いのちの恩人
――――――時は過ぎて夕方。夕日が沈んで、空を真っ赤に染めた。
僕はむっくりと半身を起こして、まわりを見渡した。僕は下流の方に流されていたはずなのに、なぜか僕は森にかこまれていた。
僕は自分の顔の形を確かめたり、頬をつねってみたりした。確かに僕は生きているようだった。しかも疲労感もまったく感じない。
不意に後ろからぺたぺたとした足音が聞こえてきた。その足音は水にしめっているような、潤った音だった。その足音が、突然止まる。しばらくすると、うしろからかわいいような奇妙な声がした。
「ダイジョブかぁ?おまえ、死にかけてたゾ。」
僕は後ろに振り返った。
そこにはちょこんと立つ、犬のようにちいさい一匹の河童。目をキョロリとさせた、しわのない、うるおった、愛らしい河童。
「あ、・・・・。」
驚きに声が出なかった。
あまりにも当たり前のように河童は目の前に立っている。
「ココをはやく出ないと、本当にしんじゃうゾ。起き上がんないと、置いてくゾ。おまえ、しんじゃうゾ。」
かわいい脅迫だが、言っていることは怖い。しかも、事態がまだよく理解できない。
河童の顔はすこしずつ青ざめていった。もともと、青いが。
「オイラはしにたくないゾ!!たのむから起きてくれ!!」
どうやらここに長居すると冗談でなく、死ぬらしい。河童の表情があまりにも必死だったため、僕はゆっくり立ち上がった。
「か・・・・、河童だ・・・。」
河童はもじもじしている。
「河童だ・・・!」
河童はもじもじした後、口をひらいた。
「オイラ速く走れねえから、肩に乗せてくれ!」
と一言言うと肩に河童が飛び乗った。
肩にひんやりとした体温が伝わってくる。僕は少しくすぐったくなって、身をよじった。
驚くことに、河童に関してはもう驚かなくなっていた。これも乙木のおかげであろう。一生使うことのないと思っていた無駄知識が、今日有効利用されそうだ。
「じゃあ、あっちだゾ!」
河童はひろい川のほうへと指さした。河童はきっと僕に乗るために看病したに違いない。妖怪はそんなものだ、きまぐれだ。と乙木が言っていたような気がする。
川のほとりにはぼろぼろな木の舟がぽつんとあった。
「これに乗るんだゾ!」
僕はとりあえず乗ってみたものの操縦の仕方がわからない。
「どうした?操縦するんだゾ。」
「わからないよ。河童君。」
操縦するといっても櫂がないので、動かすことはまず無理であろう。
河童は「これは金をはらうしかないな。あいつを呼ぼう。」と小さくつぶやくと、いきなり叫び始めた。
「三途―――!三途――!」
「さんず?」
どう考えても死ぬ時に渡るという、あの例の川の名前であった。河童はなにを呼ぼうとしているのだろうか。もしかして死を呼ぶ・・・?いろいろくだらないことをかんがえていると、不意にうしろから声をかけられた。
「オレか?」
うしろには背の高い好青年が立っていた。Tシャツには( 三途 )とでかでかと書かれており、ジーパンをスラリとはいている。
「おぉ、三途!オイラ達を運んでくれ!」
「おぉ、ボンなら大歓迎っすよ。」
河童はどうやら、ボンとよばれているらしい。
「しかし生きている者を運ぶにはコレが必要ですがね。」
三途と呼ばれる者は右手で金の形をつくり、ニヤリと笑った。
僕が「全然好青年じゃないや。」と思っていると、金の催促の手が差し出された。
「ほら、君、別にお金じゃなくてもいいんだ。精神や魂でもいいんだぜ。まあそれは高価だから、とらないでおくがな。」
僕はポケットから百円玉を取り出すと、三途に渡した。
「安いな。別に金じゃなきゃいけないってわけじゃないんだ。まあありがたくもらっておくよ。」と言った。
「三途!オイラはこれをやるよ。オイラの宝物の中の、ひとつだゾ。」
河童はきらきらと光るビー球を三途の手のひらに乗せた。ビー球は若干湿っていて、夕日の光が反射してきれいだった。河童は「きれいだろ?・・・・」としみじみとつぶやいた。
「さすがボン!ありがたく頂戴します。」と言って、河童のあたまをなでた。
舟は紅く夕日に染まった川をゆっくり進み始めた。
僕が夕日を眺めていると、河童が夕日をさえぎるように目の前で仁王立ちした。
「オイラの名前はボンだ。お前もそう呼べ。お前の名前はナンダ?」
「わかった。僕の名前は 雨宮 涼 。よろしく。君は・・・?」
三途は魚が死んだような目をこちらに向けて、自己紹介した。
「オレの名は三途。名前のとおり( 三途の川 )の守り神だ。」
自己紹介を終えるとボンは顔を陰らせて、口を開いた。
「非常にいいにくいことなんだが、お前の人間界への扉が開きにくくてな、しばしば妖怪村に住んでもらうことになる。」
「え・・・・。」
しかし僕は以外と落ち着いていられた。乙木ならこの状況を楽しめるのだろう。僕は夏休みの宿題やらの不安が残ったが、選択の道はないようだった。
「あと、言い忘れていたが、お前は妖怪にならねばならないゾ。三途!お前も誰にも言うなよ!」
「あぁ。わかった。」三途は真剣な面持ちでうなずいた。
「じゃあ、お前は今日から紫陽花の妖怪だゾ。」
紫陽花の妖怪ってどんな妖怪だか想像できないが、僕は紫陽花の妖怪ということになった。
ふと、乙木の言葉が蘇った。
「妖怪は人間を嫌う。僕もだ。いい妖怪に好かれればいいが、悪い妖怪や悪霊に化した者にはあまり関わらないほうがいい。まあ僕は関わりたいけど。」
夕日が沈んで満天の星空が見えるころ、森からどんちゃんとした音が聞こえ、人が住む明かりも見えてきた。
ボンはにっこり笑って、口を開いた。
「さあ、ようこそ。妖怪村へ。」