収穫祭前日
服を着て下の階に降りると、すでに母さんは忙しそうに台所で料理の準備をしていた。大きな鍋のなかに、たくさんの材料が入っている。
「……あとは、ラスの実と……あら、コルモの粉も無いのね」
母さんが足りない材料を確認する。
今年出す料理はどうやらフティヒらしい。料理が得意な母さんの作るフティヒは美味しい。
あのスープはこのあたりでとれる食材をふんだんに使った、いわば郷土料理だ。他にも何軒か作っている家があるだろう。
何かすることはないかとあたりを見回すと、テーブルの上ではせっせと料理を入れるための器であったり、料理器具であったりが並べられているところだった。母さんがあまりにも僕が下りてくるのが遅かったので魔法を使ったのだろう。
「母さん、何を手伝ったらいいかな?」
チラリと僕を一瞥して、母さんは台所に置いてあったメモを僕に差し出した。それを見てみるといくつかの食材の名前が書きつけてある。結構な量だ。
「……これを買いに行くの?」
「ええ、どうしても足りなくて……手伝いあんまりやってないんだからこれくらいして頂戴ね!」
「ええ! ちゃんと手伝ってるのに……」
「そうね、家の中での家事はね。母さんとっても助かっているけれど、外にも出なさい」
収穫祭の準備はとても大変だということは分かっているし、今年はいつもとは違う大規模なお祭りだ。いつもより大きな鍋とにらめっこしている母さんを見ると逆らえるわけもなく。僕はおとなしく必要なものを持ち、憂鬱ではあったが外へと向かった。
僕の家は、自分の家の前にある小道を進んで、大きな一本道をたどっていけば、村の一番にぎわう市場へと出るなかなか便利なところにあった。
その緩やかな一本道をたどっていきながら僕はため息をついた。
この道は、小さい頃に父さんとよく言い合いしながら歩いた道だ。僕はいつだって喧嘩のつもりだったけど、父さんは笑顔だった。
なんだかんだであの父さんとの思い出がありすぎて、父さんがもう帰ってこないのだろうと分かった時からこの道を通るのは避けてきた。父さんのことが頭をよぎって癪だからだ。思い出すだけでむしゃくしゃする。
父さんのことを思い出すから。それで僕はこの道を通り、大通りに出ることを拒んできた。他人から見ると子供っぽいと言われても仕方ないが、どうしても僕は父さんを思い出すようなことを自らしようとは思わなかった。
僕と母さんを放り出して、今どこにいるのかも、生きているのかも分からない父さん。
父さんのことを思い出さないのであれば、僕の毎日は安泰だった。
だから別に外に出るのが嫌いというわけではないし、むしろ好きなくらいだ。
母さんにさんざん「引きこもり」扱いされるけれど、家の裏にあるうちの生計を支える畑で育てている作物の世話を半分以上はしているし、暇さえあれば畑の近くにある小高い丘によく登る。
そうだ、こうなったのは父さんのせいなんだ…………。
ここまで考えて、父さんのことばかり考える自分が嫌になり、考えることをやめた。そうだ、手伝いがひと段落したら友人の家に押しかけよう。
僕が家から出て押しかけたら、きっと彼はびっくりするに違いない。
大通りに出るとあたりはいよいよにぎやかになってきた。ただ、大通りと言っても小さな村なので、王都のある大通りとはだいぶ違うのだけれど。
さすが小さな村というだけあって、通りを歩いているとあちこちから声がかかる。
「おやあ、誰かと思ったらアクランドさんとこの坊ちゃんじゃないか! 元気してたか? 死んだかと思ったぞ!」
気前の良いおじさんから声をかけられると焼き立てのパンが紙袋に入れられてこちらに差し出され。
「ほら、あんたヒョロヒョロなんだからこれ持ってきなさい、今朝捕れたばかりの鹿肉よ!」
ふくよかな肉屋のおばさんからはいい加減に脂がのった美味しそうな鹿肉をうでに押し込められ。
ここ最近大通りに来ていなかったから、声なんかかからないだろうなんて思っていたのは間違いだった。
あっという間に僕の腕の中は、村の人たちから押し付けられた食材などでいっぱいになってしまった。
こんなに荷物がたくさんになる予定ではなかったので、買わないといけない食材も含めてどう持ち帰ろうと困っていると、近くに店を構えている家具屋のおじさんが「持ってきな、お前のとこの母さんにこの間頼まれたかごの修理が今終わったところだ」と、僕の腕の中の食材を丁寧にもかごの中に移動させてから僕に持たせてくれた。
