ライルの決意
ふと目を開けると、あたりは何も描かれていないキャンバスのように真っ白な景色がずっと続いていた。 まぶしくて目を細めていたが、だんだん慣れてきて、僕はようやくその景色の中に人影があるのを見つけることができた。ぼやけてはいるが見覚えのある顔だった。
「父さん?」
見覚えのある、ですまなかった、間違いなく僕の父親だった。僕と母さんの前からいなくなってしまったあの、父さんだった。僕の声に気付いて父さんは僕の方へ視線を向けた、ひどく悲しそうな顔をしていた。体からは何か小さなものがゆらゆらとかすかに出ている。
「父さん……なんでこんなところに……」
はっと気づいて、僕は食い気味に父さんに話しかけた。
「……そうだ、母さんがっ……母さんがホエに食われたんだ、母さんだけじゃない、村にいた他の人もなんだ……」
父さんに言ったところで解決するわけじゃないのに僕は必至で訴えていた。
「父さん、昔から強かったじゃないか、ねえ、母さんを助けてよ……何か言ってよ!」
白の中にたたずんでいた父さんは一言も発さずに、ただ、ずっと僕に悲しそうな顔を向けるだけだった。話していた間も体から出ているなにかは父さんの周りを漂い、それに比例するように父さんの体はどんどんキャンバスのような景色に溶けてゆくようだった。最初から比べるとだいぶん薄くなっている。
「どこに行くって言うんだ! 逃げるのかよ! また、僕と母さんを置いていくのか!」
逃がさぬようにと伸ばした右手は体をつかまえることはなく、淡い色をした花びらを数枚つかんだだけだった。父さんから出ていたものの正体は花びらだった。
父さんは、消えてしまった。また。
手の中の花びらさえ消えてしまったかと思うと、あたりはいきなり奥に吸い込まれるように暗くなり、僕は真っ暗闇のなかへと放り出されてしまった。
しばらく上も下もない闇の中をさまよっていたが、どこからか僕のことを呼ぶ声が聞こえ、その声に僕の意識は明るみへ浮かんでいった。
「ライル!」
「……ここは」
「ああ、気が付いたんだね、よかった! 君、何回呼びかけたと思ってるんだい! 一日たっても起きないからそろそろ天からの使いが来て召されてしまうのかとひやひやしたよ!」
僕がしゃべる暇もなく、枕元にいたらしいルースは僕にごうごうとまくし立てた。とりあえず元気そうで安心した。あたりを見回すとどうやらここは僕の家らしい。僕は自分のベッドに横になっていた。
「ルース、少し静かに……」
おっと、ごめんよ! とルースはようやく一息ついた。
「ライル、君、大丈夫かい?」
ルースの僕を気遣う声で、僕は一瞬にして色々と思い出した。
「……お前は大丈夫なのか? 街は? 祭りは、ホエ、本当に……みんなはどうなった? 母さん、母さんは……!」
「ちょ、ちょっと落ち着いてくれよライル、そのことは……」
「私が説明します」
一気にルースに質問を浴びせた僕を制するように、第三者の声が僕の部屋のなかへと入ってきた。
聞き覚えの無い声だったので、思わず僕は声の主の方へと顔を向ける。そこに立っていたのは、まだ少し幼い面影が残る少女だった。
「あっ、シキミちゃん、ライルが目覚めたよ」
「ええ、良かったわ。うなされていたようだったから、心配だったの」
ルースと親しげに言葉を交わすのは、僕が意識をなくす前に僕のことを助けてくれたあの少女だった。
「き、君は?」
「あなたがライルさんですよね、改めて初めまして、私はシキミと申します」
僕の目の前で話す彼女は最後に見た時と同じように白色と朱色の衣に身を包んでいた。
あの時はほかの国の人なのだとしか考えられなかったが、今ではほかのこともそれなりに推測することができた。雰囲気や外見から判断すると、彼女はウルペシアの生まれのようだ。フルゴールの人かとも思ったが、衣服がフルゴール特有のものではないので、きっとそうだろう。だが、なんとなくこの少女はフルゴールのイメージもあるのだが……。
妙な沈黙があり、自分が名乗っていないことに気付き、慌てて自己紹介をする。
「あ、えっと、すでに知っているようですが、僕はライル。ライル・アクランドといいます……その、ホエに襲われた時は助けてくださってありがとう……ございました」
