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「ステラ、ステラ、大丈夫?」

 軽く身体を揺さぶると、ステラは小さく呻きながら顔を上げた。まだぼんやりした様子の彼女を助け起こし、軽く土を払ってやる。見たところ、大きな怪我はないようだ。

「どこか痛いところは?」

「……平気。ちょっと目が回ったけど」

 ステラは目を覚ます時のように軽く自分の頬を叩くと、しっかりとした口調で答えた。とりあえずは安心してもよさそうだ、と息を吐くと、ティッカは改めて転がり落ちた斜面を見上げた。

「私達、あんな高い所から落っこちて来たのね」

「びっくりしたよ、もう……熊も、もう大丈夫みたいだね」

 元居た場所は目視するのが辛い程に遠く、かなりの距離を落ちてきたことが判った。ここまでくれば、わざわざ熊も追っては来るまい。怪我の功名、だろうか。

「それにしても、ここは何処だろう……?」

 見上げてみて気付いたが、どうも森を抜けてしまったらしい。鬱蒼と空を覆っていた木々は途切れ、薄い雲を通して月と星がティッカ達を照らしていた。二人で座り込んだ道は平坦に均され明らかに人の手が入っている。しかし、ティッカはこの場所に見覚えがなかった。あまり村から離れたことはないが、周辺の街道くらいは把握しているつもりだったのだが、さっぱり分からない。星の位置をみても、そう村から遠くはないはずだが――。

「ティッカ、あれ」

 怪訝に周囲を見渡すティッカの腕に、ステラが触れる。あれ、と彼女が指差す先を見てみると、そこにあったのはこんもりとした土の山だった。土砂崩れの後、だろうか。土の中には大小の岩が入り混じり、折れた木の幹も飛び出している。その他にも雑多な物が紛れ込んでいるようで、泥に汚れた白い布や、破損した金属製の部品なども見えた。鉄が半月を描いているものは、車輪だろうか。

「……馬車?」

 だとしたら、破れた布は幌の名残か。積まれていた荷物と思しき物も辺りに散乱している。そして、そのすぐ傍には二つの人影があった。男と女、どちらも歳は三十そこそこだろうか。馬車の残骸の傍らで膝をつき、女の方は両手で顔を覆っていた。泣いているのだ。声は聞こえなかったが、なぜかそう確信した。そして、その髪の色。まるで暗闇に差す暁のような赤。そう、女が持っているのは、彼女と同じ色だった。

 それに気付いた瞬間、ティッカは息を呑む。あの二人の顔を、どこかで見たことはなかっただろうか。忘れてなどいない。ハダル村で、ティッカにいつも良くしてくれた――カペラの両親だ。

 なぜ、彼らがこんな所にいるのだろうか。いつ村に戻ってきたのだろう。何をしているのだろう。あの残骸は一体なんなのか。ティッカはあらゆる事柄を考えた。しかしその一方で、何かがティッカに囁いていた。この光景を知っているはずだ、と。直に見ていなくても、散々夢に魘された。

 ――カペラは、馬車での移動中に、土砂崩れに巻き込まれて。

「なんだよ……これ……」

 目の前にある光景は、ティッカの罪そのものだった。たまたま似たような状況、ではない。ここは星の落ちる森。地上で、最も星の力の受ける場所。怒れる星々が、その日を再現してティッカに見せているのだろうか。そうでなければ、時が歪んだとでもいうのか。理解の範疇を超える現象に、ティッカの足はすっかり竦んでしまった。手足は震え、喉は引き攣り、そこから僅かも動けない。

 だが隣にいた少女には、それらは何の意味も成さないようだった。ティッカの心情など知る由もなく、ステラは土砂の山に向かって走り出した。

「ステラ……!」

 名を叫んでも振り返ることさえせず、彼女は一目散に馬車の残骸へと駆け寄った。そして次には、あろうことかその手で土を掘り返し始めたのである。顔や腕が汚れ、爪に泥が詰まるのも厭わず、ステラは少しずつ土砂の山を崩していく。動けないままにその姿を見つめ続けて、どれくらいの時間が経った頃だろうか。不意にステラは手を止めて、ティッカを振り返る。

「ティッカ」

 こちらへ来い、という意味をその声音に込めて、ステラは手招きする。ティッカは躊躇わずに頭を振った。嫌だ。見たくない。そこに何があるというのだ。しかしステラは、更に語気を強めてティッカを呼ぶ。

「ティッカ、こっち来て」

 繰り返されるステラの声に、ティッカの足がのろのろと動き出す。近付きたくなどなかった。なのにステラに吸い寄せられるように、ティッカと土砂の距離が徐々に短くなっていく。泣いていた筈のカペラの両親は、いつの間にか消えていた。しかし、そんなことはもうどうでもよかった。この土の下に、カペラはいるのだろうか。

