1.異世界での日常
初夏の、青臭さをふんだんに含んだ風を受け、”外堀通り”を駆け下りる。
おそらく、<時速>でいえば出ているスピードは九十キロを超えているだろう。もっとも、この<相棒>にはメーターが付いていないので、正確なところはわからないが……。
向かうはこの先、<三キロ>ほどを走った町外れにある、豪農の屋形。
来年度の輸出用の青豆の相場を決定付けるであろう、隣国の取れ高状況をしたためた紙。それが今月最初の”プレミアム・ラッシュ(超特急便)”だ。
小屋に併設された納屋に着くと、本日の仕事を終えたであろうクレアが、その相棒、白馬の”トリニティ”のために干草を替えているところだった。
「おつかれー」
コウタは同僚であるその女に声をかけた。
「ああ、コウタ! お疲れ! 今日は”プレミアム・ラッシュ”が出たんだって?」
「出た出た! いつもの豪農の屋形だよ」
「それで?」
「それで……って、俺がオーバーするわけがないだろ!」
プレミアム・ラッシュは、通常より倍以上速い便をいう。そのかわり通常の便より割高ではあるが……。しかし、この便にはもうひとつの<売り>がある。それは、指定時間を過ぎたら料金は頂かない。ということだ。
「さすが!」クレアがパチンと指を鳴らし言った。
「先にジムショに行ってるぞ」
「私もすぐ行くから」
コウタは納屋から出て、小屋へ向かった。
戸口には<ユニコ・メッセンジャー・ワークス>と”こちら”の文字で書かれている。そして近くで青々とした草を食べる二メートルほどあろうかという”巨大かたつむり”をコウタは一瞥し、エドも帰ってきてるのか。と確認した。
戸を開くと、二人の若者が言い合いをしている真っ最中だった。
「ジャンネ! 今日のはひどくない?!」抗議の声をあげるのはエド。「なんで僕だけ辺鄙な場所ばかりへの便なのさ!」
「それぞれの特性を活かしてのことじゃ。特に湿地帯を越えるには貴様のかたつむりが適任じゃろう」そう言い返すのは魔術師の少女、ジャンネだ。
「だけど、僕のポラプアは街中だって速く走れるんだぜ!」
ポラプアとは、エドの相棒、競技用の俊足カタツムリの名前だ。
「しかし、今日貴様は誰より売り上げが高い。あのコウタよりもだ。お前が担当したのは距離のある便だからな」
「でも、そんなの僕がやりたかった仕事じゃない……」
今年で十二歳になるエドは、街から少し離れた森の中で暮らす、木こりの三男坊だ。昨年の冬、の薪を売りに来ていたちょうどその時、街中を駆け抜けるコウタと、その相棒を目撃したことにより、この仕事に志願してきた。
”なんてカッコイイんだろう”それが初めてコウタを見た時の感想だった。貴族でもなく、武士でもなく、ましてや町民でも旅人でも、商人とも言えない。そして必要とあらばそのすべての階級の人たちの助けとなる職業。モンスター・キュウビン……。
その噂は、世俗から離れて暮らす木こりの一家であるエドでさえ耳にしていた。
貧しい一家を支えるために働くのではなく。この仕事の”かっこよさ”に憧れている。それは十二歳の少年にとって、仕方のないことかも知れない。コウタはそう思い、少し苦笑いをする。
「よう。おつかれ!」コウタは声をかけた。
「あっ! コウタ。おつかれ!」
「おつかれじゃったな」
「なんだ、またやりあってるのか?」
「だって。ジャンネってば、僕に湿地帯越えだの、山越えだの。そんな地味な仕事ばかり振るんだぜ」
「今日はアレックスが休みだからなー。そうなるとどうしても長距離はお前とポラプアが活躍することになるだろ」
アレックスとは、”翼竜使い”の退役軍人だ。軍人としてこれから、という時期に自ら志願したとある戦場で右手を失い。剣を握れなくなったが故に退役した、運のない若者だ。
「だけど……」
エドはまだ何か言い足りなそうだ。
「明日はアレックスが朝一で山越えの仕事が入ってる。王女さまへの氷運びだよ。だからお前は早朝から城下で待機してろ。そしたら街中の仕事が来やすい」
「え! いいの?」
