死神
金が欲しかった。
地主さまに良い土地を借りて耕して、小屋を建てるのだ。
そうして安定した秋を迎えられそうだったら、彼女に申し込むのだ。
俺と結婚して欲しいと---。
ガラハスは村一番の巨漢で祭りの腕相撲大会では何度か優勝をしたことがあった人気者だったが、美男子とはいえなかった。
おまけに口下手で、気の利いたことも言えやしない。
あなたのことは好きよ、と言って笑う女友達も幾人かいたが彼女たちとはまったく違う存在なのだ。
ベス。
ベスはとても内気な娘で、最近まではほとんど話したこともなかった。
村の雑貨店で品出しの仕事を黙々とこなす、仲間内では地味だと評価される彼女。しかし、いつの間にかガラハスは彼女の姿を求めるようになっていた。
村の通りから店内にそっと目を走らせ、雑貨店の前わざわざ大回りして通ったことも珍しくない。
彼女を見ると優しい気持ちになれるのだ。ベスのはにかんだ笑顔---彼女は美人とはいえないかもしれないが、ガラハスにとって最高の笑顔だった。
一日働いて疲れたときでも、すれ違って軽く会釈を交わすだけで足は軽くなり踊り出したくなった。
そうして、今
その自分の想いは一方通行ではないとガラハスは自負している。
秋祭りのダンスパーティに差し出された兎のように震える大きな手に、ベスは顔を真っ赤になりながら重ねてくれたのだ。ガラハスの記憶のなかでベスが誰かと踊っているところなど見たことはなかった。
俺なんかで---。
くしゃくしゃな笑顔で何度も頷かれた。
ガラハスはこの夜、ベスと結婚しようと決めたのだ。
そのためには。
どうしてもお金が欲しい。
土地を借りて、二人で住む家を建てて。
蓄えをすべて注ぎ込んでももう少し足りなかった。
焦らずとももう一年も待てば---。地主さまはそうおっしゃったが、そんなに長く待てそうになかった。
そのためにどうしても金が欲しいと思った。金が。
しかし、彼女に誇れる金でなくてはならないとも不器用なガラハスは思っていた。
・・・いったいどうしたものか・・・。
地主さまの屋敷からの帰り道、とぼとぼと街道を歩んでいたガラハスは解決策の見いだせない悩み事に没頭し過ぎて、少々あたりの警戒を怠ってしまっていた。
雑木林の陰に潜んだものの気配に気が付くのが遅れ、あわや熊のような大爪が頭上から振り下ろされるところだったのだ。
「---没頭している集中力には頭が下がるが、危なかったぜ、兄さん---」
ガラハスの後ろを進んでいた若い、もしかすると年下ほどの戦士だった。
驚いて、うわあと叫び声をあげて無様に尻餅をつくしかなかったガラハスの横合いから体当たりをして、黒づくめの戦士はずんぐりとした妖獣をのしりと転がした。
肉食で大柄だが鈍重な性質の獣は一瞬無防備に灰色の腹を晒すことになり、しかしそれは戦士にとって充分な時間だった。すでに抜いて手にしていた大剣はその腹を貫いて深々と地面に突き立てられた。
まもなく、餌を手に入れるはずだった生き物はガラハスの代わりに、その動きをとめてぐったりと地面に沈んだ。
鮮やかだった。子供の手を捻るような軽い仕事のように感じられたのは錯覚で戦士の技量が優れているせいなのだと、畑違いのガラハスもすぐに悟っていた。
「大丈夫かい?」
止めを刺してガラハスの元にやってきた戦士は陽気な笑顔を浮かべて、青ざめたガラハスを窺った。
「・・・ああ。ああ、助かったよ・・・ありがとう、本当になんて礼を言ったらいいのか・・・」
「そんなことはいいが、驚いたぜ。逃げようとしないんだからな。自殺希望者か、だったらこのままそっとしてやるべきか真剣に悩んだぞ?」
くくくっと、戦士は笑っていた。
二十代半ばぐらいの白い肌に短めの銀髪、灰青の大きな目が印象の男だった。
背の高さはガラハスとほとんど変わらない長身だったが、身体付きは一回りも二回りも細かった。そしてガラハスが一番驚いたことは、大きな剣を持つ物騒な職業には勿体ないような今までお目にかかったことのないような色男だったことだ。
襲撃と、助けられた者の腕と面。二重に動揺するガラハスの腕を戦士は掴むと引っぱり起こしてやった。
「---ありがとうな」
ようやく笑顔を取り戻して照れ笑いを浮かべたガラハスは、言葉に言い尽くせない感謝の意を込めて深々と頭を垂れていた。
ベスが持っている。こんな所で死ぬわけにはいかないのだ。が、彼がもし居合わせなかったら---。
「いいって。それより、これからは気を付けるよ?」
ひらひらと手を振って戦士は背を向けた。道を先に進もうとしたがすぐに足が止められるとガラハスを振り返った。
