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7.エドは如何にして”英知”と巡り会うか

 エドに休日はない。

 七日のうち四日は、<ユニコ・メッセンジャー・ワークス>で働き、

 七日のうち二日は、家業である木こりの両親を手伝い。

 残された一日は、

 それが今日。そう今日は、家庭教師が来る日だった。


 東の平原には一本の巨木が立っている。樹齢は千年とも、千五百年ともいわれている。

 先の大戦で一度は焼かれたと聞く大樹。しかし、その生命力は絶えず、今もその根から水を吸い上げ、青々とした葉を揺らす。

 樹皮には、焼け爛れた痕が未だ痛々しく残るが、その有り様はむしろ貫禄すら感じる、いかにも堂々としたものだった。

 その一番低い枝に、小屋を構えることが出来たのは、エドの役得といえよう。


 樹皮に耳を押し当てると、サラサラ……サラサラ……と生命力を感じさせる音がする。その音を聞くのがエドは好きだった。

 「よし。じゃあ行こうか。ポラプア」

 相棒の競技用かたつむり、”ポラプア”にそう声をかける。

 手綱を右手首にぐるりと巻きつけ、鞍が乗せられた甲羅をしっかりと両腿で挟み込んだ。

 ポラプアはいとも簡単にほぼ垂直の木の表面を登ってゆく。

 そう、エドが小屋作りに必要な材料をこの木の上に運ぶことができたのは、ポラプアがいたからだ。

 「よし、とうちゃーく!」 

 エドは大きな腰高窓から小屋に飛び込んだ。ポラプアはズルズルとどこかへ行ってしまった。しかし、彼は自分の主人が帰る時を知っている。西の空が赤く染まりだすまで。それまでがポラプアの自由時間だった。

 簡素な作りの小さな小さな”ウッド・ハウス”。エドが一人で作ったものだ。森と共に暮らす木こりには容易い作業であった。

 「さてと!」エドはバッグから勉強道具を取り出した。

 外では縄梯子が揺れる音がする。今日最初の家庭教師が来たようだ。

 「よう。待ったか?」そう言ってコウタが窓から入ってきた。

 「全然、僕も今きたとこ」

 そう。エドの一人目の家庭教師はコウタだった。

 「よし。それじゃあ、まずは腹ごしらえだ」コウタは真っ赤な木の実をエドに投げてよこした。

 「やったー」

 コウタはこの巨木に来る途中で、リンゴに似たこの果実を顔なじみの行商人から買っていた。

 「どうだ? 前回やった、九九。覚えてきたか?」

 「あれ七の段が難しいよね。でも、これを覚えると何かいいことがあるの?」

 「掛け算は割と世の中では役に立つぞ。少なくとも俺のいた世界ではお前くらいの歳の奴はみんなできることだ」

 「例えば、どんなことに役にたつの?」

 「そうだなー」コウタは考え、自分が手に持っているものを見た。「例えば、この果物、一つで銅貨二枚だった」

 「えー! 高すぎない?」

 「いや、例えばだ。実際はもっと安い……、例えば、これが銅貨二枚。俺の分とエドの分、二つ買ったらいくらでしょう?」

 「二つ……」エドは考える……。あ! 「わかった! それが二二が四だ!」

 「そのとおり! じゃあ、俺とエド、そしてクレアとアレックス、ジャンネの分まで買ったとしたら?」

 「二五じゅう!! すげー、なんだこれ! 魔法みたいだ!」

 はしゃぐエドを見て、もしかしたら教員というのも悪くなかったかな。と、コウタは思った。

 

 コウタが帰ると辺りはシンっと静まり返った。

 うたた寝でもしようか? 

