14.エルフと少年のワルツ 前編
町外れには小さなパブがある。
特に看板も掲げないこの店は夕刻から徐々に人が集まりだす。
仕事を終えた農夫、お役御免となり暇を持て余す退役軍人。遠方から来た行商人。そういった、少々”血の気の多い”連中が集まるのは仕方がない。ここは所詮場末の酒場なのだ。貴族や商人といった比較的裕福な人種は城下の少々”お高い”店に繰り出す。
<ユニコ・メッセンジャー・ワークス>の面々も、どちらかと言えば裕福な方なのだが、何故か”場末の安酒場”の方を贔屓にしていた。
アレックスは元々この店の常連であったし、コウタとしては城下の飲み屋街よりは、この雑多な雰囲気の方がコウタの”元いた世界”のそれと似通っていて、居心地がよかった。そして、もう一つの理由が、<ユニコ・メッセンジャー・ワークス>が”ジムショ”を構える、クレアの農場から比較的近くにあったからだ。
一日の仕事を終えてから、コウタとアレックスの二人が連れ立って飲みに来ることが最も多いが、ここの店主が気まぐれで作る”ツマミ”はなかなか絶品であるため、時々、皆で食事に来ることもあった。
クレアは、そんなに飲める方ではないが、酒を飲み交わしながらする同僚達や他の常連との雑談の席は、案外好きらしく、農場の仕事が一段落していれば、必ず誘いに応じる。
エドは、まだ”おこちゃま”(コウタがよく使う表現)なので、酒はなし。代わりに店主が作る肉料理に喰らいつき、香草を浮かべた砂糖水でそれを流し込むのが定番だ。” 最初の頃は、少々意地悪な客のからかいを受けたりもした。”おこちゃま”がこのような店にいれば、当然なのだが、”慣れ”というのは偉大なもので、最近では物怖じせず、常連の強面の男達に混じってテーブルを囲みカードゲームに参加していたりする。コウタは「まあ、”シャカイベンキョウ”にはちょうどいいかも」などと暢気だった。
最も意外なのが、ジャンネだった。実は、彼女は可憐な少女の風貌に似合わず、大の酒好きだった。この店で彼女に言い寄り、”潰された”軟派男は数知れず。きっと魔術によりその肝臓を鋼鉄にでも変えてしまったのだろうと、誰もが噂していた。
「……それにしても、あのリンというエルフ、なかなか働き者じゃのー。はあ……、惜しい! あの魔力の強さなら”ディスパッチャー”もできるじゃろうに」
「まあ、ジャンネが鍛えてくれるなら、徐々にそちらの仕事を任せるのもいいかもね」
「いやー、しばらくはガキのおもりは、ガキに任せとこうぜ。なんたってあの二人……、何かある気がするぜ」
「アレックスや、お主いつからそんな下世話好きになったのじゃ? 元帝国軍人が聞いて呆れるのー」
この夜は、<ユニコ・メッセンジャー・ワークス>の”酒飲み”三人がこの場所を訪れていた。
コウタと、”ロブスター”ことアレックス、そして”鋼肝の魔女”ジャンネだ。
「やっぱり、”何か”あるかなー?」
「コウタ殿まで! これだから男は……」
ふふ……、とコウタは薄く笑い、火酒の水割りを傾けながら、(どちらの世界も、酒の席の話題っていうのは……)などと考えた。
「でも、あいつら、よく飽きずにあんなにも喧嘩できるよなー」
「最初はひやひやしたよ」
「あいつらめ、常に張り合っておる。じゃが、おかげでエドのこなす件数が倍増したのでよしとするがの」
「この前なんて、東の平原の果てまであの二人で競争したらしいぜ!」
「はー……。あの日か……、どうりで二人とも中々帰ってこなかったわけじゃ」
「”喧嘩するほど仲がいい”って、俺の世界じゃ言うんだぜ」
エドとリンは、仲が悪かった。
しかし、それは表面的なもので、的確に言うならば、二人はライバルといえる。
エドにとってリンは、ある日突然増えた<ユニコ・メッセンジャー・ワークス>の同僚であり、初めてできた後輩であった。歳も同じくらい(に見えるだけで、エルフであるリンの方が実はずっと上)、それだけに、リンにだけは負けるわけには行かなかった。
対するリンは、齢100を数えるエルフ族の娘だ。エルフは人間の何倍もの寿命を持つ種族である故、リンの見た目も、ちょうどエドと年の頃は同じくらいに見える。しかし、リンにとってエドはずっと年下の存在。そんな人間の子供ごときに、”先輩面”されるのは気に食わないらしい。
「男と女、ってのはなー。わからんのだよ……、だがそれが面白い!」そういってアレックスはエールを一気に煽った。
普段よりずっと饒舌になったアレックスは、そんな冗談ばかりを言う。そんな彼の愉快な姿は、以前の彼を知る者にとっては信じられないものだろう。
「ほほう、ロブスターにも色恋があるか?」ジャンネが遠慮の無い言葉を吐く。
「ったりめーだ! 軍人崩れだろうが、ロブスターだろうが、ガキだろうが、恋はいつの間にかその手を引く、魔物なのさ」
「手を引く? お主の”右手”をか?」
「もっちろん!」そう言って、アレックスは義手をカチカチと得意げに鳴らした。
「アレックスが恋ねー」コウタも冷やかしてみようかと思った。
