8.異世界での日常 PartⅡ~皇女の恋~
”ジリリリリリリンっ”とけたたましいベルのような音が鳴った。
ジャンネ・クローウェルは、魔方陣に幾つも並ぶ”ヨリシロ”を見た。
”ジリリリリリリンっ”
「なんとっ! お城か」
”スザク”の羽は、”シキガミ”を媒介とした通念魔法の”ヨリシロ”だった。
その対となる”ヨリシロ”は、それぞれのお得意様に配られてあって、それを使いお得意様からの受注を受ける仕組みだ。
”ジリリリリリリンっ”
「はい。こちらMQ<モンスター・キュウビン>のユニコ・メッセンジャー……」
『遅いぞ! 早く出んか!』ジャンネの言葉を遮り相手が叫んだ。
「ああ、やっぱり貴様かじじい」
じじい、そう呼ばれるのは皇女の従者である、頭の固い老人だ。
『じじいとはなんだ平民の分際で! わしらが本気になれば貴様らなんぞ……』
「気に食わなんだら、他に頼め。では、通信終わり……」
『ま、ま、待ってくれ! 頼む、超特急便なんだ』
「……承知しましたー。通常より早くライダーが荷受に伺うこともあるかと思われますが、荷物の準備はお済みでしょーかー?」
ジャンネはねちっこさを敢えて残した営業用定型文を口にした。
「焼き菓子? なんだそりゃ」
コウタは城下南門の軍詰め所で油を売っているところだった。
二年ほどの雇われ伝令兵として勤務したコウタには、今でも詰め所や駐屯地にいる兵士の中に顔馴染みが多くいた。
MQ<モンスター・キュウビン>の仕事の待機中にはこうして詰め所に顔を出し、カードゲームに興ずることも多々あった。
『従者の一人が見つけたそうじゃ。お忍びでピクニックに出かけた皇女様の忘れ物じゃ』
「なんだそりゃ! 馬鹿馬鹿しい」
『従兄弟達と行くピクニックは皇女様が以前から大変楽しみにしていたそうじゃ。そして、その日の為に献上された焼き菓子も……。いくら、皇女様自身の不注意とはいえ、その責任を取らされるのは間違いなく従者のうちの誰かだ。奴ら相当慌てておったわい』
コウタは詰め所の中に戻ると、ゲームを中断していた兵士達に声をかける。
「わりー。俺、行かなきゃならなくなった!」
「おーい。勝ち逃げかよ」「なんだよこんだけ荒らしといて」「もう一勝負できるだろ」
兵士達から次々と不満の声が上がった。
「ホントにわりー。だけど皇女様依頼なんだ」
『どれくらいで荷受できる?』
「ラッキーだぜ。今、南門だ。一瞬だよ」そう言うと、相棒の赤毛のユニコーン”じゅんぺい”に飛び乗った。
『わかっているな! 超特急便じゃぞ。万が一遅れれば従者の誰かか断頭台に登る。まあ、ワラワはどうでもいいがの……』
「恩はできるだけ売っておくと得なんだぜ。特に今回は命の恩ときた。あのジジイの首は残っても、尻の毛までは残らねーほど毟りとってやれるぜ」
一蹴りに城下の門を駆け上がり疾走するユニコーン。
その角が日の光を受け銀色に輝いた。
それを見た兵士達は口々に声を上げる。「道をあけろー! MQだー!」「道をあけろー! ひき殺されるぞー!」
城へ続く一本道、兵士達の声により、まるでモーゼの『十戒』のように人波が割れる。
兵士達の協力と理解によって<ユニコ・メッセンジャー・ワークス>は非常に仕事がしやすい。
「危ない!」誰かが叫んだ。
道の真ん中には乳母車を押す若い母親の姿があった。
右か? 左か? いや、やっぱり上だな。
我が子をかばうように身を硬くし、目をつぶる母親。彼女に降り注いでいた太陽の光が一瞬遮られる。
乳母車の幼子の「キャッ、キャッ」という声を聞き、彼女が目を開けると、そこには僅かに砂埃が舞っているだけだった。
お堀にかかる橋にさしかかると城の門が閉じられているのが見えた。門番の二人が何事かとこちらを見る。
「皇女様依頼だ! 急いでくれ!」
その声を聞いた門番二人は死ぬ気で門を開こうとする。
しかし、大砲を用いたとしても簡単には壊れない頑丈な扉。その重さも尋常ではない。
「ちっ! 間に合わない……か? いや、いけるんだな。じゅんぺい」
ユニコーンは止まらなかった。僅かに開いたその隙間をすり抜けた。
本館前に着くと、従者のジジイと、メイドが駆け寄ってくる。
「待っておったぞ! これが荷物じゃ」
「届け先はどこだ?」
「東三番門から離宮跡地の丘に向かっている」
「皇女様が出てからどれくらい経った?」
「半刻ほど……」
「じゃあ、先回りした方が早いな。支払は後だ、農場に届けさせろ」
「間に合うんじゃろうな?」
「間に合わなかったことは、ない」
その言葉と共に、赤毛のユニコーンも誇らしげに角を持ち上げて見せた。
皇女、メアリー・ヴァン・キャロラインは、普段よりずっと質素なドレスを着て、馬車に揺られていた。