 耳をすませば、静寂だと思っていた空気の中に、色々な音が混じっていることに気がつく。

 遠くで小さな鳥がさえずり、葉が風に踊る微かな気配。モサモサとずっと上の方から聞こえるのは、ポラプアが葉を咀嚼する音だろう。

 どれくらい時間がたっただろう。

 突然。ブワ! っと風が起きた。

 小屋が揺れる。きっとスヴェンが枝に着いたのだろう。

 二人目の家庭教師があらわれる。

 「すまんな。待ったか」アレックスがそう聞いた。

 「ああ……、ちょっと寝てた……、かも」

 「寄るところができちまってな。少々回り道をしていた。というのも、ジャンネから預かったものがある」

 そう言ってアレックスが取り出したのは、”スザク”の羽を使った”ヨリシロ”だった。

 「おい、着いたぞ」アレックスは”ヨリシロ”に声を掛ける。

 『ビビーガー! あー、あー、ちぇっく、わん、つー。聞こえますか? どうぞ』

 ジャンネの声だった。

 「感度良好、聞こえてるよ。どうしたの? ジャンネ? どうぞ」

 『すまんが今日は手が離せない用事ができた。なので、今日の授業はこの”ヨリシロ”を使って行うことにする』

 エドとアレックスは驚いた。まさかそんな手があったとは。

 『コウタのアイディアじゃ。なんでも、”つうしんきょういく”とかいうらしいぞ』

 「さすがコウタ」

 『まずは、アレックスや。先にそちらがはじめてくれ。一旦通信終わりじゃ』

 「あいよ。じゃあ、はじめるとするか」

 アレックスはエドにとって語学の先生だった。

 帝国軍翼竜部隊として各国を飛び回ったアレックスは語学に長けていた。そして、何よりも帝国軍人の一家に生まれ、幼い頃より帝国直営の学舎で高い水準の教育を受けたアレックスは、教師としても一流だった。

 しかし、アレックスは元来子供が苦手だった。最初こそぎこちない雰囲気が漂ってはいたものの、同僚として、一緒に働いてゆくうちに信頼関係を築いていくことができた。今では軽口まで叩き合える仲でもある。


 アレックスを乗せた翼竜のスヴェンが飛び立ったのを見送ったエドは、ウッド・ハウスに戻ると”ヨリシロ”に声をかけた。

 『うむ。こちらも一段落したとこじゃ、ちょうどよい』

 「ジャンネってば、一体今日はどこで何してんのさ?」

 『今日は外回りじゃよ。定期的にお得意様に配ってある”ヨリシロ”を新しい物に取り替えなくちゃならんのだ』

 「え! 四十九件全部ジャンネ一人で回るの?!」

 『五十二件じゃ。また増えおったわ……。コウタめ、一体いつの間に客を獲ってくるのやら。さすがに今日一日で回るのは諦めたわい』

 エドは普段の自分を恥じた。自分が皆に比べ地味な仕事に回される度に、ジャンネに当り散らしていたのだ。

 「おつかれさまです」エドは心からそう言った。

 『うむ。では、はじめるとするかのー。今日は読み聞かせじゃ、適当に聞いておれ』

 エドは一応姿勢を正した。

 『先の大戦における魔術の衰退と、軍事国家の勃興についてじゃ。知ってのとおり、先の大戦において魔族を中心とした東方の隣国は……』

 ……、

 ……。

 エドは夢を見ていた。


 吹雪に揺れる小屋、その建付けの悪い扉を乱暴にあけて入ってきたのは、父のダニーだった。

 「だめだ……、ボブんところも小屋を開けちまってる」そう言って雪が張り付くフードをはらった。

 「えっ、なんでだよ! とうちゃん」エドが真っ青な顔で聞いた。

 「今年の冬は早いってんで、皆さっさと越冬地に移っちまったのさ」

 「じゃあ……」エドは母のドードーを見やる。大きな腹を抱え、額には脂汗を滲ませ、顔を歪めている。

 冬が早い。

 エドの一家も代々続く木こりとして、その勘を持っていたはずだった。

 しかし、今まで踏みとどまったのには理由があった。そう、春を待たずして生まれてくる幼子、エドの弟か妹のためであった。

 子供が生まれれば何かと入用も増える。なので、なるべく街から近いこの場所に留まり、例年より多く行商に出ることにしたのだ。

 それに、気づけばその頃にはドードー腹は思いのほか大きくなっていた。その腹を抱えての転居は負担が大きいと、父のダニーは考えた。

 そして、随分と気の早い猛烈な寒波が直撃したその夜、運悪く母ドードーは産気づいたのだ。

 「しかたねー。街までいくしかねーな」

 「だったら僕が行くよ!」

 この夜、エドの二人の兄は泊りがけで街に行商に出ていた。なので、吹雪で孤立した森の小屋には母と、父と、そしてエドの三人だけだった。

 「無理だ。子供にゃあ、とても」

 この時、エドはまだ九歳だった。大人の足でも街までは一刻ほど、それを吹雪の中、それも子供の足では命にかかわる危険な行為だ。

 「でも、僕がいたってもしもの時何もできないよ! 父ちゃんならなんとかできるかもしれないだろ?」

 「いや、なんとかって、馬や羊とは違うんだぞ……」

 「それでも僕が行くよ! 大丈夫だよ。道は覚えてるから。兄ちゃん達のところへ行って、それで産婆さんを連れてくればいいんだろ」

 父ダニーは考えた。

 最悪、自分の子二人を死なせてしまうかもしれない。もっと悪ければ、もしかすると妻も……、

 元はといえば自分の判断が甘かったせいだ。冬が早いとわかっていながら、ここに留まった。大事をとって、もっと早く越冬地に向かっていれば……。ダニーは後悔を奥歯で噛み締めた。