「あ・・・もし時間があったなら、一つ頼まれて欲しいんだが---」
戦士の頼み事とは、ガラハスには到底信じられなかった。
頭をガシガシと掻きながら、最中の悪戯っ子のような表情で彼は言うのだ。この先、街道の先の左に進んで半日の所にある街で人と待ち合わせをしているという。
だから、右に半時間ほど進んだ町に死骸の回収要請に向かえない。三度続けて遅れているから今日は時間通りにどうして着きたいのだ、と。
「代わりに頼めないか?腐り出すと悪臭が酷くなるし、死臭に群がってくるだろうからこのままにするのは気が退けるんだ---」
「それは俺は一向に構わないが」
ガラハスは今まで請け負ったことのないような名誉な役目だと思った。
「・・・名前は、ああ、賞金はどうしたらいい?届け先を教えてもらっといて、俺が届ければいいのか」
「そんな必要はない。あんたの名前で、あんたが収めてくれればいいよ。役場に行き、いろいろ聞かれ書類を書かされ、その後再びこの場所まで案内することになる。一日仕事になってしまうよ。賞金は面倒な仕事を引き受けてもらう礼として受け取ってくれ。あのレベルだったら、金貨10枚ほどだろうが」
金貨など普段滅多に手にすることのないコインだった。ガラハスの今までの蓄えを掻き集めてせいぜい8枚というところだった。
それをあっさりとくれると言う。
「冗談だろ、そんな大金、貰えないぞ!」
「今はそれなりに持ち合わしているし、なによりも俺はどうしても遅れるわけにゆかなくて、あんたに押しつけるんだ。貰ってくれなければ、頼めないよ」
「あんたに助けられたんだ。報告ぐらい勿論きちんとこなすが、金は・・・。本当に、本当に俺が貰っちまってもいいのか?」
「ああ」
金銭感覚の違いに内心呻きたくなるようなガラハスの前で、戦士は屈託なく笑った。
青空に映える笑顔だった。
世の中にはそういう世界があり、こういう男が居るということだ。
そして、現実味の薄い奇蹟がそういう男によって、ガラハスにもたらされようとしていた。
これで土地を買うことが出来る。
ベスに結婚を申し込むことが遠い夢じゃなくなるのだ!
町に着き役所のさまざまな場所にたらい回しされながら、戦士の言う通り一日仕事になったが、ガラハスには気にならなかった。
夕方死骸の場所に役場員を案内して状況を説明して、もう一度町の役場に戻り、ガラハスの役目は終わった。体格のいいガラハスに、彼の仕事だと誰も疑わず賞讃と労いの言葉を集め、そして懐には---10枚の金貨が納まったのだ。
その夜、ガラハスは町の安宿で一晩を明かし、カップ一杯の酒のささやかな贅沢をした。翌朝村に帰り改めて地主さまの所に向かうことに決めたのだ。
今日も良く晴れた良い一日になりそうだった。
意気揚々、町を出ようとしたとき門の隅に小さな老婆の姿があった。
ガラハスが幼い頃に亡くなった祖母に少し似ている老婆は、嫁に行った娘に子が生まれて会いに行くのだと言った。ザニアの村はガラハスの村のもう一つ奥にある村だった。
土産に膨れあがった大きな鞄を抱えて、人を頼むには持ち合わせが少し足りなかったという世間知らずなところもガラハスの祖母を思い起こさせた。
ガラハスは---。
普段以上にとても優しい気分になっていた。
彼の望みは戦士によって叶えられようとしている。
親切を施されて、深い感謝の念に包まれるガラハスは、自分も親切を贈ろうと考えたのだ。それが人の世、持ちつ持たれつで人は成り立ってゆくのだと感じていたから。
・・・普段であれば、ベスとの生活を夢見て己に厳しく課した一日の仕事があった。予定が狂って、怠け癖が着くのを嫌って、心の中で詫びながらも見ず知らずの者におそらくそのような気は起こさなかっただろう。
でもあの戦士から得た、これから自分を待つ薔薇色の未来を考えると、ガラハスはこのくらいのことをしなければ罰が下されるだろうと考えたのだ。
戦士がくれたシアワセのお裾分けだった。
老婆の荷物を肩に楽々と抱えて、しばらく老婆と二人旅になった。
今度は、ちゃんとあたりに気を配り、武器である腰の木こり斧にもすぐ手を運びことが出来るように歩いていた。
魔獣、妖獣の類はそれほど頻繁に現れるわけではなく、昨日の獣ならば特別珍しいものではない。あれほどの接近を許さず普通な状態であれば倒すことは出来なくても武器で牽制しながら大人の男であれば逃げ伸びることは難しくないのだ。
老婆と世間話をしながらも、ガラハスの心は自然に愛しいベスに向かう。
これから先、彼女と二人家庭を作り、子どもも産まれて---。
銀髪の戦士のお陰で、何度も空想した内容はすぐ側まで手の届きそうなところまでやってきているのだ!
