魔王が見たことのないもので、書くことはもとより読むことすらままならない。魔王が玉座に就いて最初に決めた秘書官の設置を急がせたのはこのためである。
「ケルヴァーの様子はどうだ。」
戦場に寝台はないが、あたかも寛ぐかのように魔王は竜の翼を背もたれにして体を預けていた。
「……祖父のことでございますね。」
「他に誰がいるというのだ。
奴には官僚制度の立案と施行を任せたが、恐らくはうまくいっていないだろう。ありとあらゆる人材が不足している上に、登用するうえでの判断もすべて一任してきたからな。政治を執り行っていたのが貴族ばかりであるのが悩ましいものよ。」
「宰相として既に数人ほど推挙している者がおり、陛下の判断を仰ぎたい旨の報告が御座います。」
「すべてはバルシア軍を追い払ってからだ。ケルヴァーが迷うというのならば王都へ帰還してから我自ら見定めるとしよう。やつにはこの制度の趣旨を伝えてある。我が戻るまでの中継ぎ程度はこなせるはずだ。」
「では、そのようにお伝えします。」
仕事を終えた魔王は両腕を伸ばして背伸びをすると、兜に手をかけて動きを止めた。竜の翼の下で魔王は眠る。暖かいからという理由もさることながら暗殺の危険を避けるためでもある。そしてその時にだけ、魔王は素顔を晒していた。
普段ならばメフィナ嬢が気を利かせて竜を囲む天幕から退出している。しかし、小机の傍に置かれた椅子に腰かけたまま、出ていく様子がない。
「何か聞きたいことであるのか。」
「私に聞きたいことはありまして?」
メフィナ嬢には慇懃無礼なところがある。自らに恐れ慄く者達がほとんどの中で腹立たしく思えたが、しかし同時に面白いと魔王は思っていた。ケルヴァー将軍の唯一の血族でなければこのような態度は、まず取れない。魔王が思い通りに出来ないのは竜とこの秘書官くらいである。
「さて、お前が何をしたいのか理解しかねるが、一つだけ聞きたいことがあるとするならば。」
「あるとすれば?」
「ケルヴァーのことだ。」
「…………。」
「ケルヴァーが我に服従した事のあらましは聞かされているだろう。我が奴を脅して屈服させたという体になっているが、実のところ、我はあまり腑に落ちていない。奴は半殺しにしても簡単には屈しないものだと思っていた。事実、我はそうするつもりでいた。
それが思いのほか、呆気なくも容易く我に従うことを決めた理由を図りかねているのだ。いくらお前の名を挙げて脅した程度で国を売るとは思わなんだ。お前には何か思い当たる節はあるか。」
感覚を研ぎ澄ますかのように目を閉じたメフィナ嬢は、幾ばくかの時を逡巡して口を開いた。
「私の父は、戦死したと伺っております。昨年の戦争の折、バルシアへの攻撃を決定された先王の命令に従い父上は手勢を率いて大関門を渡りましたが、大関門を牛耳る貴族とバルシア王の策略で糧道を絶たれたアスタール軍は敵中に孤立したのです。
敵中を突破してアスタールへ戻ったのは五分の一にも満たない数でした。ナタル将軍もその際に従軍されていましたが、漁民に金銭を渡して何とか難を逃れたそうです。しかし、お父君は敵を食い止めるために敵中へ斬り込み、虜囚の恥を嫌って壮絶な最期を遂げられたと伺っています。
御爺様は先王の決定に反対されておりましたが、父上が亡くなったことを知って大変お怒りでした。」
俯き寡言なその面持ちに魔王は下がって休むように命じた。
「バルシアという国は我が想像する以上に手強いかもしれん。」
【二度も破ったのではなかったのか。】
「大関門というのが問題だ。下手にお前が暴れると壊れるかもしれない。魔法も同じだ。そうなると純粋な力で戦わざるを得ない。今後の征服の為にもあの橋を失うわけにはいかないからな。しかし、バルシアにはセヴァレスがいる。何か手を打たなければならなくなった。」
【では、どうする。考えはあるのだろう。】
「無論だ。」
魔王は竜に言った。
「誰も言わないので不思議に思っていたが、恐らくは知られていないのだろう。……あの海にあるのは橋だけではない。」