新人育成のこと
書きたいことは山ほどあるのですけれども、では何をどのようにどういう順番で更新していこうという目途をまったく立てていないという体たらくです。
まあ、書こうと思ったら一気にどーんと書いて「はい投稿」というだけの内容を持ち合わせていないわけではないんですが、気の向くままに書き散らしてしまって話があっちへ飛びこっちへ飛びしてしまうと、伝わるものも伝わらなくなってしまう。それに、よほど気を付けて書き綴らないと、うっかり会社への不満とか悪口とか、あるいは社会制度に対する批判が飛び出してきそう(ええ、それはもう、噴水のごとく)なのですね。ただ、ときには必要に応じて「少しだけ」ふれてしまうこともあるかもしれない。しかし、この稿の目的からいけば、そういう文句を述べるために書いているのではない。ゆえに、最大限に稿の目的から逸脱しないよう、あれこれ思索を重ねているところでございます。
それで、何から書いていこうか? と考えつつカレンダーに目をやりますと、現在四月であることに気が付きました。転勤やら引っ越しやらですっかり季節感を欠いてしまっていたのですけれども。
四月といえば入社式のシーズンですね。うちの会社でもそれを行った、と社員たちが会話していたのを思い出しました。忙しくて全然気に留めていませんでした。
私の職場の社員たちはみな若いので入社から十年と経過していない人ばかりなんですけれども、私にとってはもう十五年以上前になるわけです。ああ年を取ったな、とつい考えてしまいますが、それはどうでもよろしい。あの頃の自分がどうだったかなんて思い返すのも一苦労になってしまいましたが、会社生活という一つの大きな流れとして振り返り見るならば、そこが最初の変革点と申しますか、その後につながってくるもっとも大切なチェックポイントを通過できたのかな、という気がします。
話が散逸しないように言いたいことを述べておきますと、新人にはかなりの割合で苦労がつきまといます。避けて通れないものから、上司先輩の匙加減によって負わされてしまう(=考えようによってはしなくてよい苦労)ものまで、ひと口に苦労といえどいろんな性質のそれがある。
不要な苦労の話は捨て置き避けて通れない苦労にのみ絞って述べますが、仕事の苦労は仕事を覚えていくことによって少しずつ軽くなっていくことが多いんですけれども、やはりこの間の苦労から発する自分へのダメージはある程度覚悟せざるを得ない。このあたり、世間では相当な議論があるようですね。「新人にノンダメージこそあるべき姿で、それができない職場(会社・上司)はブラックだ」という声もあれば「新人なんだから、苦労は仕方がないんだ。何を甘えたことを言っている」といった反論が飛び交っている。まあ、理想論と現実論との応酬です。
私個人としては、どちらも正しいと思います。新人さんに余計な心労がかからないようにしていけば、すぐに辞めたり心の病を患ったりすることもないわけですから、何もわからない新人さんをいきなり荒波の渦中に放り出してしまうような職場はあまり健全とはいえない。かといって、会社は学校じゃない。学校はお金を払って物を教わる場ですが、会社は労働の対価として給料をもらうところ。働く以上大変なことはあるわけでして、ノンダメージが当たり前というのはちょっと考えものです。
しかし、世論というのはどういうわけか妥協点が定まらないんですね。上の両論が極端な表現をとって無作為にばらまかれるから、あちこちで喧嘩まがいの争論に発展してしまう。それも価値ある行為とは思えません。
じゃあお前はどう考えるんだ? と訊かれそうなんですけれども、私の答えは私の経験の中にあります。
私が新人の頃は超氷河期ともいわれるすさまじい買い手市場でした。経済はバブル崩壊の痛手から依然として立ち直れておらず、ありとあらゆる企業が人件費節約の名のもとに採用を抑制し、かつリストラなどといういわゆる「馘首」を平然と行っていったものです。日本中に余裕というものがすっかりなくなってしまっていたのでしょう、ともかくもなんかと食いつなぐ(=会社の存続、利益の確保)ことに血道を上げざるを得ないような状況でした。
そんな時代に入社できたのは幸運とはいえ、ある意味では悲惨でした。高い倍率を潜り抜けたのだから当然お前らは優秀で即戦力なんだろう? という見られ方をしていたのは間違いありません。げんに、そういう言葉を何度も言われたりしました。会社や職場の偉いひとだけでなく、管理職でもなんでもない先輩社員ですらそんなことを言うわけです。現在ならパワハラ万歳、ですね。
そしてそういう先輩社員らが新人教育係を任されるわけですから、推して知るべし。
