29.forget-me-not blue ep.4
ジャンネは荒涼とした東の平原にいた。
大きな二つの月が空に浮かんでいる。
大きな木の枝で、必死に地面に何かを描いている。
それは、魔方陣だった。しかし、それはジャンネが普段使っているものより、何倍も、いや何十倍も大きい。
足元に散らばる何者かの骸を邪険に蹴散らしながら、ジャンネはそれを完成させる。
そして、魔力を込めた”スザク”の羽。その”ヨリシロ”を魔法陣の中央に置く。
ジャンネは手をかざす、最も得意とする”シキガミ”を媒体とする通念魔法。
毎日の業務の中で使っているものと同じだが、今回は大きく違うことがある。
それは、魔力の量。この巨大な魔法陣を発動させるだけの魔力が自分に備わっているのか、ジャンネにもわからなかった。
しかし、やるしかなかった。
”虚無”はどこにあるのか? ”虚無”に飲み込まれたモノはどこへゆくのか?
ジャンネは深呼吸を一つ、目を見開き小さな身体に宿る全ての魔力を振り絞る。
魔法陣が光る。中央にある”ヨリシロ”が宙に浮かび上がる。
その通念が向かう先は、何度も試してみた通り、非常に曖昧だ。
しかし、今回は違う。
魔力の受け皿となる魔法陣は巨大だ。そこに注入される魔力も……。
ジャンネは通念の先に自分の魔力を無理矢理に一点集中させる。
つまりは力技だ。
「やはり……、持たんか……、くっ!」
ジャンネは自分の魔力の限界を感じた、しかし、「まだじゃ! ここで終われるかっ!」
限界を超えた。その時、
「無茶をしおって……」その者は後ろからジャンネの両肩に優しく手を置いた。
誰だろう? 近付いてくる者に気がつかなかった。ジャンネは振り返る。
「見ておれんわ、我が魔力も貸してやる。それ、もう一分張りだ。友を助けたいのだろう?」偉大なるエルフがそう言った。
「そなた……! ……かたじけない!」
肩越しに注入される凄まじい魔力。
ジャンネは自分の身体が粉々になってしまいそうな気がした。
神に等しい魔力。ジャンネはその強大な力を通念に乗せる。
魔法陣が真昼の太陽のような輝きを放つ。
そして、光の柱が、天高くそびえ立った。
天に届いた光は、四方に弾けた。
「これは?! なんじゃこれは!!」
「気づいたか?」
「”虚無”とは……、この星そのものの力なのか?」
「そう。……我々の住むこの星は魔力に満ちている。そして、その魔力のおかげで、この星は大いなる意志を有している。それは、一介の魔術師がかなう力ではない。もちろん我にも……、恐らくは、神であっても……」
「そなた……、すべて知っておったのか? いや、……しかし、”虚無”とは始皇帝ヴァン・キャロラインが生み出した魔術のはず! それはワラワ達が調べ上げた……」
「つまりだ……、魔王という余所者を排除しようという利害を一致させたのだ。……この星の、大いなる意志とな。あの男はそれができる男だった……」
「だったら! ”虚無”とは、やはりすべてを無に返すモノなのか?!」
「それは違う。ジャンネ・クローウェル、そなたも今見たであろう? その眼より確かな魔力の目でな。”虚無”に飲み込まれたモノは、すべてこの星の一部となる。……つまり、この星はな、自ら均衡をとろうとしているのだ。魔の力に人々が依存し、ヒトビトが好き勝手にこの星の魔力圏を消費していくものだから、ある時、その”おつり”を返して貰いに来るんだろうな。それが”虚無”の正体だ」
「そんな……、では……、やはりそれでは、人々が背負うべき”業”ではないか?!」
「その通り。誰もが望んだことだろう? 魔王のいない平和な世界を……、魔力という便利な力を」
「では、我々が”虚無”に抗うこと自体が、間違いなのではないか?」
「いいや。生命には、己の生存のために戦う本能がある。戦う権利がある。……正しいか、間違っているか? というのは複雑な思考を為せる生命のみが持つ、おこがましい概念だろう。生きとし生ける者はな、ただ自分達の命のために戦えばよいのだ。自分達の幸せを求めて、戦うしかないのだ。……たとえ、その為にどんな罪や業を背負おうと、間違っているなんて考えるな。正しいことは一つしかないし、正しいことなどなにもない」
「……ワラワには、難しすぎてよくわからんぞ……」
「それでよいのだ。答えを知るということは……、”間違い”を知ることと等しい。正しいことなどないように、間違いなどなにもない」
ジャンネは暗い夜空を見上げた。
滲む星星の光に、途方もない悲しみを見た気がした。
命とは、なんなのだろうか? ふと、そんな疑問が沸いた。
しかし、その答えを教えてくれる者などいないのだろう。
ただ、この宇宙を作り上げた、天地創造の神に文句を言いたいと、ジャンネは思った。
”なぜ、世界を作った? なぜ生命を作った? なぜ感情を作った? なぜ感情を生命に与えた? それがなければこんなにも苦しまずに済むのに……。”
ジャンネは神を呪った。
すると偉大なるエルフは、ジャンネの肩に乗せた手から、”癒しの魔力”を注入しはじめた。
ジャンネは驚いて振り返る。
「一つ、教えてやる。あの娘、……悪魔かも知れぬぞ」偉大なるエルフはそう囁いた。
「悪魔? 何を言う?」ジャンネは戸惑いながら尋ねる。
「この帝都に”虚無”が起ころうとしている。気づいただろ?」
そう、ジャンネも気がついてはいた。この星を覆う、魔力層が、この帝都を中心にして局地的に収束しつつあるのを。
「ということは?!」
「そう。 あの娘を迎えに来たのだ……。そして、……前を見ろ、目を凝らせ。そして、友を助けたくば、走れ!」
何を言われたのだろうと思いながらも、ジャンネは言われた通り前を見て、そして目を凝らした。
遠くに、漬物石を抱えながら辛そうに歩く、友の姿を見つけた。
そして、ジャンネは駆け出した。