久々に女の子と話すものだからなんとなくしどろもどろな言い方になってしまったのは、仕方ないと思いたい。
「えーっと、ライルさん、年はいくつですか?」
彼女もすこし居心地が悪いらしくあちこちに視線を彷徨わせている。
「ぼ、僕は十七歳です」
それを聞くと先ほどまで少し硬めだった彼女の顔は柔らかくなり、ほっと息をついた。
「なんだ! 同い年! この国の人ったらみんな年上に見えるんだもの、びっくりしちゃう」
同い年なら敬語なんて必要ないわね。とさっきまでのおしとやかな態度はどこへ行ったのやら、一変、明るく、快活に話すようになり、年相応の少女に見える。
それにこちらとしてもやはり敬語抜きで話せるのはとても助かるものだった。
隣でルースに「君、俺がライルと仲良しげなんだから同い年だってことぐらい分かったんじゃないのかい?」と突っ込まれ、あわてている彼女に、僕は止まってしまった話を戻そうと尋ねた。
「それで、さっきの話なんだけど、ホエが現れたあの後、どうなった? ルースたちの雰囲気を見るにすぐさまここから避難しないといけない、って感じじゃないけど」
僕の顔をみて、シキミは決意したように口を開いた。
「ホエの襲撃があったのはおとといのことなんだけど、ライル、私があなたを助けた後に気を失ってしまったけれど、そこまでは覚えている?」
もちろん覚えている。
おとぎ話の中だけにいると思っていたホエが突然僕たちの村を襲ったこと、広場にいた人々の逃げ惑う声、ホエに食べられていった村の人、その中にいた僕の母さん……。
僕が静かに首を縦に動かすのを見てシキミは口をきゅっと結んだ。
深く息を吸ってから、シキミは語る。
「収穫祭は……一時中止、玉響祭だから、ホエが来たからと言ってやめるわけには行かないそうよ。村の中での被害は一部に収まったけれど被害のあった区域はかなりひどいわ、村の人たちも何人も怪我をしてる、はっきりとした死者はいない、でも、ホエに取り込まれた人たちは安否不明……ホエが食らった後は花が咲いているそうよ」
シキミが淡々と被害報告をする。花……本当に、あのおとぎ話の中のホエが出て来たのだ。
外から聞こえる音はなく、おとといまでとは打って変わってしん、と静まり返っている。耳が、痛い。
「……ごめんなさい、もっと私が早くホエのところに行けていたなら、村の人も……あなたのお母さんも助けられていたはずなの、私を恨んでくれてもかまわないわ」
シキミが深く頭を下げる。
「いや、恨むなんて道理に合わない。むしろ僕は君にお礼を言わなきゃいけないんだよ、本当に、助けてくれてありがとう」
それに、と僕が口を開くと、シキミも顔を上げてくれた。
「ルースは知っての通りだけど、僕は予知ができるはずだろう? 嫌な予感はしていたんだ、地面が揺れる前から……もし、僕がこのことを予測できたら村の被害はもっと小さくて済んだはずだった、聞いてくれるかは分からないけど対策だってたてられたはずだし……村の人だって、母さんだって、助けられたはずなんだ」
そうだ、こんな変な特技があるのなら、あんな大きなホエのことが分かって当然なのに、僕はとんでもない役立たずだ。
三人の間に重い空気が漂いしばらくして、シキミがぽそり、と呟いた。
「もし、もしもの話なんだけど、お母さんを助けられるとしたら、あなたはどうする?」
思ってもいなかった発言に「えっ」と思わず顔が上がる。シキミはまっすぐにこちらを見つめていた。
「詳しくは言えないの、けれど助けられるかもしれないのは本当のことよ、そのためには旅にでないといけないけれど……」
必ず助けられるという確証はないのだけどね、と少し口ごもりながら発言するシキミを見て僕は呆けていた。
母さんを助けることができる? もう一度母さんに会うことができる? その可能性がたとえ少しでも、助かるかもしれない。ならば。
「シキミ、僕……行くよ」
あまりにも現実離れしたことが続けざまに起きたせいだろうか。いつもはきっと自分から行動しないのに、なぜだか今なら何でもできるような気がした。
