砂糖の丘から
どこからか唄が聞こえる。
往来の子供達が一日の平和を祈る無邪気な唄か、草原を往く大人達が狩りの豊饒を願い無事の帰還を誓う勇壮な唄か。
近くの様で遠くにも聞こえるその歌声が、カンカンと槌を打ち付ける音に混じるのを聴いているのは心地良かった。
「あれは今何を作ってるの?」
「書物を所蔵する館だとか。文字が読める人なんかほとんどいやしないのに」
ジッタ婆は余り興味が無さそうにそう言った。
町の中心に画期的な建造物ができる事よりも、何やら薬の調合の方が忙しそうだ。
「あたしにしてくれた様に、子供達に文字を教えてあげれば良いのに。それこそその館の中にそういう場所を作ってさ」
「…今時の子は文字なんで覚えたがらないのさ。草原で狩りをして薬草を集め唄を歌う。大昔の記録なんかに興味を示すのはアンタみたいな変わった子だけだ」
本は良い。
本の中には空想の世界が雄大に広がっている。
それは文字の羅列にしか過ぎないのだけれど、一つ一つの文字が重なり、或いは離れてどこまでも広がっていく空想の世界に自分が収斂されていく瞬間がとても好きだ。
実際には出逢っただけで失神してしまう様な大きい動物やこの世のものとは思えない程に美しい花。
想像の限り、その世界に想いを馳せることができる。
そんな本が幾つも集まる場所ができるならあたしはとても嬉しく思う。
「…ところでアンタもう家に帰らないと。神殿からアジリが詔勅を持って来るんだろう」
忘れてた。
そもそもあたしの家なんかに神殿から使いが来るなんて今まで無くて、しかもあたしに用があるっていうのだからどうしたら良いのかジッタ婆に相談しに来たんだった。
「いけない。すぐ帰らないと。またね」
あたしは飛び上がってジッタ婆の顔も見ずに外に出た。
長い間、雨が続いていたのが嘘の様に今日は雲一つ無い。
書物の館はまだ骨組みすらできていないけれど、心地良い槌の音と、額に汗を流すアジリの人達の晴れやかな表情を見ていると、今日はきっと何か良い事が起きると予感がした。
少しだけ家に帰る足取りが軽くなった。
いつの間にか唄は聞こえなくなっていた。