私の先生役は三つ四つ年上のこれまた若い先輩でしたが、配属になったその日の始業直後、彼の一声を私は今も忘れることができません。外線が鳴るや「はい、取って」。いや、電話が鳴ったら取るのは当たり前なんですけれどもね。これから始める業務に関する説明も何もあったものではありません。確か、その電話は延々一時間以上続いたような記憶があります。お客からの「あれはどうなの? これは?」という質問の嵐に、汗だくになって必死に答えていたんですが、今思えばよくそのお客も怒らずに通話を続けてくれたものだと思います。
先生役の先輩は何をしていたんだ、ということになるんですが、新人を任されたからといってそれ以外の業務が免除されたりはしなかったんですね。自分の仕事もやりつつ、新人の面倒もみなければならない。それがいかに大変なことなのか、私はそれから一年後に理解することになりましたけれども。壮絶、のひとことにつきます。
そうした状況はなにも私の職場だけでなく、全社的にそうであったと聞きました。これは同期たちの話からわかったのですが、ある同期の女性は同期どうしで集まって飲み会を始めるなり、いきなり泣き崩れたそうです。彼女が配属されたのは社でも一番大きい営業所だったのですが、それだけに人間関係が相当大変だったのでしょう。入社半年後に新人を集めての研修がありましたが、さっそく同期の人数が減っており、以後十年のうちに私の同期はとうとう半分以下になってしまいました。今では誰がどこにいるのか、探すのが大変なくらいです。同期会などというものもここ何年も開かれていません。
――話が逸れました。
以上は「現実」に属する話です。
会社は何をやってるんだ、上司は管理してないんじゃないか、という批判があるかもしれない。
そのとおりです。
そのとおりなんですが、過ぎ去ってしまった今だからいえますが、当時は誰もその状況を変えるべき手立てを持ち合わせていなかった、という言い方ができるように思えます。そう、社長ですら。ひどく無責任な表現をとりますと、そういう時代だったのですよ。時代というものは、ついてこれない人をぶんぶんと振り落して走っていきます。ただし時代というのは不特定多数の人間の意思によってそういう方向に持ち込まれてしまう性質であるというのも事実ではないでしょうか。
あれから十数年という歳月を経て、今度は私が「長」という立場になりました。
その間にもいろいろなことを経験したわけですが、ここで一代記を語っても意味がありませんのでそれについては機会をあらためましょう。
あれは今から二年前になります。管理職の端くれ=管理職補佐という立場で三年を経た私はまったく想定しなかったタイミングで「長」に任命されてしまいます。当時の私の直属の上司が、定期異動も間近に迫って来たある日「次、●●営業所の長になるからね」と、喫煙室でタバコを吸いながらつらっと言うわけです。まあ、いろいろとお世話になって(さんざん暴れて迷惑もかけました)いた上司だったので堪えましたが、相手が相手なら直後に蹴っ飛ばしていたかもしれません。というのも、本来のステップからいえば、長になる前に「副長」を一年なり二年程度経験するのが通例です。それを一言の相談もなしにスルーされた私に怒る権利はあります。が、怒っている暇もなくどさくさのまま、私は長として最初の赴任地へ飛びました。
そこはちょっと変則的な職場でして、一営業所内に二つのまったく異なる部署が存在している。片やお客に対応する営業部門、片や商品やラインのメンテナンス部門。事務室が別棟だったので日常的に離れているんですが、それでも同じ職場という括りになります。営業部門しか歩んで来なかった私にメンテナンスのことなどわかるわけがないのですが、そちらには管理職補佐の年配社員がいます。具体的な業務についてはその人に任せておけばいいわけで、私は総務、経理的な部分で面倒を見ていれば良かったのです。ただし、現在この体制は解消されましたが、かなり乱暴な業務体制であるとは思います。まったく畑違いの人間を頭におくなど、会社は何を考えていたんだ、と批判をされても仕方がない。
話は戻り、そのメンテナンス部門に新人が配属されてきました。高卒です。当然、どういう社会経験もない。しかも私にとって初めての配属新人です。これを仮にA君とします。
A君は比較的真面目そうな印象で、これといって不安要素は見つかりませんでした。言葉遣いに多少難がありましたけれども、高校を卒業してすぐだからやむを得ないと思い、私は多少の指導を与えつつも特に厳しくしたりしませんでした。
このA君が見習いとしてついたのが、二十代半ばのB君です。彼はまだ若いながらも非常にはきはきしていて仕事もそれなりにでき、メンテナンス部門の中ではかなりの存在感を発揮していました。A君は毎日、その日教わったことを新人日誌に書いて教導役のB君に提出します。で、それにB君と管理職補佐の年配社員(この人は今後も登場する可能性があるので、仮に恩田氏とします)がコメントを入れる。ひと月分たまると長である私の元にもってくる、という流れでした。