「もちろん。ただし、あんまりジャンネを困らせるなよ。お前が仕事を選り好みして、それで本当に困るのはジャンネでも、俺でもない。お金を払ってくれるお客だということは忘れんな」
「もちろんだよ! ありがとうコウタ!」
「よし! で、どうする? 今日は夕飯食っていくのか?」コウタは、エドのクリクリとした癖毛の頭をクシャっと撫でながら言った。
「あ……、いやゴメン。今日は行商に行ってる母ちゃんを家まで送ることになってんだ。だから……、あ! そろそろ行かないと! じゃあこれで! おつかれさーっしたー!」
そう言ってエドは小屋を飛び出していった。
「あまり甘やかすのもどうかと思うんじゃがな……」ため息混じりにジャンネが言った。
「ふっ……。あいつはそれでもしっかりやってるよ。なんだかんだ文句言っても、仕事はきっちりこなすし、遅刻もしない。それに見たとおり家族思いのいい奴だ。俺があんくらいの歳の頃は、ただ遊ぶことしか考えてなかったぞ」
「そりゃあ、おぬしのおった世界ではそうじゃろうが、この世界では違う」
「そうか……、”この世界”か……」なんとなくコウタはそう呟いた。
ジャンネは、自分が失言をしてしまったかもしれないと、少し後悔した。
「……やはり、帰りたいか? 元の世界に……」
「……いや! あんまり」
そう言う時のコウタはいつも同じ顔をする。少し困ったような、はにかんだような、少々憂いを含んだ、朗らかな笑顔。
その顔を見る度、ジャンネは胸の辺りが少しだけキュウっとするのを感じる。
「あのなコウタ。ワラワは思うのじゃ、お主がこの世界に……」
「わーってるよ! 俺がこの世界に転生したのには、『何者かの大いなる意図がある』っていう、またいつもの話だろ?」
「”転生”ではない”異転”じゃ……」
コウタは、この目の前にいる魔術師の少女、ジャンネと出会って三年、月に一度はこの似たような会話を繰り返してきた。
だが、コウタは自分がどうしても”転生”したとしか思えないのだ。
何故なら、向こうの世界でのコウタの最後の記憶は、”自分が死ぬ”記憶だからだ。
魔術師であるジャンネは異世界、天界、魔界についても詳しい。
彼女によると、地上に降り立った”最初の神”。そして、次に降り立ったのが”二番目の神”。はじめのうちは、仲良くこの手付かずの楽園を謳歌していた二人の間に険悪な雰囲気が漂いはじめるのに、さほど時間はかからなかったという。そして、その後、幾度も繰り返された、最初の神の軍勢対、二番目の神の軍勢による聖戦。
悪魔や魔族といった種はこの頃に誕生したとも言われている
見兼ねたのは、”調停者”と呼ばれる神だ。
”調停者”は知っていた。偉大なる父であり、この宇宙を作った万物創造の神、”創造主”。彼が気まぐれに作っていた”平行宇宙”のことを。
そして、神々は世界をいくつかに分けた。
コウタはおそらく、そのうちの一つ”神なき世界”からの来訪者なのだ。
しかし、この世界の隔たりを超えることは、一万年を魔術の修練に費やし、移送魔法を極めたエルフ族の魔術師でも叶わないという。”調停者”によって交わされた神々の盟約は、魔法を超える、大いなる力なのである。
それを超えてきた者がいるとすれば、それはきっと、”神の意思”なのだ。
「まあ、いい……」コウタが呟いた。
「腹が減ったのぅ。今日は疲れた」ジャンネは
良くない雰囲気を断ち切ろうと、唐突にそんなことを言った。
「そうだなー。早速作ろう。今日はナポリタンだ」
「おおう! アレか、あの干し肉の入った赤い麺料理か? ワラワの大好物じゃないかー!」
「そうだ。そして、今日は……、なんと、豪農のじいさんから葡萄酒をもらったぞ!」
「おおおう! たまらんのう。よだれが止まらん」
「悪いがクレアを呼んできてくれないか? 三人がかりでちゃっちゃと用意しちまおう」
「承知じゃ!」
そう言ってジャンネは納屋に脱兎のごとく駆け出した。
(妙な言葉遣いと、プライドの高さを除けば、歳相応の女の子か……)
コウタは、そんなことを考えながらキッチンに向かった。