働くことの意味
私は会社勤め、一般にサラリーマンと呼ばれる人種(?)です。
入社してから十七年が経ちました。
長いんだか短いんだかよくわかりませんけれども、現在高校二年生をエンジョイされている方の人生期間まるまるに相当すると考えると、まあ短くはないのかなという気がしますね。勤続ン十年とかの年配の人から「何を、ヒヨっ子が」とか言われてしまいそうですけれども。
もちろん、ここに至るまで順風満帆だったわけではありません。それはもう、何度辞めてやろうと思ったかわかったものではない。いちばん最近では、昨年(平成二十八年)の秋に本気で思いましたね。異常事態に見舞われて気持ちがすっかり参ってしまい、自分も部下の社員もふつうに「死にたい」とか口走ってましたから。さすがにこれはまずいぞと思った関係部署の人たちが連日救援に駆け付けてくれたため、何とか持ち直すことができた次第です。
まあ、私の会社そのものはお世辞にも褒められた組織ではありません。はっきりいって、ダメ会社にカテゴリしてもいいような気がします。何がダメなのか、という踏み込んだ話はいったんさておきます。
じゃあ、そんな会社辞めちまえよ、と仰る方がいるかもしれない。それはそれで一理なくもないんですが、そういうことでもないんですね、これが。そのあたり、この稿のどこかでおいおいふれる機会があろうかと思いますので、今は詳しく述べないでおきます。
ひとつだけ語っておきたいのは、苦しいことはたくさんあったけれども、辞めずにこつこつ働き続けてきたことで今の自分がある、ということです。
自分で言うのもなんですが、私はこれといって他人より秀でた特技も才能もありません。入社当時は同期が数十人いましたが、ほぼ底辺落ちこぼれでした。無芸無才はまだしも、変にプライドだけが高くて性格に傾斜があり、非常に扱いにくいやつでもあったのです。そういうできそこない人間にもかかわらず、五年前から管理者の端くれとなり、二年前にはとうとう一営業所の「長」を拝命することができました。その人事がたまたまではないという保証はありませんが、こけの一念で仕事を続けてきたがゆえの、一つの結果のかたちであると受け止めています。
そして何より、労働の対価である「給料」というものがあります。
私は貧乏な家庭に育ってきましたから、欲しいものが満足に手に入ったという経験はほとんどありません。学生時代の最後のほうでバイトを紹介してもらい、そのバイト代でプレステを買ったときは感慨深いものがありましたね。ただし、その頃はプレステが発売されてから三年以上経ってましたが(笑)。
ともかく、就職してコンスタントに月給(決して高給とよべる金額ではありませんが)が入るようになりましたが、それはすなわち自分が望むものを手に入れられる境遇になったことを意味しています。贅沢はできませんけれども、車を買ったり旅行をしたり読みたい本を買ったり、人間としてふつうに生活していくレベルにおいて我慢をしなくてもいい、という言い方はできると思います。今もこうしてなろうに文章を投稿できるのも、パソコンを購入しかつネット料金を支払っているからですが、それも働いて給料をもらっているがゆえに可能なんですね。お金に多少なりと余裕がなければできることではない。
とても貧しかった私がそんな暮らしをできる身分になったのは、ひとえに「働く」という行為があったればこそです。働くことによって、生き方を変えることもあるいは可能だったりするわけですね。
人は働くために生きているのではない。
生きていくために働く。
この価値観は人それぞれで大きく異なってくるかと思いますが、少なくとも私はこのように感じている次第です。ですから、忙しいときは多少自分の時間を削ってでも働きますが、休めるときは大いに休ませてもらう。働くための人生だという勘違いをしていると、必ずどこかで「あれっ?」となりますね。当たり前のようですけれども、働くことだけに意識が集中していると、そういう錯覚に陥りやすいような気がします。
長く勤めていると、仕事や働くことについてのいろんな何事かを思ったり考えたり悟ったりするわけでして、せっかくなのでそのことをしたためてみようと思い立った次第です。
はじめにおことわりしておきますが、この稿はあくまでも文章リハビリを兼ねて書いてまいります。
テーマを「仕事、働く」としておりますけれども、かといって社会や会社、職場などの批判や不満を述べるつもりはありません。これまでの自分の会社生活を振り返ってみて、良かったことや反省を思い出しながら読み手にわかりやすいように書き綴りつつ、文章の感覚を養うのが目的です。
欲をいえば、この稿に目を留めてくださった方に対して「ああ、なるほど」「それはいい」と、何らかの参考になればそれ以上のことはありません。とはいえ、そこに至らずとも、私の失敗談を読んで「あはは、馬鹿だなぁ」と笑っていただければそれでもう十分であります。
どれだけの更新になるかわかりませんが、最後までお付き合いいただけますれば幸いです。
なお、執筆から数か月遠ざかっていたこともあって、文章のあちこちにとてつもないぎこちなさを感じております。したがいまして、投稿後であっても予告なしに修正を加えてまいりますので、あらかじめご容赦を願いたいと思います。