「ほ、本当に? でも、必ずというわけじゃ」
「でも、行きたいんだ、少しでも希望があるなら、それに今の僕には何も残ってないから」
僕の顔を見て、シキミは驚いたようだったが、頷いた。
「分かった、それならウルペシアを目指しましょう、そこで助ける方法が分かるから」
僕はその言葉に頷いた。
「それと、最初に言っておかなくちゃいけなかったのだけど、お母さんを助けるその方法を確実にするのならば、結構大変な旅になると思う。きっと途中で大変な目に遭うかもしれないし、嫌なこともたくさん経験するかもしれない……それでも良いかしら?」
そんなもの、母さんを助けられるならなんてことない。
遠くまで旅行をしたことはないが、旅が一筋縄で行くほど易しいものではない、ということも知っているつもりだ。この時の僕は、とにかくなにか行動していなければどうにかなってしまいそうだったのだ。
僕の意志が固いのを悟ったのだろうか、シキミはそれ以上何も言わなかった。
「おっ、それじゃあ固いお話は終わりかな! ライルがのんびり寝ているもんだからもう昼時だよ、お腹すいただろう? 少し冷めてしまったからちょっぴり温めてくるけれど昼ご飯を食べようじゃないか」
今まで何も言わずに傍らで見守っていたルースが、パン! と手を鳴らして立ち上がった。張りつめていた空気がほぐれ、少し部屋が広くなったように感じた。
肩の力抜けるのを感じて、僕はシキミに話かける。
「急に尋ねるのも失礼だと思うのだけど、シキミは、ウルペシアの生まれで合っているのかな?」
僕の推測が当たっていれば、彼女はきっとウルペシア生まれだ。
「あら! よくお分かりで、そうよ、私はウルペシアが故郷なの!」
よほどうれしかったのか、シキミは太陽がはじけるようにぱっと笑った。
「ライルすごいね、僕は全然わからなかったよ……シキミちゃんはてっきりフルゴールの人かと思っていた」
部屋から出て行ったルースが水を持って廊下からひょっこり顔を出し、話に参加してきた。
「それはやっぱりフルゴールやウルペシアの人たちが、僕たちファトゥスや、北のカプトゥスの人の区別がつかないのと一緒なんだろう」
僕がそれとなく言ってみると、正面にいたシキミはしきりに頷いていた。
「そうそう、そんな感じなのよ。まあ、でも私はフルゴールの人と間違われてもあながち間違いではないわよ」
僕たち二人が疑問の表情を浮かべたのだろう、シキミは苦笑しながら話してくれた。
「ファトゥスとはあんまり接点もないし、系統が違うからあんまり知られていないかもしれないんだけど、実はウルペシアの人たちは自分たちの国にいないとき以外はフルゴールの人のふりをしていることが多いのよ。だから私も普段はこっちのウルペシアの服じゃなくて、フルゴールの民族衣装を着ていることの方が多いわ」
「なるほど! 今のシキミちゃんの言葉を聞いて思い出したぞ……僕たちは一回以前会ったことがあるんだよ」
いきなりルースが言い出したことは僕にもすぐにぴんときた。
「ああ、本当だ」
納得して二人して頷きあっていると、横からシキミがちょっと! と不思議そうに割り込んできた。
「待って? 私全然思い出せないのだけど…… 」
「なんでだい? お互い言葉も交わしたじゃないか」
「ええっ、えーっ……」
ルースが意地悪い笑顔でシキミを見る。
「おとといの収穫祭であったはずだよ、大広場でシキミちゃんとライルがぶつかったじゃないか!」
ルースの言葉に僕も頷く。
そう、だから僕たちはシキミがフルゴールの人だと思っていたんだ。あの時のシキミはフルゴールの民族衣装を着ていた。しばらくシキミは考えるそぶりを見せていたが、急に「ああ!」と声をあげ、大きく頷いた。
「そうだったのね……あの時の人がライルとルースだったのね」
そのことで僕は、なぜ僕を助けてくれた時にはウルペシアの服を着ていたのか尋ねたかったのだが、ルースの「用意ができたから下へ行こう」という言葉でシキミが立ち上がったため、結局聞けずじまいになってしまった。
窓の外を見るとおとといの、あののしかかってくるような雲は消え、代わりに鮮やかな青空がそこに広がっていた。