ベス、待っててくれ。もうすぐ帰るから。
「ばあさん、疲れたんなら背負おうか?遠慮はいらんよ。力だけは人一倍あるんだからさ」
ふうと溜め息をついて歩みを止めた老婆の顔をガラハスは覗き込んだ。
そのときだった。
空に大きな影を動いたのだ。
鳥型の獣、怪鳥だった。
奴らは珍しい類だった。滅多にお目にかかることのない獰猛な飛行系の生き物は禍々しい声をあげてガラハスと老婆の頭上を旋回しはじめた。
これはヤバイぞ・・・。
冷たい汗が背中を流れていた。
これは素人の手に負えるものではなかったのだから。
方法はもうひたすら一目散に逃げるしかない。
しかし、それには軽いとはいえ老婆は荷物に---。
いや。
そうじゃなく、老婆を残して走ることに意味があるだろうとすぐに考え直していた。囮にして、怪鳥の気を惹かせるのだ。
ガラハスが生き残る道はそれしか、なかっただろう。
しかし、それはガラハスには無理だった。
ベスが愛した男は老婆を一人置き去りにして逃げることを、良しとは出来なかった。
「わしはこの歳まで充分に生きたわ、だから、親切なあなた、どうか逃げておくれ!」
「ばあさん、逃げなくても倒せばいいんだよ!」
努めて明るい声を出したが、倒せるなどとは思っていなかった。
怪鳥はゆっくりと旋回しながら下りてくる。
人気の少ない閑散とした田舎道に、今回は助力を求められる人影はなかった。
ガラハスは斧を持ち、反対の手で老婆の痩せた身体を抱いて守ろうとした。
ギャー、ギャーと鳥は獲物に興奮しはじめたのか騒がしく鳴き声をあげた。
ざわっという風圧と共に、鳥は急降下して人の身体など簡単に切り開く大きなかぎ爪をガラハスの頭に突き立てようとして、夢中に斧が振り回された。
滅茶苦茶な攻撃は鳥の脚に当たって耳を劈く声をあげさせ、空に撃退させることが出来たが鋼のような脚に斧は弾きとばされてしまっていた。
二度目の襲撃がくる。
しかし、斧を失ってガラハスの手にあるものは老婆だけだった。
死神だと思った。
あの銀髪の戦士は、ガラハスにとって死神だった。
幸運を貰って喜んで、気まぐれを起こして---。
そして、その見返りで俺はここで死ぬのだ---。
---来る!
懐を探って指に当たった固い物を握りしめると、渾身の力で投げつけていた。
金貨が入った皮袋だった。
狙いを外さず、袋は怪鳥の目に直撃してなんとかもう一度怯ませることが出来た。
でも、これまでだった。
「ばあさん、わりいな、俺、弱くてさ---」
老婆は窪んだ目に涙を溜めて、ありがとうよ、と言った。
ごめんな・・・ベス・・・もう会えねえ。
俺さ・・・死神に会っちまったんだ。
美しい戦士の姿をした死神・・・あんまり色男で気前もよくておかしいとは思ったんだよ・・・。
くつくつっとガラハスは低く笑っていた。
不思議と涙は出てこなかった。
小さな老婆をしっかり腕の中に抱いたガラハスの上に大きな翼を広げた怪鳥はゆっくりと舞い降りていった。
神よ、どうかベスにはあなたのご加護を!
ガラハスと老婆の悲鳴はすぐに聞こえなくなった。
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