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1話 ハローワールド


 眠る和樹を断続的に襲う微かな震動。

 それは揺りかごのような優しさではなく、小刻みにせわしなくベッドを震わせて和樹を覚醒へと追い立てる。


 和樹は重いまぶたを開き、思考の定まらない頭で状況を把握しようと試みる。


(地震……?)


 窓枠がカタカタと音を立てている。

 和樹はベッドの上で半身を起こし、サイドボードの上にある時計を見た。午前七時四十分。どうやら無意識に目覚ましを止めてしまっていたらしい。

 和樹の意識がクリアになるにつれ、揺れの訪れる間隔は次第に開き、やがて窓は鳴りを潜めた……和樹に胸騒ぎだけを残して。


 和樹の口からこぼれため息は、目の前で白く染まったかと思うと、すぐに霧散する。

 今日は立春のはずだが、朝の気温は春と呼ぶにはほど遠く、吐息を凍らせるほど冷たかった。



 和樹の耳に、トントンとリズミカルに階段をかけ上がる音が聞こえた。

 彼にとって唯一の同居人である、妹の琴羽ことはの足音だ。


 程なく部屋の扉がノックされ、和樹の反応を待つことなく声がかかる。


「遅いよ、おにいちゃん。もうパンも焼けてるのに」

「おはよう琴羽。さっきの地震どれくらい続いていた?」

「んん、ほとんどわからなかったよ。それよりあたし、もうすぐ出ちゃうから」


 そんな些細なことはどうでも良い話題だとばかりに琴羽は、

「せっかく作ったんだから、朝ごはん、あったかいうちに食べてよね」

 と告げて、そのまま階段を引き返して行く。


 和樹は立ち上がり伸びをした。

 何気ない妹とのやりとりは和樹の不安を和らげてくれる。

 琴羽と二人きりの生活にも、最近になってようやく慣れることが出来たようだ。




 二人の父母が亡くなって半年が経つ。


 両親の事故死は、互いに関心の薄かった兄妹の関係性を一変させた。


 歳が離れている上に共通の話題もさほどなく、夢見がちな琴羽のことを、どちらかと言えば和樹はうとましく感じていた。琴羽の方でも、そんな和樹の気持ちを敏感に感じ取り、顔を合わせてもそっけなく一言二言を交わす程度の関係だったのだ。

 もちろん和樹としても妹を嫌っているわけではなかった。でも、なんとなく近寄りがたい……思春期の中学生の扱いの難しさを敬遠していたと言うべきかもしれない。


 両親の葬儀の後、田舎に暮らす祖父母の誘いを丁寧に断り二人だけで生きていく決心をした時、和樹は琴羽を愛おしく思う自分の気持ちに気づいた。自分が琴羽にとって唯一の家族であり、保護者であることを自覚したのだ。


 幸いなことに和樹の就職先は決まっている。大学の授業料も支払い済みで留年の心配もない。事故の賠償金も受け取る目処がたっていた。あとは彼自身の給料と、この家さえあれば、琴羽が自立するまでは平穏無事に暮らしていけるだろう。

 琴羽を守らなくちゃいけない、導かなくてはいけない。それが育ててくれた両親への恩返しでもあり、妹にしてやれるただひとつの行いだから。和樹はそう、誓ったのだ。

 

 心境の変化は琴羽にも訪れていた。彼女もまた兄に甘え、寄り添うことを覚えた。

 今では和樹に、学校で起きたこと、友達のこと、なんでも隠さず(おそらく!)話してくれるし、休日は一緒に出かけることもある。

 つまるところ、最近の二人の関係はとても上手くいっていたのだ。

 今日のところまでは。


 和樹は手早く着替えを済ませ、一階に下りる。ダイニングキッチンから漂うバターブレッドの甘い香りが鼻をくすぐる。和樹がダイニングの扉をあけると、琴羽は既に制服に着替えをすませ、椅子の上でマフラーを巻いている最中だった。

 琴羽は和樹の方へと振り返り、口を開く。


「晩御飯は一緒に食べる?」

「そうだな。今日はどこへも出かける予定がないから俺が作っておくよ」

「やった! じゃあ、あたしコンソメ味の何かが食べたいなぁ」

「冷蔵庫何が残ってたっけ。シチューでもいいか?」

「まかせるよー。よしっ」

 琴羽が鞄を手に立ち上がり、玄関に向かう。

「じゃ、じゃ。行ってきますっ!」


 部屋を出て行く妹を見送った後、和樹は冷めかけのブレッドを口に詰め、夕飯の献立を計画するべく冷蔵庫に手をかけた。


 その時。


 重金を打ち鳴らすような音が遥か頭上で鳴り響いた。例えるなら、塔頂に据えられた巨大な鐘の音。

 それは一定のリズムで、深く重く和樹の鼓膜を震わせる。

 得体の知れない状況に和樹は硬直する。

 続けざまに、まばゆい光が窓から差し込み室内を満たすと同時に、身体を貫く縦揺れの震動が和樹を襲った。

 強い衝撃に、和樹は思わずその場に膝をつく。


 何が起きようとしているのか、その音が何を告げようとしているのか。わからない、何一つわからない。

 ただ一つ和樹に理解できたのは、なにか尋常ではない異変が起こっているということだけ。

 

