17.見えざる悪魔 中編
皇女メアリーは決断を迫られていた。
隣国から譲り受けた特効薬が効かなかったことで、打つ手をなくした疫病の対策室の議場、帝都の放棄さえ検討された。
それ以上に、コウタが感染してしまったことが、彼女を苦しめた。
彼を巻き込まなければよかった。その後悔の念が目まぐるしく彼女の脳裏に渦巻く。
コンコン……。ドアがノックされた。
「どうぞ」皇女の執務室、そのドアを叩ける者は限られる。
「皇女様、話があるのじゃが、よいかな?」
魔術師の少女、ジャンネ・クローウェルだった。
「……どうぞ。お茶をいれるわね」
「かまわんでよいぞ」
その言葉を聞き流すように、メアリーはティーポットを準備し始める。
「ジャンネさん……、私はどうしたらよいのでしょう……」メアリーは悲痛な声で呟いた。
「……お主が弱気になってどうする? 仮にも一国を束ねる者じゃろうが。平民のワラワにそのような弱音を吐くものではないぞ」
「ジャンネさんは、お強いのですね」少しだけメアリーが笑う。
「そんなことはない。空元気じゃわい。正直申せば、ワラワだって心底参っておる。すべてを投げ出して、この悪夢から逃げてしまいたい。どうしたって、そんなことを考えてしまうのじゃ……」
「ジャンネさん……、お願いです。あなたはもう逃げてください。あなただけではなく、まだ感染していない人達も……、帝都から離れて下さい」
皇女は暗い顔で言った。全てを諦めたような、どこまでも感情のない顔だった。
「それで……、帝都を焼き払うと申すか? 疫病に苦しむ民もろとも?! コウタも一緒に!」
「私だってそんなことはしたくない!」メアリーは絶叫した。「でも……、今決断しなくては、大勢の人が死んでしまう。その決断が出来るのは、皇女である私だけ」
ジャンネは一口、茶に口を付けた。そして、落ち着きを取り戻そうとするように目を瞑る。
「ならば、ワラワも共に焼き払え」
「え?」皇女は目を見開く。
「その瞬間まで、ワラワは諦めんぞ」小さな魔術師の少女の目に、強い強い光が宿っている。
「やっぱり……、ジャンネさんは強いです」
「いいや。本当に強いのはコウタじゃ。あ奴は何があっても諦めない。<ユニコ>の連中は皆そうじゃ。皆、この何年かコウタと一緒に働き、その背中を見てきた。だからわかる! 異世界に飛ばされた人間が何故あそこまで強く逞しく生きることができる? あ奴はなあ、目的地しか目指しておらんのだ。だから必ず目的地に辿りつく。例え困難な道でも、立ち止まることがあろうと、ぶっ倒れることがあろうと、必ず次の一歩を踏み出す。そして、また次の一歩を目指す。あ奴はな、そういう生き方をするのじゃ。あ奴が言っておったわ。”千里の道も、一歩から”とな」
「千里の道……」
メアリーは空が一瞬にして晴れ渡った気がした。
「そう。一歩一歩、自分に出来ることをしてゆくしか、道はないのではないか?」
「ジャンネさん。私、”目的地”を見失っていたようです。私の目的地……、それは民が平和に暮らせる国を作ることです。……そうですね。まずは民を助けなければ」
「そうじゃ。誰でもつまずくことはある。大切なのは次の一歩じゃ」
二人は何か遠くの光を見た気がした。
「そうね! さて、まずは何をしますか?」
「とりあえずは、茶を飲もうぞ。そして考えよう。我らに何が出来るのかを」
コウタは、クレアの農場にある仮設の療養所にいた。
医療魔術師により、治癒魔法をかけられ、熱と悪寒は随分おさまったが、またしばらくするとぶり返してくる。
この疫病は治癒魔法では完治は難しいらしく、せいぜい痛みを和らげることと、進行を遅らせることが精一杯だ。
熱によるまどろみを何度も繰り返す。ボンヤリとした意識の中で、クレアや農場の従者、医療魔術師達が動き回るのがなんとなくわかった。
一体何人の患者が収容されたのかはわからないが、その気配から今も感染者は増え続けているのがわかる。
ふと、ひんやりとしたものが額にあてられた、その心地よさに、少々驚き、コウタは目を覚ます。
手をかざしているのは、同僚の魔術師の少女、ジャンネだった。
「どうじゃ? 付け焼刃ではあるが、ワラワも治癒魔法を学んでみたのじゃ」
「ああ、ありがとう。ジャンネのが一番効いた気がするよ」コウタは寝かされていた簡素な寝台から身を起こした。
