2.木原孝太は如何にして異世界に飛ばされたか
木原孝太は江戸川橋の高架下にいた。
あたりはすっかり暗くなっていたが、本日の売上が芳しくないため、帰る気になれず規定の時間を過ぎても、もう少し粘ろうと考えていた。
エンジンはかけたまま、路肩にとめたバイクからやけにハッキリした湯気が立ち上っている。こう寒くては、一旦エンジンを切ってしまうとこのオンボロのエンジンがストライキを起してしまうかもしれない。
今にも雪が降り出しそうな、強烈な冷気を抱いた雲が、東京の街明りに重く圧し掛かっている。
孝太は、缶コーヒーを両手で握り締めるようにして口に付け、ふーっと白い息を吐いた。
「これはこれで辛い仕事だ……」思わずひとりごとを呟く。
卒業以来続けてきた営業の仕事を退職したのが一昨年、理由は、いわゆる”心の病気”だった。本人にそこまでの自覚はなかったのだが、少なくとも医者が出してくれた診断書にはそう書かれていた。
病気を理由に生活保護でも貰ってフラフラとして過ごそうかとも考えたが、その考えは約一週間で消し飛んだ。生来、孝太は常に何かしていないと落ち着かない性質だった。
そして選んだ新しい仕事はバイク便のライダーだった。
高校生の頃からバイクは好きだったし、基本一人で動き回る仕事なので馬鹿馬鹿しい人間関係に悩むことはなさそうだと思った。そして、何より都内を一日中駆け回るなんて、凄く楽しそうだ! と思ったからだった。
もう一口、コーヒーを口にする。
「ふーっ」
(缶コーヒーがこんなに美味いなんて、この仕事をするまで感じたことなかった……)
孝太はジャケットのジッパーを下げると煙草を取り出し、火をつけた。
深くニコチンを吸い込み、ヤニと甘ったるさの混じった息を吐く。
その時、スマホからジリリリリリリンっと、”黒電話のベル”音が鳴った。オーダーが入った合図だ。
画面を開いて確認する。内容は、文京区音羽の印刷会社から大手町の新聞社への”ピック”&”デリバリー”だ。
よし! この一本でもう帰ろう! そう心に決めて、缶コーヒーを飲み干し、その空き缶にまだ半分以上残っている吸殻を突っ込んだ。
気が付くと細かな雪が降り始めていた。
目白通りを南下し、”九段下”の交差点を過ぎる。
降り始めた雪のせいか、道行く車達は浮き足立っているようにも感じる。
内堀通りに出る。”竹橋”の信号は青。いける! アクセルをさらにあける!
その時、すぐ目の前にヘッドライトが突っ込んできた。
ブレーキはダメだ! 直感。
強引に車体を右にねじ伏せる。
右車線に入ってしまったことで、その先からさらに迫りくる幾多のヘッドライト。
しかたなくさらに右に進路をとる。
歩道の縁石にフロントタイヤがぶつかる。
身体が宙に浮く。
お堀の方へ飛ばされてゆく孝太を見て、誰かが微笑んでいたように見えたのは、コウタの気のせいだったのかもしれない。