ママの私が考える事「何ができるか」
子は自由だ。純真であり、暴君だ。
私はつねに悩む。
何が間違いで、何が正しいのか。子育ては、それをあらためて問われる場だから。
人は第一反抗期で、他者と己の存在を知り。第二反抗期で、他者の中での個人を模索する。大なり小なり波があっても、そこには常につきまとわれることになる生きていくための主題がある。
人との関わりをどんなに断とうとも、どんなに足掻こうとも、どんなに苦しもうとも、日々を生きてゆくのなら正否をつけていかなければならない。その場面はかならず訪れ、そこからは逃れられない。
何故ならば私は母であり、私は、社会に属する一人の人間であるのだから。
一番大切なことはこの心をどう育むか。その一言に尽きると思う。
しかし悩むのだ。そして止め処ないものなのだ。終わりがないのなら、この感情に諦めという決着をつけてしまうべきではないだろうか。
何が間違いで、何が正しいのか。それは決して、ただ一人の存在が答えを出せるものではなく、配偶者であり、友人であり、教師であり、文字、映像、音楽、社会全体から生まれるものだ。そこに一貫性などありはしない。常に移ろい、翻弄していく。
牙をむかれることもあるだろう。世界が、優しさだけで溢れているわけもないのだから。
日々の生活に何を望む。人一人がなせることなど限られてしまうのに。何をそんなに悩むことがある。肝心な問題は本人が思うようなところには、実際ないことが多いものなのに。
だからこれだけを考えて生きて行こう。
私という存在は、子に何を受け渡せていけるのかを。




