旅立つ2人
少しひんやりとした朝の空気を感じながら、僕は寝床から起き上がった。昨日はそのあとちょっとだけシキミと二人で星空を見てからまた自分の部屋へと引き上げたのだ。夜更かしをしたはずなのに、いつもより目覚めがよく、心もちすっきりとしている気がして僕はなんだか嬉しい。
まだ二人は寝ているだろうと思い、旅に出るためにルースが新調してくれた服一式を身に着けてから静かに階下へとおりていく。旅用の服は着心地がよく気に入った。すこし冷え込む朝だが、マントのおかげで肩が覆われて全く寒くない。
普段うちの朝は、コップ一杯の水から始まる。家の裏側にある井戸から冷たい水を汲み上げ、毎朝家の裏から見える山々の景色を見ながらそれを飲み干すのだ。そうすると今まで寝ぼけていた頭もすっきりとして「今日も一日頑張ろう」という気になるのだ。毎日していたことだからいつの間にか習慣になっていて、自然に足が外へとむかう。
何よりも僕は朝方に家の庭から見えるまわりの風景を何も考えずに見つめるのが好きだった。
今日もいつもと同じように水を飲むために庭へと向かおうと台所を横切る。
「あれ、ライル? 思ったより君って早起きだったのかい? ……うん、服の大きさはちょうどだね、馬子にも衣装だ」
「褒められてる気がしないよ……そういうルースこそ。おばさんからはお前はなかなかの寝坊助だって聞いていたよ」
やはり多少僕は寝ぼけていたらしい、よく考えると寝床から抜け出した時にはすでに朝餉の匂いが漂っていた。まあ、母さんがいた時を考えるとそれ自体は何らおかしくないことなのだ。と考えると少し胸が痛くなる。
「お前は将来いいお嫁さんになるな」
「えっ、なんだいそれ? ほめてくれてるのかい?」
まあ、一応、と返すと、
「褒められて悪い気はしないね。お代をくれるなら毎朝作って上げてもいいよ?」
と気味の悪い笑みを浮かべるので、さっさと朝ごはんを作れと言って家からすべりだした。でもあれも彼なりに僕を元気づけようとしてくれているのだろう。
僕が家から出る前に、チラリと振り向くと「全く、人使いが荒いんだから」と言いながらも台所へ立つところをみると、やはり彼は将来いいお嫁さんになりそうだと思った。
水を飲んだころには、陽もようやく地平線からのっそりと姿をあらわしていた。ふとあたりを見回すと、何軒か料理を作っているであろう煙が見えた。
落ち着いてきて祭りも少しずつやり直し始めたとはいえ、いくつかの家は修理をしている様子が見えたし、なんだか自分の町がつかれているように見えた。
ホエが現れたことによってなくなってしまったものは思ったよりも大きかったのだ、と今更ながら感じて。同時に僕の目の前でいなくなってしまった母さんのことを思い出して、足がすくみそうになる。
それでも昨日シキミとも約束した。シキミも母さんを助けてくれる手伝いをしてくれると約束してくれた。今までの自分を考えるとどうしても気おくれしてしまうが、精一杯頑張ろうと、自分に言い聞かせて今日から始まるシキミとの旅のことを考えた。
だいぶゆっくりしてから家の中に戻ると、いつの間にか食卓にはおいしそうなルースの手料理が並び始めていた。
「なかなかゆっくりしていたね、目は覚めたかい?」
「うん、お前の趣味の悪いおふざけのおかげでね」
「やだなあ、僕なりのジョークだよ!」
と、けらけら笑いながらサラダの用意に取り掛かる。
ルースに皮肉を言う気も失せて、のっそりとソファに座ってくつろいでいると、上の階から何やら騒がしい物音とともにシキミがリビングへと現れた。
「ああ! なんで起こしてくれなかったのよ! ちょっと! ライル!」
朝っぱらからなんて元気の良い…………。
「おやおや、お寝坊シキミちゃんのお出ましだ!」
「シキミは思ったよりも朝は弱いのか」
二人してシキミをからかうと急いでいたのか上気していた頬はさらに赤くなってゆく。
「別に朝が弱いわけじゃないの! 昨日は少し夜更かししちゃったからで……!」
それを聞くとルースはにやにやとしはじめた。
「なんだいなんだい? 昨日の夜はライルも遅くに起きだして外に行っていた物音したし、僕をほったらかしにして二人で仲良く散歩でもしていたのかい?」
