第十話
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アスタール王国第一の将、デイン・ゴル・ド・ケルヴァー辺境伯の凱旋式は豪華絢爛なものとなった。石畳の街道には左右の家屋から垂らされたアスタール王国の旗がなびくき、誰もが口々に凱旋将軍の名を称え、そして隊列の中央を行く白い竜に跨る騎士風の男の正体を噂し合った。
王宮前の閲兵場には、二度に渡る苛烈な戦いを生き残った騎士と魔法使いが並び、遠く後方には近衛兵の陰で徴兵されて戦場に赴いた農民兵も誇らしげに胸を張っている。
「栄えある我らがアスタール王国第八代国王、エインデル三世陛下、ご入来。」
侍従の言葉と共に騎士と魔法使い、そして貴族が一斉に跪いた。
世間話に花を咲かせる背後の声に気を取られたエーヴィンは、左に立つケルヴァー将軍が跪くのに遅れて跪いた。その立ち位置はケルヴァー将軍の従者のものでありエーヴィンの偽装のためでもあった。かくして背後の農民兵がひそひそと話す声だけを残し、辺りは静まり返った。
一人顔を挙げて兜の隙間から様子を窺うエーヴィンの視界にその王は現れた。
引きずるように歩く肥満体の体はおよそ王者の風格にはあらず、持て余す脂肪に首は隠れ、重力に引きずられた頬から肉が垂れている。それはまた長く伸びた両耳も同様であった。エインデル三世はケルヴァー将軍と同族であったが、身に帯びた王冠と王杓は酷く不釣り合いなものだとエーヴィンは思った。あまりに滑稽で失笑さえ漏れた。
倒れこむように品格にかけた座り方をした王の姿を認めた侍従は、丸められた羊皮紙を上下に広げて読み上げ始めた。
「まだ事を起こすには早い。呼ばれるまで待て。」
ケルヴァー将軍が小声で告げた。冗長で婉曲的な美麗を取り繕う文句と共に、アスタール王国の成り立ちから現在に至るまでの歴史が語られている。爵位のない卑賎の身であるエーヴィンは兜の内にその顔を隠し欠伸の出る思いで聞いていた。
ようやく論功行賞に移りケルヴァー将軍やナタル卿、その他の貴族やその従者と共にエーヴィンは前へ進み出た。
「ようやく終わったか。そういえば、竜がいるはずだ。あれがそうなのであろう。誰ぞ、早く連れて参れ。」
その言葉を受けてエーヴィンはケルヴァー将軍と共に立ち上がった。
本来ならば論功行賞の後となるはずだったが、エインデル三世は侍従の言葉を遮った。臣下を蔑ろにしているともとれる行為だったが、誰も咎めようとはしない。愚王の一端を垣間見ながらエーヴィンはケルヴァの将軍の下知により背後に控える竜の許へ歩いた。
竜は二手に分かれた騎士の一隊と魔法使いの一隊に挟まれる形で腰を下ろしていた。暴れだした場合に備えてのことだったが、エーヴィンに言い含められていた竜は辛抱強く待っていた。
【いい加減にこの茶番を終わらせるとしよう。】
「さあ、付いて来い。」
衆目の手前、エーヴィンは返事を返さず手招きした。
ゆっくりと、竜が立ち上がる。恐れをなして後ずさった者達に愉悦覚えながら一歩ずつ導いた。玉座に背を向け、後ろに下がるトラックを誘導するかのような手振りで後ずさったエーヴィンは遂にケルヴァー将軍とナタル卿の脇をすれ違い、その前に立った。
「おお、実に見事。だが、さしもの竜といえど、余の威光には抗えぬというものよ。」
「仰る通りにございます。陛下の名はあまねく国々にまで轟き竜の耳にまで至ったのです。」
「おめでとうございます、陛下。これで憎きバルシアを攻め落とす日も近いことでしょう。」
「その方、何ぞ褒美を取らせよう。望みの物を言うがよい。」
ケルヴァー将軍からの書簡や側近からどれだけゴマすりを受けたのだろうか。王は竜を目前にして身の危険を感じていない。
エインデル三世を恨む声は農夫から兵卒に至るまで蔓延していたが、自らの目で見ることでその醜悪さを知ることとなった。聞くに堪えない太鼓持ちの言葉に辟易したエーヴィンは、ケルヴァー将軍、そしてナタル卿に目配せして大きく首を上下に振った。
「く、曲者だ。誰ぞ、出会え。陛下を守るのだ。」
振り返るなり玉座へと走り出したエーヴィンに、ただ二人を除いて誰もが呆気にとられた。
魔法の力を使い、玉座の前に広がる階段をただ一度の跳躍で飛び上がったその行く手に近衛騎士が立ちはだかる。玉座に深く腰掛けているエインデル三世は目を見開き、指さして言葉にもならない喚き声をあげている。近衛兵は素早く動いたが、命令を出したのは侍従である。
階下では共に剣を抜き放ったケルヴァー将軍とナタル卿が唖然としている貴族に斬りつけていた。そしてその頭上を、翼を広げた竜が飛び越え階段を駆け上がる。さらに後方ではケルヴァー将軍とナタル卿の配下が一斉に蜂起し、場は騒乱の様相を呈した。
「止まれ。」
近衛兵はエーヴィンを阻止せんとして押し寄せたが、隠し持っていた銃を乱射されて足が止まった。その刹那、背後から姿を現した竜が近衛兵の一人を牙に挟んで噛み砕き、最期の断末魔もろとも飲み込んだ。無残に食われたその様を見せつけられた彼らにそれ以上進む勇気はなかった。