見れば、<ユニコ・メッセンジャー・ワークス>の全員が集まっていた。
「無理しないで。寝ていていいから」クレアが言った。
「いや。大丈夫。本当に、今のでだいぶ楽になった」
それでも力ない笑顔をコウタは作った。
「コウタ……、わかってきた事があるのじゃ。もしかしたら、これは単純な疫病ではないかもしれないのじゃ」
ジャンネは独自の調査を続けていた。
その調査報告のために、コウタの元を訪れたのだった。
先の大戦後に、猛威を振るった疫病。それに関する資料が軍資料室や、クローウェル家の蔵書にあった。その古書を読み解き、<ユニコ・メッセンジャー・ワークス>の面々を実地調査に向かわせた。そして、一つ不可解なことが判明した。大戦後の疫病と、今回の疫病の違い……、
「当時の疫病で多くの病死者が出たのじゃが、実はそれよりも、もっと多くの家畜やモンスターも死んでおるのじゃ」ジャンネは説明する。
「うん……」
「元々、この疫病はネズミによって帝都に蔓延したと考えられている。しかしじゃ!」ジャンネは確信を込めて言った。「今回、この病は人間にしか感染していない。それはこやつ等が走り回り、調べをつけた」
コウタは皆の顔を見渡した。全員、まるで兵士のような目をしている。エドやリンまでも……、
「つまり……、どういうことなんだ?」
「つまりじゃ、これは疫病などではない。一種の”呪い”なのではないかとな」
「呪い……」
思いもよらぬ言葉だった。
「しかし、”呪い”だとしてもこれほど多くの人間を苦しめることができるとなると、その魔力は神に等しい」
「”疫神”……」その言葉が思わずコウタから漏れた。
「どうやら、最初に発見された患者は旅の行商人であったらしいのじゃ。そ奴は見慣れぬ果物を売りに来ていたらしいのじゃ」
「じゃあ、それが原因!」
「ほぼ間違いないじゃろ。じゃが、肝心のその積荷は荷車ごと焼き払われたようじゃ。致し方ない処置とはいえ、手がかりがなくなってしまった……」
その時、コウタの隣で寝ていた患者、日に焼けた老人がムクリと起きた。
「なんじゃ。ワシの荷車、焼かれてしもたんか?」
皆、一斉に老人を見る。
しばしの沈黙。
「まさか! じいさんが最初の患者か!」アレックスは叫ぶ。
「どんなじゃ! 積荷はどんな果物じゃった?! どこから仕入れてきたのじゃ!」ジャンネも目を血走らせながら聞いた。
彼女はその小さな手で老人に掴みかかり、ガクガクと揺らす。
「ま、ま、待て。待たんか! ワシかて病人じゃぞ……」
老人の話によると、それは隣国のギルドで手に入れた。売ってくれた男によると、密林の奥から採ってきたとのことだった。
「なんてことじゃ……!」ジャンネは天を仰いだ。
「どうしたんだ?」アレックスが聞いた。
「それは恐らく、”呪われし森”じゃぞ」
「呪われし……森……」コウタは呟いた。
「そこには齢十万とも二十万ともいわれる、一人のエルフが住んでおるのじゃ。聖戦時代、地上に降り立ったエルフの一人とも言われておる。まさに、”疫神”の逆鱗にふれたか」
「まさかそんな……、ワシのせいで……」老人は両手で顔を覆った。「ワシはあの男に勧められるまま、あれを仕入れたんだ。あんなにも美味な果物を帝都の人々にも味わって欲しかっただけなんだ……」
アレックスとジャンネは目を合わせた。
やはり。今回の事件にも、ギルドのダークエルフが絡んでいる可能性が高い。二人はそう確信した。
「それで、その果物はどんな物だったの?」クレアが聞いた。
「例えようがないな……、あんな物は初めてみた。黄色くて、長くて、……ああ、そう。三日月のような形だ。その皮を剥くと真っ白な柔らかな実で。味は酸味が一切なく、とにかく甘い」
「なんだぁ。それ、バナナじゃないか」コウタは言った。
「ばなな?」全員が言った。
「そう。ああ、そういえば、こっちの世界ではまだ見たことがなかったなー」
「三日月……」そう呟いたのはエドだった。
この騒動の中で、すっかり忘れてしまっていた。数日前に、西門の近くで拾ったそれを思い出す。
「ねえ! それ僕知ってる! この前行商に行くときに拾ったんだ!」
「なんじゃと! それは今どこにある?!」ジャンネは驚いた。
「”ジムショ”の保冷庫」
なんと、それはクレアの農場の中。つまりはここの目と鼻の先だ。
「すぐに行くぞ!」




