一生、背負っていかなければいけないもの
江海の妊娠がわかって、五日が経った日、江海は健吾の母と一緒に産婦人科に行く事になった。
中絶する事を伝えに行く事になったのだ。
「本当にそれでいいですか?」
前に来た時の女医が江海の気持ちを再確認する。
「はい。高校生で育てるのが無理だってわかったので…」
江海は自分を落ち着かせて気持ちを伝える。
「手術の日はどうしましょう?」
健吾の母が聞く。
「そうですね。三日後に行いましょうか。看護師が詳しい説明をします」
女医は江海の気持ちが変わらない事を確認した後に言った。
「わかりました」
健吾の母は内心ホッとしたような表情をしている。
(考えて出した結果なんだよね。それでもなんか淋しいな。自分勝手だってわかってる。でも、私、赤ちゃんの命を抹殺するんだよね。せっかくこの命を授けられたのに…。なんでこんな酷い事をしてるんだろう。今の私には産んで育てるのは無理なの。あと一ヶ月もすれば人魚に戻ってしまう。お腹の子を海の中で死なせるわけにはいかない)
江海は泣きそうな気持ちを抑えて思っていた。
(あと一ヶ月…。そう、一ヶ月でこの生活が終わるんだね。もう少し私が色んな事に熱心だったら良かったのにね。結局、みんなに迷惑かけっぱなしだよね。健吾君といれる時間も少なくなってきてる。)
産婦人科から帰ってきて、自分の部屋に一人、江海は色んな事を考えていたところに健吾が入ってきた。
「あ、健吾君…」
「母さんから聞いたよ。産婦人科に行ってきたって…」
「うん…」
江海は健吾に会わせる顔がないせいか、言葉少なに対応する。
「さっき、小さい頃のアルバム見てたんだ」
「小さい頃のアルバム…?」
「うん。アルバム見てたらおばあちゃんの事、思い出してしまってさ…」
健吾は恥ずかしそうにした後、神妙な表情をした。
「オレの話、聞いて欲しいんだけどいいかな?」
「いいよ」
江海がそう返事すると、健吾は江海の隣に座った。
「オレ、小さい頃からおばあちゃん子でいつもおばあちゃんにくっついてた」
「そうなの? そんな感じがしない」
「今のオレを見てるからだろ? オレ、何をするにもおばあちゃんと一緒で、おばあちゃんから離れようとしなかった。おばあちゃんはいつもニコニコしてて、オレのわがままにも嫌な顔をしないで聞いてくれてた」
健吾は祖母との思い出を言葉を選ぶようにして話す。
「だけど、オレが中二の秋におばあちゃんが…死んだ…」
(え…?)
江海は健吾の一言で一瞬、心臓が高鳴った。
そして、健吾は少し辛そうな表情をしながら話を続ける。
「脳梗塞だったんだ。あの時、泣きまくって大変だった。河代も大泣きしてしまって…。それから一週間は勉強どころじゃなかった。おばあちゃんとの思い出が頭の中でグルグル回って離れなかった。オレ、おばあちゃんが病気だって事は前から知ってたけど何もしてやれなかった。オレ達家族がついてたのに…。ずっと悔しくて…今でもなんでおばあちゃんを助ける事が出来なかったんだろうって…」
健吾がそう言うと、健吾の目に涙が滲んでいた。
(健吾君…辛かったんだ。悔しかったんだ。私にもわかるような気がする)
「だけど、おばあちゃんはオレ達に心配かけたくなかったんだって。オレ達の顔を見てるだけで安心出来たんだってわかった。いつか、おばあちゃんが言ってたんだ。健吾達の顔を見ているだけで幸せな気持ちになれるって…。それでオレ気付いたんだ。オレ達がいることでおばあちゃんの思い出が増えていくっていうことが…。きっとおばあちゃん自分の死が近付いてるっていうのがわかってたんじゃないかなって思うんだ」
健吾は涙をぬぐいながら話す。
(どうして…? どうして健吾君の前から大切なおばあちゃんを奪ったの? 健吾君はおばあちゃんを大切にしてたのに…。その健吾君の前から大切な人を奪っていくの? 健吾君の笑顔は優しくて素直な子なのに…。‘死’を覚悟してた健吾君のおばあちゃん。そんなこと考えたのは怖かっただろうな)
江海はそう思うと、大粒の涙が零れ落ちていた。
「え、江海ちゃん!?」
健吾は自分の涙をぬぐいながらビックリする。
「ごめん…話、続けて」
江海は慌てて涙をぬぐう。
「うん。河代と二人で話合ったんだ。毎年、おばあちゃんの墓参りやろうって…。当たり前の事だけど、オレ達にはそれぐらいのことしか出来ないって思ってさ。江海ちゃんが妊娠したって聞いた時、おばあちゃんの事思い出して、生命の事考えさせられたよ」
健吾はそう言うと、窓の外を見た。
「私、妊娠したってわかった時、どうしたらいいのかわからなかった。嬉しい気持ちはあったよ。でも、高校生の私にはどうすることも出来なくて…。健吾君の話を聞いて、改めて生命の事考えさせられた。それでも私は赤ちゃんを中絶しようとしてる。育てられない事はわかってる。今の私にはどうすることも出来ない…」
江海は自分勝手な思いとお腹にいる赤ちゃんに申し訳ない気持ちで話した。
「江海ちゃんの苦しい気持ちもわかるよ。だけど、今回はオレ達の勝手な行動でこんなことになったんだ。中絶した事は一生、背負っていかないといけないんだ。江海ちゃん、今回の事で簡単に命を捨てようと思ったらダメだよ。人の生命は重いものだから…」
「そうだね」
江海は自分の力ではどうする事も出来ない無力さを知った。
(たった一言で勇気付けられる。初めて知った人の優しさ。今まで癒される事のなかった私の心。人魚の世界でも言ってくれなかった心に突き刺さる言葉。そうだよね。私達は一生、中絶の事を背負っていかないといけない。それだけ自分勝手なことをしたっていうことなんだ。健吾君に教えられた生命のこと。私に気付かなかった事を教えてくれた。ありがとう、健吾君…)
三日後、江海の中絶手術の日がやってきた。
この日は健吾の母についてきてもらって、入院の準備をする。
日帰りでも出来るらしいんだけど、二日ほど入院する事になったのだ。
「江海ちゃん、辛いかもしれないけどしっかり気を持ってね」
健吾の母が江海の手をしっかりと握って言う。
「うん。ありがとう」
江海が礼を言うと、看護師さんが呼びにくると手術室に向かう。
(これで最後なんだよね。お腹の赤ちゃんともサヨナラなんだ。自分の不注意でお腹の赤ちゃんとサヨナラしないといけなくなったんだよね)
江海の脳裏に健吾が言った、‘中絶した事はオレ達は一生、背負っていかないといけない’の言葉が蘇る。
(今日からこのことを一生、背負っていかないといけない。人魚に戻っても忘れてはいけないんだ。これから私は命を抹殺した事を一生、胸に秘めて生きていかないといけないんだ。お腹の赤ちゃん、本当にゴメンね…)
麻酔で薄れていく中で江海はそう思っていた。