「ちがう! そんなのじゃないから!」
「うん、無理やり旅についていく約束を取り付けられてだけだよ、おかげで決心がついたけど」
「へえ、シキミちゃんやるなあ」
「もういいわよ……」
しばらくこんなやり取りを続けて、収拾がつかなくなりそうになったが、ルースがようやく朝ごはんができたと言い、三人そろって食卓に着くことになったのだった。
おいしいご飯を食べながら、ここでご飯を食べるのも当分なくなるんだなあ、としみじみ思っていると、いつもの朝ごはんがとても特別なもののように感じた。
「昨日から思ってたけど、ルースって何でもできるわよね、普段も自分で全部やっていたりするの?」
シキミが彼お手製のサンドイッチを食べながら興味津々といったていでルースに尋ねる。
「うわあ、女の子にそんなこと言ってもらえるなんて嬉しいなあ。僕自身はそうは思わないんだけどね、確かに家に兄弟が多いから家事とかは自分ですることの方が多いかな、こういっちゃなんだけど、料理はほかの同い年の子に負ける気がしないよ!」
少し鼻を高くしながらルースが言うと「そうか……」とシキミがよくわからないうめき声をあげながら顔を渋くするのだった。
「そういったら、ライルもそれなりに料理だけはうまくなかったっけ?」
「だけ、とは失礼な、家事だって少しはできるよ」
むっとしながらルースに反論すると、とうとうシキミは食卓に突っ伏してしまった。小声でぶつぶつと「年頃の女子として、同年代の男子より家事できないって……」と呟いているのは聞こえないふりをした。 僕にもそれなりの気遣い位できる。
ああ、そんなことより、とルースが席を立って部屋の隅に置いてある鞄を取り、僕の方へといそいそと持ってくるのだった。
「ほら! ライル、昨日言っていただろう? 君の分の荷物だよ、ちゃんと必要最小限のものだけ入れておいたよ」
意外とすっきりとしている鞄の中を見ると、なるほど、確かにいるものだけ入れたようだった。
「これ、腰につけるのね」
シキミも興味深そうに覗き込む。
なるほど、確かに上手い具合に腰のあたりに収まった。
「今は玉響祭の年だし、へんぴなところへ行くのでなければ大抵の大荷物はそろうと思ったからそこらへんは入れていないよ」
旅立ちの時期としては最高のタイミングだったらしい。ふんふんと説明を聞きながらチェックしているとシキミがまたうなる。
「むむむ……とてもきれい、本当に何でもできるのね、ルースあなた将来いいお嫁さんになると思うわ……」
「君までそんなことを言うのかい! なんなんだい君たち、二人まとめて僕の旦那さんになるかい?」
ルース自身はまんざらでもない様子だった。
そんなことをしていると、シキミが「あっ!」と声を上げた。
「のんびりしている場合じゃないわ! もうそろそろ出ないとウルペシア行きの船に間に合わないわ!」
そこからはゆっくりする暇もなく三人ともばたばたと個々のやることに追われ、十数分後にはもう家の前に立っていたのだった。
「最後意味ないことをして時間つぶしちゃったわね……しばらくここには来れないからゆっくりさせてあげたかったのだけれど」
「大丈夫だよ、どうせまた帰ってくるだろう? それまでは鬼の居ぬ間に洗濯、とか何とかでのんびりとしておくよ、ここでね」
「ルース? この家は僕の家だし、お前のものでもないぞ」
あきれつつルースに言うと笑いながら言い返す。
「君が家にいない間の君の家のめんどうは、僕が見るって言っているんだよ、本当に冗談の通じないやつだなあ! まあちょっと好きにさせてもらうけどね」
僕が戻ってきたときに家が変になっていたら全部お前のせいだからな、と忠告だけしておく。ほとんど意味をなさない忠告かもしれないけど。
ああ言ったが、それなりにルースのことは信じているので、彼に任せておこう。
それじゃあ、と三人とも顔を見合わせて頷く。
「じゃあ、いってきます」
「ああ、いってらっしゃい。気をつけるんだよ」
至って何でもないような普通の挨拶を交わして、僕とシキミはとうとう旅立つのだった。