 ようやくステラの元まで辿り着くと、彼女は淡く微笑み手のひらを差し出した。

「見つけたの、私の落とし物」

「……これって」

 ステラが見せたのは、金色の糸で編まれた小さな花だった。拙い手先で編まれただろう花弁は少しばかり歪だったが、その花は泥にまみれても星の輝きを失ってはいなかった。間違いない。あの日、ティッカがカペラに渡した御守りだった。

「――私が死んでしまったのは、とても大きな不幸だったのですって」

 手の中の小さな花に視線を落としながら、ステラは静かに語り始めた。

「運命っていうの? どうしようもなかったんだって。星の光も届かない泥の下に埋もれて、空に還ることも出来なかった。けどね、この光が私の道標になってくれたの。だから私は空へ還って――またここに来れたのよ」

 それより前のことは覚えてないんだけどね、とステラは笑う。彼女の話を、ティッカは信じられない思いで聞いていた。失われた命は空へ還り、そして時々転生を待たずにノクスの森へと落ちてくる。人々に、星の加護を授けるために。ならば、ステラは。

「私ね、このお花を作ってくれた人に会いたいなって思うんだけど……ティッカ?」

 彼女が語り終えるのを待たず、ティッカの瞳からは大粒の涙が溢れ出していた。驚いて目を丸くする少女に、ティッカは嗚咽を堪えながら必死に微笑む。

「……それ、ね。僕が作ったんだ」

 つっかえながらもなんとかそう告げると、ステラは一瞬固まって、次に何度か目を瞬かせた。かと思うとじわじわとその口元が緩み、最後には破顔してティッカに飛び付いた。

「わっ、ち、ちょっとステラ!」

「ほうら、言ったでしょ! ティッカはちゃんと私を守ってくれてたんじゃない……また、会えたね」

 頬をすり寄せて喜ぶ彼女の身体を、ティッカはぎこちなく抱き返した。暖かい。これはあの日感じたカペラの温もりであり、ティッカが何度も触れた星の光と同じ温度だった。またね、というあの日の約束を、彼女は守ってくれた。ティッカに会いに来てくれたのだ。それが、たまらなく嬉しかった。

「……あのね、ティッカ」

 しばらく喜びを分かち合っていた二人だったが、不意にステラが顔を上げ身体を離した。その姿をみて、ティッカは違和感を覚える。どことなく、彼女の身体が光を放っているように見えたのだ。人々に力をもたらす、淡い星の光。最初は微かに、徐々にはっきりと。それは目の錯覚などではなく、光はどんどんその強さを増していく。

「な、何?」

「やりたいことは出来たから、もう元に戻らなきゃいけないの。それが決まりだから……でも、ずっと一緒だからね」

「ステラ……?」

 どういう意味なのだと、尋ねる間もなかった。彼女はティッカの手を握り締め、静かに目を瞑る。その直後、ステラの放つ光が唐突に膨れ上がった。その強烈な閃光に、ティッカは咄嗟に残った片手で目を塞ぐ。瞼を通しても分かるほどの、眩い光。ようやくそれが収まり目を開けると、ステラの姿は掻き消えていた。慌てて、辺りを見回す。しかし、彼女はどこにも見当たらなかった。それどころか、周囲の景色さえ変わっている。土砂崩れの山は消え、見えるのは緩やかな広葉樹の群れ。元いたノクスの森だった。

「何が、起こったの……」

 呆然と、森の景色を見渡す。何がどうなっているのか理解出来ず、何度も同じ場所を見返してはステラを探した。そうしているうちに、ティッカはふと自分が何かを握っていることに気が付いた。最後にステラが握っていた方の手だ。恐る恐る、その指を開いてみる。そこにあったのは、親指大ほどの石だった。暁の色の中に、所々緑の粒が光っている。カペラの色だ。そしてその石を見た瞬間、ティッカは確信した。これは、自分の守護の石だ。カペラが、自分を助けるために地上に戻って来た姿なのだ。理解した途端に、一旦は途切れていた涙が再び頬を伝う。

「……僕も、約束守らないとね」

 ――立派な、星紡ぎになって。

 別れ際にカペラが言った言葉を思い出す。カペラは、こうして会いに来てくれた。なのに、自分はなんだ。ずっと進もうとしなかった。現実から目を背けて、逃げてばかりだったのだ。このままでは、せっかく約束を守ってくれたカペラに顔向け出来ない。今からでも、まだ間に合うだろうか。彼女に恥じない、星紡ぎに――。

 小さな決意を胸に、ティッカは天を仰ぐ。木々の合間に輝く星々は、これまでの二年とは少し違って見えるような気がした。まるでティッカに語りかけ、導いてくれるように感じられるのだ。ティッカは守護の石を再び強く握ると、村へと向かってしっかりと歩き出した。

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