江海のバレた気持ちと噂
「山岡江海です。ヨロシクお願いします」
江海は自己紹介をして会釈をする。
ここは学校。
健吾の家の人に手続きをしてもらい、三ヶ月間だけ通うことになった江海。
「貝本の隣な」
担任が健吾のほうを見て言う。
そう、健吾の同居人ということで同じクラスになったのだ。
ショートホームルームが終わると、クラスのみんなが江海に寄ってくる。
「どこから来たの?」
クラスメイトの一人の質問に、思わずギクリとしてしまう江海。
「北海道だよ」
「北海道か。いいなぁ」
「どうして来たの?」
「ちょっと色々あって…」
言葉を濁す江海。
「なんだよ、それー」
江海の答えに、ドッと笑いが起こる。
(わ、笑うな…。なんで笑うかな。でも、まだ慣れないせいか、人間といると疲れちゃう。健吾君に嫌なところつかれそうで怖いな。この三ヶ月間、こんなに怯えて過ごさなきゃならない? 嫌な事があっても怯えて過ごさなきゃいけない? 怯えて過ごさなきゃいけないの…?)
江海の心は不安でいっぱいだ。
午前中の授業が終わり、お昼休みに教室でお弁当を食べることになった江海。
「どうだった? 江海ちゃん」
健吾が気を遣って聞いてくれる。
「疲れたかな」
「初日だし仕方ないよな」
そう言いながら最高の笑顔を見せる健吾。
「江海ってなんで健吾の家にいるわけ?」
二限目の体育で一緒にグループを組んでバレーボールをした西村渚。
渚はショートヘアで気さくな女の子で、男女問わずたくさんの友達がいる。
「ちょっとした知り合いだよ」
健吾は江海のためにウソをつく。
「そうだったんだ」
「でも、なんで…?」
もう一人、体育で一緒にバレーボールをやった女の子の青田夏子。
夏子もショートヘアで渚よりはちょっと大人しい感じの女の子。
「家庭の事情なんだよな」
「へぇ…。江海、ホントに一人?」
夏子は疑いの目で江海を見る。
「うん、一人で来たよ。健吾君の言うとおり、色々と家庭の事情で来て、施設に入ってたの。ねっ?」
恐る恐る、健吾に話を合わせる。
「そうだよ」
「色々あるんだね」
渚はこれ以上、聞いてはいけないと思ったのか、わかったという表情をする。
(これで納得したんだよね? 健吾君にまでウソをつかせて、私は最低だ。本当は一人なんかじゃない。人魚の世界では、親もいて仲間もいて、シーナ女王もいる。みんな、一緒だよ)
江海はこの事実に気付いて下を向いてしまう。
(健吾君にこの思いは伝わらない。伝わったとしても付き合えない。どちみち好きになってはいけないってことだったの…?)
まだ人間の世界は始まったというばかりなのに、健吾への思いをどうするかばかりを気にしてしまう江海がいた。
その日の授業が終わり、健吾と二人で家まで帰る事になった江海。
「昼休みの話、聞かないんだね」
江海は昼休みにした話の事が気になって、自分から話を切り出す。
「聞けるわけねーだろ? 昼休みはオレが話合わせたけど、一人で施設にいた、なんて言われたら、事細かに聞けないだろ?」
健吾は江海の生い立ちが気になっているが、何も聞けないといった口調だ。
「そりゃあ、そうだよね」
江海は健吾が言った事が当たり前だというふうに納得する。
「でも、一つだけわからないことがあるんだ」
「わからないこと…?」
「あの海に倒れてた事だよ」
健吾は歩いてる足を止め、江海のほうを見て言う。
何も答えられない江海。
(どうしよう…。どう答えよう…。どんな答えを期待してるの…?)