「あいかわらず賑やかな街ね」そう言ったのは従兄弟のリサだ。
「また人が増えた気がするな」そう言ったのはリサの婚約者、ルイスだ。
「そう。人が集まって、人が人の為に仕事をする。そして得たお金を使うことで、誰かがお金を得る。そうして”ケイザイ”というものが回るの」
メアリーは馬車の窓から街の様子を伺い、微笑みながらそんな話をした。
「さすがは齢二十歳にして皇女様なだけはあるわねー。そんな難しいこと考えてるんだー」リサが言った。
「まあ……、これは”ある人”からの受け売りなんですけどね」メアリーはちょっと嬉しそうにそう言った。
その様子を見て、ルイスは勘付いた。
「ああ! もしかして、その”ある人”っていうのが皇女様の思い人なわけ?」
「うふふふふふ……」
メアリーのいう”受け売り”を聞いてわかるのは、相当に教養のある人物なのだろう。と、ルイスはそう考えた。
「えー! 本当にそうなの! ねー、どんな人なの? 今日こそ教えてよー」リサが身を乗り出す。
「そうねえ……、今日会えるといいんだけど」
「え? もしかして、今日はその人も呼んでるの?」ルイスも興味深深と言った様子で身を乗り出す。
「呼んでると言えば、呼んでいるのだけど……、お誘いしたわけではないから……」
リサとルイスが顔を見合わせた。
従兄弟であるリサも、幼馴染であるルイスも、メアリーのことはよくわかっている。彼女はしばしば哲学者のような言い回しを使う。ただ、今回の場合は単なる照れ隠しかもしれないのだが……。
「それにしても、帝国の皇女様の御眼鏡に叶うなんて、どんないい男なのかしら?」リサが言った。
「下手すりゃ暗殺されるね。その座を狙う男たちなんて、僕は二ダース半ほど知ってるからね」
はしゃぐ二人を見て、ああ、やっぱりこの二人はお似合いだなぁ、とメアリーは感じた。
幼馴染であった二人の関係に、特別な変化があったのは一昨年……。いや、もしかしたら誰も知らぬところで二人は長い時間をかけて幼い愛情を密かに育み続けていたのかもしれない。そう思うと、メアリーの心に淡い嫉妬が少しだけ滲んだ。しかし”あの人”の顔を思い浮かべるとその染みはあっけなく乾いていった。
城下から離れるにつれ、街は閑散としてゆく。
徐々に人もまばらになり、やがては極小さな町がポツリポツリと点在するだけになる。この辺りは先の大戦で落延びた魔族の末裔も多く住む。
皇女一行を乗せた質素な馬車を取り囲む護衛兵達は、思わずマントの下に隠し持つ短剣の柄を握っていた。
東の平原にある”離宮跡の丘”には季節の花々が咲き乱れていた。
息苦しいほどの甘い香を放つ色とりどりの絨毯、そこにそびえるのは似つかわしくない焼け落ちた離宮跡。
元は荒涼とした薄気味悪いこの場所に、花を植えることを思いついたのは皇女メアリーだった。
皇女自らが、種を蒔き、土を掘り、球根を植えた。その手が土で汚れ、赤切れをおこし、不慣れな農耕具を握ったせいで肉刺ができ、見兼ねた従者達が止めようとも、手伝おうとも、メアリーはそれを拒んだ。
「一国を治める者が、畑さえ耕せないなんて、不甲斐ないでしょう」彼女はそう言ったという。
以来、この場所は、その事実を知る者達にとっての、皇女への忠誠を心確かにできる、神聖な場所となった。
メアリーがこの場所を訪れ、静かに丘を見やる彼女の背中を見る者達も、「皇女様自身も、その心の中にある何かを確認するためにここに来ているのだな」と感じていた。
「どう!」馬を止める従者の声が、馬車の外から聞こえた。どうやら着いたようだ。
「わお! 今年も咲いてるねー」まず馬車から降り立ったのはリサ。
「おー! こりゃすげー」続いてルイスが出てくる。
皇女も馬車から出ると、何か期待をこめるように、少し不安げに、ゆっくりと丘の方を振り返った。
花畑にそびえる廃墟、そこに寄りかかるようにして、一人の男が立っていた。傍らには赤毛のユニコーン。
男が近付いてくる、
「誰?」リサがルイスに耳打ちした。
従者や、護衛兵が動かないところをみると彼らもその男を知っているのだろう。
恐れ多くも、男は皇女の手を取ると、その手の平にポンと包みを乗せた。
「忘れ物だよ。皇女様」
「あ……、あ、ありがとう……ございます」
「ジイサンがヒヤヒヤしてたぞ。老い先短いんだから、もう少し労ってやれよ」
「は……はい……、あの……、以後、気をつけます」
「んじゃあな。まいどありー!」
男はそう言うと、ユニコーンに跨り、平原を滑る風のように駆け出した。
「……つまりは、アレだ。あれが例の……アレだ」ルイスがリサに囁く。
「みたい……ね……」
メアリーを見ると、顔をほんのりと上気させ、呆けたようにウットリと、男とユニコーンが去った方角を見ていた。