【さあ、命じるがよい。】
「殺せ、我が竜よ。一人も生かして返すな。」
踏みつぶし、噛み砕き、鉤爪で引き裂かれる惨状の中をエーヴィンは玉座へ悠然と歩いた。竜の息吹で焼かれ、灰となって宙に掻き消えた敵の陰を尻目に拾い上げた剣を水平に構える。その狙いはただ一人に向けられる。
「止せ、余は王なのだぞ。褒美は望みのままに取らせ……。」
両手を突き出すように掲げて泣き喚いていた王が血を吐いた。胸に突き立てられた剣をねじられた王は咳と共に再びを血を吐くと、だらりと首を垂れた。
すでに死体となった王を玉座から引きずり下ろしたエーヴィンは、その固い座面に腰を下ろし、両腕を肘掛けに乗せると無言で階下を見下ろした。玉座の周りには死屍累々の光景があった。もはや逆らう者はいない。
そして玉座の背後には、竜がエーヴィンを取り巻くように全身で半円を作り同じく閲兵場の騒乱を見つめていた。
「陛下、我が国に仇為す者を誅しましたことをご報告申し上げます。」
剣を収めたケルヴァー将軍は階下に跪いている。それには恭順の意向を示した幾ばくかの貴族も続いたが、居合わせた貴族の多くは四方へと逃散し、少なくない数が排除された。一方のナタル卿は乱戦の最中へ飛び込んで兵をまとめ、降伏した者から武器を取り上げて整列させたうえで跪かせている。
すべてが終わるまで長くは時を要さなかった。
玉座に君臨した新たなる王はおもむろに立ち上がり、名乗りを上げる。その言葉は玉座にかけられた魔法によりあまねくすべての者へと届いた。
「我が名はエーヴィン。その名は魔王。魔王エーヴィン。我こそがアスタールの新たなる王にしてすべてを支配するものなり。」
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玉座へと至るすべてが終わった。
凱旋式では、魔方陣を駆使した道具により記録された映像が方々の都市へと伝えられる手はずとなっている。凱旋将軍を迎えるはずの式典を襲う惨劇を見る誰もが、息を飲むものとなることは想像に容易い。
未だ清められていない玉座には魔王が腰掛けその背後を守るように竜が控えている。対するケルヴァー将軍は血まみれの床に立っており、その傍らには一人の女性がいた。
「さて、エーヴィン。お前の発した命令を受け入れるものは少ないだろう。再び戦場へ戻ることになるじゃろうが、しばしの猶予もある。お前を補佐する秘書官を紹介するとしよう。……さあ、挨拶なさい。」
前に進み出たその女性は、ドレスを両手でつまんで持ち上げると軽く膝を曲げて首を垂れた。落ち着いた面持ちはケルヴァー将軍のそれとよく似た笑みを浮かべている。細い四肢を控えめな深緑の装いに隠しながら血痕にも動じず、古びた鎧兜に包まれた自らをどこか挑発的に見定めんとするその目を魔王はよく知っていた。
「メフィナ・ゴル・ケルヴァーに御座います。ご用命は私の祖父より伺っております。お役に立てますよう、尽力いたします。」
「これは何の冗談だ。」
その問いはケルヴァー将軍に向けて発せられたものだったが、それに答えたのはメフィナ嬢であった。
「忠誠に疑いはなく、筆記と計算に優れ、陛下の意を汲み臣下との間を取り持つことの出来る有能な者を、男女と貴賤に関わらずお求めになった、と祖父からの手紙にありました。何かご不満が御座いましょうか。」
「お前の言ったすべての条件を兼ね備え、歴史や地理にも明るい。自慢の孫娘よ。これ以上の適任はないぞ。」
してやったり、という表情のケルヴァー将軍にナタル卿は驚いている。ケルヴァー将軍と魔王の企みを明かされた時の表情と変わりなかった。この世界に男女平等の博愛主義は存在しない。男女も貴賤も問わないことは十分に異例だったが、それに応えることもまた異例だった。
「ナタル卿はどう思う。」
「……メフィナ嬢は才媛であると耳にしております。」
この手の人柄を不得手に思っていた魔王だったが、反論すべき点はない。問題があれば突き返せばよい。そう考えた魔王は、肘掛けに乗せた腕で支えていた頭をもたげて静かに告げた。
「お前の祖父は良い働きをした。婦女に槍働きは求めぬが、自らの地位に驕ることなく公正に職務を遂行することを期待しよう。」
「有難うございます。いつの日か、ご尊顔を拝せるように努めて参ります。」
魔王はその顔を未だ隠している。その正体を知る者は限られた。謎めいた魔王の正体を知ろうとするメフィナ嬢の挑戦的な瞳に喜色が僅かに見て取れた。
道理で。魔王は思った。ケルヴァー将軍を取り巻く事情は関係ない。人を揶揄いたくて仕方がないというその気持ち。
これだから嫁ぎ遅れるのだ。
「美しいな、そう思うだろう。」
【いかにも。】
血のように赤い夕日が差していた。その光は玉座の前に佇む三人の背後から魔王と竜にかかり、白い鱗と鎧にぶつかり滅茶苦茶に反射している。
「まあ……。」
「大事を為した暮れに見る太陽というのは、実に美しいものだ。」
メフィナ嬢が頬を膨らませるその姿に魔王は少し満足を覚えたのだった。