「…ただ、泳いでみたかったから…」
小さな声で答える江海。
「はっ?」
「泳いでみたかったの」
またとっさについたウソ。
「泳ぐって…今、十一月だぞ? バカじゃねーの?」
健吾は江海の答えに笑い出す。
「冬の海ってどんなんだろうって思って…」
バレてもいいようなウソをついてしまう江海。
だけど、健吾は気にしてない様子だ。
そんな会話をしているうちに、健吾の家に着いた。
「ただいま」
江海が帰って来たことをしるすように言うと、リビングから健吾の母が顔を出した。
「おかえり。…二人共、一緒だったのね?」
江海の後ろに健吾がいるのに気付いた健吾の母は、ニッコリ笑顔になる。
「うん。クラス一緒だからな」
健吾はぶっきらぼうに答える。
健吾の両親はとても良い人だ。
外見は怖そうなお父さんは実際は良い人だ。
気さくなお母さんはバレーボールが得意で週に一度、バレーボール教室に通っている。
妹の河代は中学生で人懐っこくて、スポーツ好きな女の子だ。
そんな家族に三ヶ月間お世話になる江海は、短い人間の世界を満喫しようと思っていた。
夕食も終わって、健吾の部屋に行った江海。
「江海ちゃん、なんか、オレに隠してる事ってねーよな?」
突然、健吾が聞いてくる。
この質問に江海はドキッとしてしまう。
(隠してる事って…バレたのかな?)
「そんなものないよ」
江海は何事もないように言い切る。
「いや、隠してるな」
健吾も言い切る。
江海は健吾の表情に自分が人魚であることを言いそうになってしまう。
(言ったらダメ。言ったらどうなるか、わかってるの?)
自分にそう言い聞かせる江海。
「あるわけないじゃない!」
江海は笑って笑顔で言う。
「そうだよな。この笑顔見てると隠し事なんてあるわけねーよな」
やっと観念した健吾。
(もし、私の正体がバレたらどうするの? 私はどうする? どうするつもりなの? 私の心はビクビクしてる。健吾君にだけは敏感に反応してるよ)
江海はホッとため息をつきながらも自分の正体がバレたらの事を不安になる。
(好きだから知られたくない。私の正体。本当の人間になりたい。三ヶ月間だけなんて嫌だよ。人魚の世界にいた時は、人間になれるなら一日だけでもいいって思ってた。だけど、今は違う。真剣に人間になりたい)
人間の世界に来たばかりなのに、江海の中で葛藤してしまう自分がいた。
健吾の横顔を見ながら、葛藤を胸にしまった。
人間の世界に来て一週間が経って慣れてきた江海。
健吾や渚、夏子とも出会った時よりも仲良くなっている。
だけど、健吾の事が知りたいと思う気持ちが強くなっている江海は、学校でも健吾の事を目で追ってしまっている。
「江海、最近、ニヤケ顔になってるよね。なんかあった?」
渚がドアップで聞いてくる。
「な、なんでもないよぉ」
ごまかす江海はアハハ…と笑って答える。
江海は健吾が好きだということは、まだ二人には言っていない。
言ってしまえば冷やかされると思ったからだ。
「ねぇ、江海、もしかして…」
夏子が神妙な面持ちで江海をドキドキさせるような事を言ってくる。
「な、何…?」
夏子の思惑通り、ドキドキしてしまう江海。
「健吾の事、好きなの…?」
小さな声で聞いてきた。
「え? 好きなの?」
渚は江海と夏子を交互に見ながら聞く。
「どうなのよ? 江海」
夏子は気になって更に聞く。
「…好きだよ」
観念したように小さな声で答える。
「やっぱり? そうだと思った」
夏子は意地悪な笑みを見せている。
「バレれた…?」
江海は夏子に聞いてみる。
「当然! 健吾を見る目が他の男子と違うもん」
夏子は言い切る。
その夏子の答えに、顔を赤くしてしまう江海。
「江海って健吾が好きなんだ」
渚は知らなかったというふうに言う。
「それで最近二ヤけてたんだね。そっか、そっか」
「夏子、一人で何納得してるのよ?」
「別に…」
夏子は意地悪な顔をする。
そして、江海はクラスの中で一番仲の良い磯部君とおちゃらけている健吾をそっと見る。
(あの二人、いつも仲良いよね)
と、思っているところに、江海は頬をつねられた。
「いったぁー」
江海は大きな声を出してしまう。
「健吾に見とれちゃって…」
「だって…」
「家でも会えるでしょ?」
「そうだけど…」
江海のイジけように、夏子と渚は呆れている。
「江海が知らないから言っておくけど、隣のクラスの田崎海夏って女子がいるんだけど、その娘も健吾の事が好きだっていう噂。健吾が好きだっていう女子には意地悪するんだよね。気をつけなよ」
渚が忠告してくれる。
(隣のクラスの田崎海夏…。私の恋のライバルだってこと、わかる。なんか、すごく苦しいよ…)
「江海、そんなに深刻になることないって。ねっ?」
「うん…」
何も考えれずに返事をする。
思いのほか、ダメージが強すぎてどうしていいのかわからないでいる江海。
(深刻になることない。そんなことわかってるよ。だけど、他の女子も健吾君の事が好きだなんて思いもしなかった。健吾君も田崎さんって女子が好きなのかな?)