 「父ちゃん!」

 ハッとするほど、エドの強い眼に射抜かれた。

 「……わかった。お前に託すぞ。ただし、やばいと思ったらすぐに引き返せ。くれぐれもな、無理はするな」

 エドは支度を整えると、吹雪の中に駆け出した。

 腰まである雪を掻き分けながら森を進む。住み慣れた森なので、枝の形や木の雰囲気を見れば正しい道はわかる。

 平原に出た、

 風は強くなる。

 進むべき方角がわからなくなる。

 突き刺すような雪に細く開いた眼をこらす、灰色の雲に微かに浮かぶお城の陰影が見て取れる。これなら……、

 エドは進んだ。

 つま先の感覚がなくなり、手のひらはもう動かない。

 それでも進んだ、

 (もっと、速く! もっと、速く!)ただそれだけを心に念じ続けた。

 そして、エドは街にたどり着いた。

 しかし、幼子は助からなかった。

 エドの兄達が産婆を連れて小屋に駆けつけた時には、もう手の施しようがなかったそうだ。

 まだ凍傷が癒えぬエドと、父のダニーとで、巨木の下に小さな小さな亡骸を葬った時、ダニーがポツリと言った。

 「この木はな、”英知の木”というらしい」

 「”英知の木”?」

 「俺もよくわからんが、英知っつうのはヒトを救う偉大なる知恵のことらしい。だからこの子の魂も救って下さるだろ」

 「……うん」よくわからなかったが、エドはそう頷いた。

 「願わくば、罪無き幼い命が救われる世を願って」

 父が祈った言葉は小さかった、しかしそれはエドの小さな胸にしっかりと根を張った。


 エド……、エド……。

 「エドったら……」

 見上げるとクレアがいた。

 「あ……、ぼく」

 『なんじゃー! やっぱり寝ておったか!』

 目の前の”ヨリシロ”が怒っている。

 「あ……、うん。ごめん。なんだか、怖い夢を見た気がする」

 『まあよい。疲れておるのじゃろ。明日また<ユニコ>でな。遅刻するなよ。では、今日はここまでじゃ。通信終わり』

 三人目の家庭教師の授業が終わった。

 クレアが教えてくれるのは、麻を使った手芸や、木の皮を使った籠などの細工物だった。クレアは元々手先が器用で、農業の傍ら趣味でこれらを作り続けていたという。

 今日は、麻で作る縄の編み方を教わっていた。

 「そうそう。その時右手をもっと強く引っ張っておくの。そうすると自然と解けにくくなるから」

 「すげー。これならうちでも作れるなー。行商で売るものが増えるから、父ちゃんもきっと喜ぶぞー」

 「あら。それならお得意様を紹介してもいいわよ。安くていいものを欲しがる人は街にたくさんいるからね」

 「本当か! やったー」

 そんなエドの様子を見て、クレアは目を細めた。

 「ねえ。なんでエドはそんなに熱心なの?」

 「え? うーん……、へへっ」エドは少し恥ずかしそうに答える。「僕さ、もっと勉強がしたいんだ」

 「勉強?」

 「うん。帝国の学舎にいきたい。そして、医者になりたいんだ」

 「へー、そんな目標がエドにあったんだー」

 「って、誰にも言うなよ!」

 「えー、なんでよー」

 「だってよー。ぜってーバカにするぜあいつらー!」

 エドには硬い決意があった。

 それは、医者になること。

 しかし、ただの医者ではない。どこであれ、誰であれ、最速で駆けつけることができる医者に。


 エドは<ユニコ・メッセンジャー・ワークス>から貰える給料のうち、そのほとんどを実家である森の小屋に届けてはいるが、僅かにある自分が好きに使えるお金を、家庭教師である四人に払っていた。

 コウタを含め、四人から得られる教養はこの世界の水準をずっと上回っている。だが、その幸運にエドが気づくのはもう少し先の話である。

 

 巨木が掲げる小さな学び屋に朱色が射す。

 「ポラプア!」

 どこからともなく巨大かたつむりがあらわれる。「いよ! っと」エドはその甲羅に飛び乗り木を滑り降りてゆく。

 「便利ね……」縄梯子を降りるしかないクレアはその様子を見て呟いた。

 「じゃあ、今日もありがとなー! また明日ー!」

 エドは、馬に跨るクレアに向かって大きく手を振った。

 そして、エドは振り返り巨木を見上げた。

 いつものように、そっと樹皮に耳をつける。

 サラサラ……サラサラ……

 強い生命力を感じさせる音を聞く。

 思い出すのは、日々大きくなっていく母の腹に耳をあてた時の、新しい生命の胎動に似た心地よさ。

 ふと、焼け爛れた樹皮の一箇所から、新芽と思われる小さな枝を見つけた。

 「これは食べちゃダメだからな、ポラプア」

 かたつむりは相変わらず何を考えているか、よくわからないが、

 目を合わせると、「しょーがねーなー」とでもいうように、足元の新緑を咀嚼しはじめた。

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