するとB君、達筆な字(性格の現れですね)でA君の書き込みに容赦ない指摘を入れていきます。「教わったことは何度も質問しないように」とか「作業前はきちんと準備を終えておくこと」などと、まあ新人がよく注意される事柄に交じって「この文章は意図が伝わらない」とか「誤字脱字がひどい。日誌を出す前にちゃんと見直せ」などと、まるでなろう作家ではないのかと思うような指摘もたくさんありました。それはともかく、メンテナンス部門は恩田氏が優柔不断で腰も重い人物として社内でも有名でして、彼が大した指導をしない分B君が頑張ってくれていたようでした。私は顔を合わせるたびに二人に声をかけましたが、しかし業務内容と事務室が別ということもあって、A君の指導に積極的に踏み込んでいくことはしませんでした。
二か月、三か月と経つうち、B君のコメントに変化が現れました。「少し、自分で考えろ」というような、突き放しが見られ始めたのです。ちょうどこの頃だったと思いますが、A君の顔から生気がまるでなくなりました。B君を呼んで話を聞くと、A君は何度指導しても同じミスを繰り返すとのこと。また、恩田氏はA君の育成をB君に投げっぱなしにしていて、B君としてもこれからどうしていけばいいのか判断に困っている、というような話をしてくれました。
これは放置しておいたらA君は辞めるな。
私はそう感じ、A君とも面談をして彼の悩みを聞きだしました。すると彼は、B君が怖くてわからないことがあっても訊けない、と気持ちを話してくれてました。
私はその後二人を食事に呼び出し、それぞれから話を聞かせてもらったことを告げ、A君には
「わからないことははっきりわからないと質問しなさい。一度訊いてもわからないんだったら二回でも三回でもわかるまで訊きなさい。ただし、B君も自分の時間を割いて教えてくれているのだから、教えてくれるB君への感謝を忘れてはいけないし、質問して訊きっぱなしはダメだよ。メモるなりなんなりして、少しでも早く自分のものにできるように工夫が大切だ」
と、諭しました。隣のB君にも
「答えへの道筋が見えていないのに考えさせても答えは見つからないよ。後輩を育てるためには、辛抱強く何度でも教えることも必要だ。ただ、そうすることをとやかく言う人間がいたら、恩田氏じゃなくて俺に言いなさい。今回みたいにA君への指導で困ったことがあるのなら、遠慮しないですぐに俺に言うんだよ」
私が考えたのは、A君にとってB君が、B君にとって恩田氏または私がいつでも後ろ盾、支えでいてくれるという安心感が必要なのではないか、ということです。A君の指導方法について誰も救いの手を差し伸べてくれる人がいなければB君だって不安になり、結果としてA君を「何も努力しようとしないやつ」という目で見るようになり、その苛立ちがA君に向いてしまいます。
二人それぞれから悩み事を聞きだした効果はほどなくあらわれてきました。
A君はまた表情が明るくなり、ちゃんと質問できているか? と尋ねると「はい、教えてもらっています」と答えてくれました。B君にしても、いつでも何でも聞くと言われたことで気持ちに余裕ができたらしく、根気強くA君に対して指導をしてくれていました。
そうして配属から二年経った今回、A君は異例の抜擢ともいえる人事で転勤していきました。それなりに彼の成長が認められたのでしょう。
これが、私の答えです。
反省としてあるのは、A君とB君が悩みこむ前にもっと早く手当てしてあげるべきだった、ということでしょうか。そしてそのシグナルは、日頃からしっかり見守っていてあげないと見落としがちなのです。手当てが早ければ立ち直りも早く、その分だけさらに育成が充実する可能性が高まるのですね。
強いていえば、新人の育成ということでは会社・職場・上司が負うべき役割のほうがいくらか重たいような気がします。私の頃のように、新人の資質に帰結させようとしても、それは会社・職場・上司として無責任であるように思います。経験からいうと、新人の評価(主に悪いほう)は職場の雰囲気がつくりあげてしまうことも多々あり、先輩社員たちが「あいつは成長しない」といったレッテルを張ってしまい、それを上司が聞き人事へ伝えてしまうということもある。成長という言葉は漠然としていて人事評価には不向きな表現です。公正かつ客観的であるためには、某社員は●●はできる、△△はまだできない、といった具体的な効果測定が必要であるように今は考えています。
とはいえ、上のケースではA君が素直で向上心ある若者だったからよいのですが、これが完全受け身タイプ、あるいは反抗期タイプだったらどうなっていたかわかりません。
そう考えると、どんな人材でも育成していける、とまでの自信はまだまだ私にはないようです。