「そうだぞ! ……ジャンネ、実はな……、俺はお前をちゃんと愛しているぞー。クレアのこともな、エドだって。もちろんお前もなー。コウタぁ!」
そう言ってアレックスはコウタに抱きつこうとする仕草を見せた。
「やめんか! 気色悪い!」ジャンネが止める。
「おやじー! エールおかわりー!」アレックスは注文を叫ぶ。
「わらわもじゃ! 店主。葡萄酒追加ー! 瓶でじゃぞ!」
「しかし、またよく飲むねー」コウタは自分の次の注文を考えながら言った。
「なんたって明日は休みだからなー」アレックスが言う。
「おうおう、”光の祭日”じゃ!」ジャンネも同調した。
「店主。俺の注文まだー!」コウタもそう言い振り返った、
そのコウタのすぐ後ろに、すでに店主が立っていた。
「はいよ。エールと、葡萄酒の瓶と、茹でたタコの酢漬け」店主はそれら注文の品を乱暴にテーブルに並べる。
「おう、早いな……」アレックスが呟く。
「あんたらがいつ、何を頼むかなんてな、もうわかりきってるんだよ」不機嫌なのか、嬉しそうなのかわからない様子で店主は言った。
「にしても、また変なモン頼みやがって。おかげでうちの店は変わったメニューが増える一方だ」
「これもまたうまいんだぜ。俺の世界じゃ普通だよ」
コウタはそれを一つ口に運ぶ。
「それ、俺も貰っていいか?」案の定アレックスが興味を示した。
「わらわもよいか?!」
「どうぞー」大振に切られたタコの身を咀嚼しながらコウタは答えた。
「なるほど。美味いな!」
「うほー! 美味いではないか! またわらわの好物が増えたわい」
「すまぬが。私にもよいかな?」そう言ったのは隣のテーブルに座る見知らぬ男。
口ひげを湛え、長い髪を後ろに束ねている。一見吟遊詩人のようにも見えるが、仕立ての良いジャケットとマントを身に着けている。
彼のテーブルには他に五人の男が座っている。皆一様に同じような身なりをしている。
「どうぞ。そちらさんの全員分は嫌だけどな。あんたが味見して気に入ったら店主に頼みな」
コウタは皿を差し出す。
男はその一つを指で摘み、口に運ぶ。
「ほう。面白い! 色々な国を回ってきたが、こんな料理は初めて口にした」
「ちなみに、こいつは俺が運んだタコだ。新鮮だぜ」
「うむ。店主、こちらにも同じものを。二皿ほどよいかな?」
「はいよ」店主はさっとカウンターの方に向かう。
「あんたら見かけない成りをしてるな。当てずっぽうだが、”最北の民”だろ?」アレックスが言った。
「ほう。なぜわかった」男の目は僅かだが驚きの色を帯びた。
「俺は元軍人だ。帝国の翼竜部隊。あそこにはよく飛んだよ。その布の仕立て、それは ”最北の民”が得意とする製法だ。本当に器用なもんだ」
「うむ、いかにも。四季のない故郷で暮らす我が先祖達は、そのほとんどを家屋の中で暮らした。故に、手仕事の器用さでは我ら”最北の民”に適う者はいない。……だが、若いの、そなたが着ているそれも見事な仕立てだな」
アレックスが着ているのはコウタから譲り受けた、否、”勝ち取った”ライダースジャケットだ。アレックスはえらく気に入っているらしく、四六時中着ている。
「……これは、作られた”世界”が違うんでね」アレックスが何故か自慢げに答える。
コウタは少し笑ってしまった。
「じゃが、それだけではあるまい?」
男が意味ありげに言った。
「そう。あんたらの足元に置かれている荷物。それ楽器だろ?」
彼らの足元、テーブルの下には黒い布に巻かれた、大小様々な荷物があった。
「やはりな。帝国翼竜部隊。我らの演奏で歓迎したことがあったな」
「あん時はどうも」
「なんじゃ? 知り合いか?」ジャンネが聞いた。
「会ったのは一度だけか? あの頃のあんたは楽隊の下っ端に見えたけど。なんだか随分偉そうになったな」
「……ふっ、それが時間というものだろ」
何か不思議な時間が流れた。単に昔を懐かしんでいるのとは違う、もっと多くの感情を含んだ濃密な沈黙。
その沈黙を破ったのは、店主だった。
「はいよ。タコの酢漬け! 聞かせて貰ったがよ、なんだ、あんたら楽隊か? ってことは、明日の光の祭典で演奏するんだろ? なあ、なんならさ。今ここで演奏できたりしねーか?」
「お! いいねー」コウタは言った。
「おう! よいぞよいぞ!」ジャンネは手を叩き囃し立てる。
「……ふっ。美味い料理を教えてもらった。その礼くらいならよかろう」
楽隊の他のメンバーも意気揚々と楽器の包みを解き、チューニングをはじめる。
「いよ!」ジャンネは合いの手を入れる。
アレックスは空の葡萄酒の瓶を、ブロンズ製の義手でカンカンと叩き、開幕の合図を鳴らす。
他の客達も何が始まるのか察したようで、好き勝手騒ぎはじめた。
「ちょうどよい肩慣らしができるな。さあ! 踊れる者は踊ってくれ。だが本番は明日だ、できることなら、ここにいる者は全員明日の祭典にも来てくれよ!」
掛け声や号令もなしに、唐突にはじまるアンサンブル。
軽やかなワルツにも関わらず、客達は踊ることを忘れ、ただ息を飲んだ。