江海の中で不安が広がっていく。
健吾本人から田崎という女子生徒が好きだと言われたわけではないから気にしないほうがいいのだが、どうしても気になってしまうのだ。
この時、自分だけが健吾の事が好きなわけではない、と知った江海は、ショックを隠し切れないでいる。
一人の男子生徒に好きだという女子生徒が複数人いてもおかしくないのだが、今まで恋というものを経験した事がなかった江海にとっては、ショック以外何物でもないのは違いない。
健吾を好きにならなければ良かったと思う反面、一度、好きという気持ちに火がついてしまったのに、簡単に消す事は出来なかった。
翌日、江海は少しブルーな気分になりながら学校に向かう。
健吾は友達と一緒に行くと言い、先に学校に言ってしまい、江海は一人で行く事になったのだ。
そして、教室の扉を開けた瞬間、クラスの全員が江海のほうを見てくる。
(なんだろ…? 私の顔に何かついてる? 髪型もちゃんと整ってるし、制服もちゃんと着てる。私、何かしたのかな?)
江海が疑問になっていると、渚と夏子が飛んでくる。
「江海、バレちゃったのよ」
夏子が江海の耳元で焦りながら言う。
「バレたって…何が?」
江海はキョトンとしている。
「江海が健吾の事好きだった事バレたのよ」
次に渚がこう言った。
その瞬間、江海は自分自身の顔が赤くなっていくのがわかった。
(なんで…? なんでみんなが知ってるのよ!? どうしてー!?)
江海はわけがわからないでいる。
「もしかして…二人共…」
疑いの目を向ける江海。
「言ってないってば!」
「そんなこと言うわけないじゃない!」
渚と夏子は否定している。
「じゃあ、誰が言ったの?」
「江海が来てから一週間、健吾と二人で学校に登校してたでしょ? それを田崎さんが見てて、江海が健吾の事好きなんじゃないかって…」
渚は慌てて言う。
(田崎さんなんだ。こんなこと言うのって田崎さんしかいないよね。どんな人かわからないけどどうしてなの? かなりマズイよね。学校の行き方がわからないから一緒に行ってただけなのに…)
教室前で江海が困り果てていると、
「山岡さん、おはよう」
隣のクラスから田崎海夏が入ってきて、挨拶をする。
「お、おはよう…」
急な出来事に声を震わせながら挨拶をする。
(この人が田崎さん…?)
スタイル抜群で、色白で少し茶色の髪の毛は少し巻いている。
いかにも自分は他の女子より可愛いんだっていう絶対的な自信を持っていそうな感じの女子だ。
「あなたも健吾の事好きなの? 絶対にあなたには負けないから…」
海夏は意地悪な表情で江海に言う。
「貝本…」
一人の男子生徒が江海と海夏の後ろにいる健吾に気付いた。
振り返ると健吾が立っていて、自分の事が好きだったんだという表情で江海を見ていた。
(もしかして、さっきの話聞かれてた!?)
江海はどうしようも出来なくてその場に立ち尽くしたままだった。
「江海…」
渚と夏子が心配してくれるのがよくわかる。
(健吾君に私の気持ちがバレた。私ってばなんてことを…。みんなに噂になってるなんて思ってもみなかったよ…)
江海は後悔の念でいっぱいだった。