「琴羽、その場を動くな!」

 和樹は目の前の冷蔵庫に掴まり、なんとかバランスを立て直して、琴羽のいる玄関へと走った。

 

 和樹が妹と言葉を交わしてからまだ二十秒と経ってはいない。そんな僅かな時間に未来は決してしまった。これを運命と呼ぶことは出来ないだろう。何故なら、それは未来へと繋がる道筋に突然割り込んだ異物だから。起こり得るはずのない未来が和樹の目の前にあった。


「……琴、羽?」


 返事はない。

 それでも和樹は問いかける。


「なあ、おい」


 返事はない。


「何だよ、これ……」


 その千切れた太ももはなんだ?

 腹部に開いた大きな穴はなんだ?

 口元から溢れるその血はなんだ?

 ……ソイツは一体、誰なんだ?


 琴羽からの返事はない。

 当然だ。あるはずもない。


 玄関の扉は開いており、見たこともない空間へと繋がっていた。今は二月だというのに扉の彼方から暖かな風がびゅうびゅうと流れ込んでくる。これまでに嗅いだことのない空気の匂い。

 そんな異界を背景にして、一人の……一匹の奇怪な生物が、こちらに相対していた。

 ミミズクのような頭部に猿の身体を持ち、古代ギリシャの貫頭衣のような衣装の背から鳥の羽根を生やした、二本足で立つ獣。

 禍々しさと神々しさを強引に掛けあわせたキメラ。


 化物は脈動する赤い組織を手にしていた。琴羽の心臓だ。それがまるで果実か何かであるかのように、猿の節くれた手がつるつると皮を剥ぎ、器用に心房を割いていく。

 やがて残された小さな塊をすり潰すと、内側から白い気体が噴き出した。化物は手にした四角いガラス状の物質と煙を結合させ、まばゆい結晶を創りだし、それをうやうやしく懐にしまう。


 化物は一連の動作を終えると、首をぐるりと一回転させてから、和樹を見据えた。


(殺されたのか、こんな馬鹿みたいなツラをした奴に)


 殺されたのだ。認めなくてはいけない。目の前の化物に、妹は殺されたのだ。

 和樹は殴りかかろうとした、が動けない。ミミズクの双眸がパチパチとまばたきをすると、何故か手足が石のように硬直してしまう。

 この世の力ではない、何か。

 ミミズクのくちばしが、ホロウと声をあげた。

 それだけで和樹の両手足が炭化し、跡形なく粉砕した。

 支えを失いあっけなく背中から崩れ落ち抵抗の出来ない和樹の胸元に、化物の巨大な顔が迫る。

「が、アッ……ッ!」

 激痛が走る。

 硬いくちばしが肉をついばみ、和樹の心臓を掘り出そうとしていた。


(殺されるのか、俺は)


 殺されるのだ。もはや助かる見込みも抗う術もないだろう。

 それを理解した時、和樹は自身に迫る死よりも、隣で無残に転がる妹の亡骸に心が傷んだ。彼女はまだ十五歳だった。守るべき命を守れなかった。このまま終わって良いはずがないではないか。


「殺してやる!」

 和樹の叫びに、化物は血まみれの頭を持ち上げキョトンと首を傾げた。

「取り憑いてでも、生まれ変わってでも、いつかお前を追い詰め地獄に突き落としてやる! 琴羽を手にかけたことを後悔させてやるぞ! よくも琴羽をッ!」


「生まレ詰めぢごてやるソ琴羽琴羽?」


 化物は和樹の言葉をオウム返しに真似ながら、和樹の肋骨をへし折り、むき出しになった彼の心臓を素手で引きちぎる。

 ひと仕事を終えた化物は目を細めてホウと鳴いた。



 それが和樹の見た今生で最後の光景だった。




   ***




『???u?[?g???????????』


 ……。


『?}???`?????p?b?N?C???X?g?[??』


 …………。


『拡張言語パック インストール...OK』


 ………………。


『メインメモリ上に【即唱魔法】をプリセットしますか? はい(y)/いいえ(n)』


 ………………。

 ………………。

 ………………。


『オートロードします...OK』

『光感度を調整しています...OK』

『神経ユニットを接合しています...OK』

『起動完了。設定を保存しました』


『Hello, world! ツインピークス』

『5時になりました』

 ………………。

 ………………。

 ………………。




   ***

話は急ピッチで展開させるつもりですが、更新ペースはしばらくまったり進行になると思います。地味に注目しておいてくださると、すごく嬉しいです。

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