周りにいた人たちにお礼を言い終えると、僕はようやく母さんに頼まれた食材を探すことができるようになった。
運が良いのか、先ほどもらった食材の中に、既に何個か母さんに頼まれていた物が入っていたので、僕が揃えるべきものは味付けに使う木の実や葉っぱくらいだった。
「ええっと、あのお店は……」
通りに並ぶお店の中から目標のお店を探し出して入り、カウンターにいた店番に声をかける。
「ごめんください。ラスの実三つと、コルモの粉一掴みください」
母さんが書いたメモを見ながら、店番に告げる。
「はーい、ちょっと待っててねぇ」
のんびりとした雰囲気の店番の女性が店の奥に引っ込んでいる間に僕は店の中を見渡した。
ここのお店は、この辺りで見ないような香辛料を扱っていたり、いろいろな植物を置いているので見るのに飽きない。以前来た時よりも種類が増えたようだった。きれいに並べられたガラス瓶の中には色とりどりの木の実が入れられ、カウンターの後ろにある天井まで届く大きな棚には同じようなガラス瓶が所狭しと並んでいる。通りに面するガラス張りの壁には乾燥させるためにハーブがつるされていた。こんなに日が照っているのにそこまで暑くないのはきっとこの店にも魔法がかかっているからだろう。
今日は天気が良いのでガラス瓶に陽の光が反射して、きらきらと店中が光っているようだった。その光景にうっとりとしていると店番がいつの間にか戻ってきていた。
「はい、ラスの実三つにコルモの粉一掴み分ね! あなたのおうち今年はフティヒでも作るのかしらぁ」
丁寧に袋に入ったそれらをしまいつつ、僕は驚いた確かに母さんは今年フティヒを作る。
「何で分かったんですか?」
僕が驚いた顔で尋ねると、店番は誇らしそうにふふん、と鼻を高くして答えてくれた。
「だってあなた、ラスの実は肉料理を作るときに使う香りづけの木の実だし、コルモの粉はスープの色付けと味を深くする香辛料だし、食べた人に幸せが来るって言い伝えのある木の実から作る粉よぉ? それを使ったこの辺りの名物料理はフティヒだけだもの!」
店番の推理を聞いて僕はそうか、と思わずうなった。
「うちの香辛料を使うんだもの、あなたのおうちで作る料理はきっとおいしく完成するわ! 祭り中に行かせてもらうわねぇ、楽しみにしているわ」
僕は店番に家の場所を伝え、銀貨を渡して店を出た。
帰り道にもやはり通りにいる人々に声をかけられた。口々に僕を心配してくれるのは、きっと僕が父さんがいなくなって寂しく思って引きこもっていると考えているからだろう。本当のところは全く違うのだけれど、理由を説明したら子供っぽいと笑われるような気がして。
それが嫌だから僕はある意味本当の引きこもりになってしまった。父さんはこの村の人たちから慕われていたからなおさらだった。
村の学校だけはちゃんと出たから、今までほとんど何も言われずここまでこれた。魔法の授業は苦手だったが生活するのに困らない程度の魔法を使うことはできたし、読み書きだって、計算だってそれなりにできたから、引きこもっていても母さんにあまり負担をかけないように手伝うことができた。
父さんがいなくなってから一時は本当に全く部屋から出なかったこともあったが、母さんと友人のおかげでこうやって、生活できるようになった。
「今のこの生活で僕は十分だ、このままでいい」
いろいろと考えているといつの間にか太陽が真上まで来ていた。この分では今日は家に帰って、母さんの手伝いをして一日が終わりそうだ、友人の家に寄るのは諦めよう。どうせ明日会うだろうし。
袋から落ちそうになった荷物を抱え直し、僕は家への帰りを急いだ。
家に帰ると少々時間がかかったことを咎められたが、頼んだ食材のほかにも村の人からもらったたくさんの物を見て機嫌を直したらしく「あらあらまあまあ! こんなにたくさんもらったの? これは美味しくできそうねえ、村の皆さんにも食べてもらうためにもっと美味しくしなきゃ!」なんて、鼻歌交じりで料理の準備に戻った。
僕はというと、出店の準備のために家の外の準備をすることだった。ほとんど終わっていたが、飾りつけも同時にしなければいけなかったので、思ったよりも骨が折れ、結局夜ご飯の時間を少し過ぎるくらい準備する羽目になってしまった。
終わった後、家の中に入って母さんの作ったできたてのフティヒを食べて、すぐに僕は布団の中へ潜った。
久々にたくさん働いたので疲れた。
明日から始まる収穫祭を少し楽しみに感じながら、眠りについた。